都市案内人3
リーネットは俺の腕をぐいっと掴んだ。
軽く見える体格とは裏腹に、意外と力がある。
「そ、その仮……なんたらっていうのは、取らないといけないものなんですか?」
「そりゃそうですよ。仮とはいえ、証明書がなければあなたはどこの誰に捕まっても文句は言えませんし、あなたのご家族にまで責任が及ぶ可能性だってありますから」
「どんな世界だよ……」
「えっ?」
「あぁいや、俺の暮らしていた田舎の村とは勝手が違うなって!」
俺の言葉に、リーネットは緩んだ表情を見せ、深く頷いてくれる。
「それは分かります。実は私も田舎から出てきたんですが、職を得るのも一苦労でしたから。……まぁ、それでも男性が貴重だという認識はありましたが」
「そ、そうですか……」
「そうです! ほら、キビキビ歩いてください! その大木のような逞しい……抱きつきたくなるような脚は飾りですか!?」
半ば引きずられるようにして、大通りの喧騒を抜けていく。
すれ違う女性たちがこちらを振り返って二度見、三度見。
中には小声で「かっこいい……」と呟く者までいる。
「やっぱり目立ってる……」
「当然です。筋肉も身長も、何もかもが一般男性の枠を完全に超えてますから。女性にとって、あなたの存在は劇薬ですよ」
「……褒めてます?」
「褒めてます。でも、劇薬は管理する必要があります。早く証明書を取らないと、興味本位で囲まれますよ。さっきみたいに」
そう言ってリーネットが足を止めたのは、街の一角――石造りの建物に掲げられた、ひときわ目立つ看板。「ロザリア都市ギルド支部」とある。
ギルドは元の世界にもあったし、大体同じようなものだろう。男女比以外は。
受付のような場所には、制服姿の女性が数名。
彼女たちは俺の姿を見るなり、談笑をピタリと止め、椅子から勢いよく立ち上がった。
「男……!?」
「あれが男だっていうの……? 冒険者よりもゴツいじゃない……」
「リーネって確か、都市案内の仕事もしてたわよね。ってことは……」
「ご安心ください! ただいま仮保護証明書の発行申請に来ました! この男性――バージルさんは護衛の方と逸れてしまったようで、一時保護を優先しました!」
リーネットが胸を張って名乗ると、周囲は納得したように頷き、続いて俺に書類を手渡してくる。
それはいいんだが、その手がかなり震えていた。
「では、そちらの机でご記入をお願いします。氏名、年齢、身体的特徴、出身地――」
「出身地、ですか……」
答えに詰まった俺を見て、リーネットが小声で耳打ちしてくる。
「適当でいいですよ。田舎出身って書けば、あまり詮索されませんから」
「なるほど。身体的特徴っていうのは?」
「男性は、肉体的に女性よりも劣っていることが多いため、特に気を遣って扱わなければなりません。だから、いわば弱点をここに記入する義務があるんです。……バージルさんは書かなくてもいいですね」
言われたとおりに出身は「田舎」と書き、最低限の情報を記入する。
用紙を渡すと、受付の女性は何かを言おうとこちらを向いたが、舐め回すように俺を見ると、ぱたぱたと後ろに引っ込んでいった。
数分後、先ほどのは別の女性が出てきて、俺に一枚の紙を差し出した。
なんというか、香水のような匂いがする。
「はい、仮保護証明書の発行が完了しました。こちらがその控えとなります」
「ありがとうございます」
受け取ろうとすると、彼女は俺の手を両手で包むように握った。
「……なにされてるんですか?」
「ふふっ、なんでもありませんよ。別に男性に触れたことがないから良い機会だとか、いますぐ抱かれたいくらい良い男だとか、思っていませんから」
「は、はぁ……なら離していただけると嬉しいんですけど……」
「えぇ、もちろんです」
口ではそう言っているのに、彼女は一向に手を離そうとしない。
「あ、あの……?」
「そういえば、この後お時間はありますか? 護衛官が到着するまでの間、よろしければ私とお茶でも――」
背後でリーネットが深く、長いため息をついた。
手続きを終えた用紙を奪い取り、ぱしっと俺の胸に当てるように押し付けると、彼女は口を開いた。
「バージルさんは、私の保護対象ですので。職務中の色仕掛けは禁止ですよ」
「そ、そんなつもりは……少ししか」
「まったく……記録に残しておきましょうか?」
リーネットの言葉を聞いて職員は一気に青ざめ、慌ててカウンターの奥に消えていった。
「……すみません。でも、男性が一人で出歩くっていうのは、こういうことなんです」
「肝に銘じておきますね」
今のところ、この世界で頼れるのはリーネットだけだし、迷惑をかけるわけにはいかない。
「まぁ、安心してください。これで正式に、あなたは私の責任下にある男性です。三日間だけですけど、その間に今後のことを考えましょう」
「よろしくお願いします」
「……はい。こちらこそ、バージルさん」
差し出された手を握り返すと、リーネットは一瞬だけ、頬を赤らめた。
そのまま数秒、言葉もなく俺を見上げ――やがて、自分で気づいたように首を振って正気に戻る。
「先に言っておきますけど、さっきみたいに一人でうろちょろしないでくださいね? もし騎士団に見つかりでもしたら、面倒な――」
その忠告の続きを飲み込むように、外から轟音が鳴り響いた。
ギルドの扉が一瞬だけ軋み、続けざまに焦った声が飛び込んでくる。
「――と、盗賊が街に入ってきました!」
血相を変えた町娘が、ギルドの中へと駆け込んでくる。
周囲の空気が、一瞬で凍りついた。
俺とリーネットが視線を交わした、その刹那。
外ではもう一発、遠くで爆ぜるような音が響いた。
――その音に引きずられるように、俺の脳裏に、父の姿が過ぎる。
彼は魔物と戦って死んだ。
その死は男としての強さを証明するものであり、彼を憎んではいない。
戦って、死んだ。立派だったと人は言った。
だが、残された者の痛みは、誰も背負ってくれなかった。
彼がいれば母は壊れなかったのではないかと、そう問われれば何も言い返せない。
俺は騎士でも勇者でもないし、この世界では異物に違いない。
出ていけば、間違いなくリーネットさんに迷惑をかけてしまうのは理解している。
でも……今あの外で誰かが、あの日の俺や母と同じ思いをしそうになっているなら――。
「ちょ、ちょっとバージルさん!?」
考えた瞬間、無意識のうちに走り出していた。
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