模擬戦
「……すごい……本当に一人で……」
リーネットが呟き、バージルに駆け寄ろうとしたその時だった。
「――何をしている!」
鋭い声が響いた。
バージル振り向くと、通りの奥から複数の騎士が駆けてくる。
騎士達が気を失っている盗賊を捕縛していく中、ただ一人、先頭の騎士だけが悠然と噴水の前に歩いていく。
剣を携えた黒髪の女騎士。姿勢は真っ直ぐで、一歩一歩が迷いなく、まるで空気そのものを従わせているかのようだった。
「この者たちは、王国騎士団の指名手配犯だ。ここで何があった?」
低く、よく通る声だった。
「俺です。俺が彼女達を倒しました」
小さく手を挙げるバージルに、騎士は目を細め、向かっていく。
バージルの前に立ちはだかったのは、ひときわ威厳をまとった一人の女性――セラフィーネ・ルクレティア。
リュミナリオス王国・神聖騎士団の戦士長にして、最年少指揮官。
その漆黒の長髪は戦闘前の儀礼かのように束ねられ、大ぶりの剣を背に携えている。
「……お前が、彼女らを?」
セラフィーネはちらと盗賊たちを見る。
明らかに武器による傷ではない。
「素手で、この者たちを……?」
彼女の眉がぴくりと動く。
「名前を聞く。お前、何者だ?」
セラフィーネは真正面からバージルを見据えた。
「……バージル。職業は、今のところ無職です」
「無職なのは当然だろう。しかし、本当に男か?」
問いに、バージルは少しだけ肩をすくめて笑った。
「俺はそのつもりです」
その言葉に、近くの騎士たちがくすりと笑いかけたが、セラフィーネは一切笑わず、ただ一歩、彼に近づいた。
「この者たちは、我が騎士団が追っていた盗賊団『灰の牙』の構成員。そのうち三名を……男のお前が倒したと言っているんだぞ」
「はい。見過ごせなかったので」
「見過ごせないとは……何を?」
「何をって……街の人たちが大切な人を失うかもしれないことを、です。親や子供、友達を失うかもしれなかった」
彼の答えに、セラフィーネは微かに目を細めた。
鍛えられた女ならまだしも、貧弱という言葉を体現している男達の中に、そんな気概を持つ者がいるとは思えない。
いや、そもそも目の前の人間が「女ではない」と理解できるが、本当に男なのか?
早急に、全てを明らかにする必要がある。
「お前……どこで武術を学んだ?」
「独学です。白い部――ずっと一人で稽古してきました。田舎で」
「……意味が分からんな」
そう言いながらも、セラフィーネの表情に影が差す。
灰の牙のメンバーは、一人一人が一介の騎士並みの力を持っている。
それを素手で、さらに多対一の状況で圧倒するというのは、独学という言葉で説明できるはずがない。
強さにこだわる者ほど、その真実を求めてしまう。
「その力が本物だとして、男が力を持つというのは、そう簡単に受け入れられるものではない」
「その考え方は間違ってます。男でも女でも、弛まぬ鍛錬の先に得られるものがある」
静かな、だが確信に満ちた言葉だった。
その一言で、セラフィーネの呼吸が変わる。
「……貴様、今、私に向かって物を言ったか?」
セラフィーネの声が、冷えた刃のように空気を切り裂いた。
少しだけ震えていたその声は、彼女がプライドを傷つけられたと、そう認識しているのを証明するのに十分だった。
辺りが一瞬で静まり返る。
誰もが、バージルがすぐに頭を下げるものだと思った。しかし――。
「……努力は誰の前にも平等です。あなたのような強い人に、それが分からないわけがないでしょう?」
場が凍りついた。
異世界から来た――とバージル以外の人間に知る由はないが――とはいえ、セラフィーネが突出した実力を持っていることは明らか。
立ち振る舞いからして、常に間合いを図っているかのような印象を受ける。
そこまでの域に達している人間に、努力の価値が分からないはずがない。
バージルの言葉は最もだったが、神聖騎士団の団長を相手に、それも男が意見するというのは――もはや無礼なのかすら理解できない。
無意識的に、数名の騎士が手を柄に伸ばす。
だが、セラフィーネは片手を上げてそれを制した。
「ふっ――ふはっ、ははははは! なるほど、面白いことを言うな」
「……伝わったようですね。良かっ――」
相手が笑みを見せたことで、バージルは無事に和解できたものだと思いかけた。
しかし、当のセラフィーネの顔――飢えた獣のようなそれを目に、自分の浅慮を悔いる。
「ならば――その努力の成果、見せてもらおうか」
彼女は背中の大剣を軽々と引き抜いた。
ざらりと重たく、美しい音が鳴る。
「ここで私と一戦交えろ。模擬戦だ。逃げるなよ、男」