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女性恐怖症を克服したおっさん、修行明けに貞操逆転異世界にブチ込まれる  作者: 歩く魚
女王/聖女

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晩餐

10月中旬の資格勉強のため、しばらく更新できない可能性が高いです。少々お待ちください。

 

「本日はお疲れのところ、ようこそお越しくださいました」


 全員が席につくと、エルネスタが微笑みながら杯を掲げた。

 その仕草一つで、堂内の侍女たちは息を揃えたように動きを止め、頭を垂れる。

 まるで彼女の一挙一動が、神の意思そのものだと言わんばかりに。


「どうぞ、気兼ねなくお召し上がりください。神は人の肉体に糧を求めます。食すこともまた、メルン様への奉仕でございます」


 丁寧な口調のはずなのに、妙に艶っぽく聞こえるのは俺の気のせいだろうか。

 リーネットは緊張した顔でフォークを持ち、セラフィーネは相変わらず無表情に近い。

 けれどその瞳の奥には、微かに警戒が宿っているのを俺は見逃さなかった。

 肉を口に運ぶと、驚くほど柔らかく、舌の上でとろけた。

 香草の効いたスープを飲み、パンをちぎると、緊張していた胃がようやく食欲を取り戻す。


「お気に召しましたか?」

 

 エルネスタが、にこやかにこちらを覗き込む。


「あ、はい。正直……もっと質素な食事かと思っていました」


 俺がそう返すと、彼女は口元を手で覆って笑った。

 神の代弁者、聖女なんて肩書からは想像できない仕草。


「はしたないと思われるでしょうけれど、わたくし……食べることが大好きなのです。特に甘味。供え物として届けられる果実や菓子は、ありがたく神と共に楽しませていただいております」


 その告白に、リーネットが驚いたように目を瞬かせた。

 

「聖女様でも……そんなことを?」

「ええ。人の身である以上、神のために祈ると同時に、自らを養うことも務めです。……それに、わたくしは我慢が苦手な性質でして。えぇ、とにかく」


 冗談めかした声に、場の空気が少し和らいだ。

 セラフィーネも思わず唇の端を緩める。


「断食を命じられた時もあったと伺いましたが」

「はい、神託としてそう告げられました。しかし正直に申せば……わたくしは数日で断念してしまいました。だって、空腹のままでは集中できませんもの」


 そう言って、彼女は果実の皿を指で軽く押し出す。

 

「どうぞ。これ、最近届いたばかりの南方の果実で、とても甘いのです」


 差し出された一切れを受け取り、口に入れると、確かに濃厚な甘みが広がった。

 それを見て、エルネスタが子供のように嬉しそうな笑みを浮かべる。


(……こうして見ると、普通に人間らしいんだな)


 神託を告げ、宗教の中心に立つ存在――そんな肩書きからは想像できなかった表情。

 だが、そういう素顔を見せられると、逆に不思議な違和感が胸に残った。

 

「……ところで、バージル様」

「なんですか?」


 俺が答えると、彼女は小さく首を傾げた。


「あなたは……神の声を、信じられますか?」

「えっと……信じるとか信じないとかいうより、まだよく分かっていません。だから、判断できないというのが正直なところです」


 俺がそう言うと、エルネスタがわずかに反応した。

 安堵にも、満足にも見える。


「正直なお答え……ありがとうございます」


 そこから、彼女の言葉はしばし途切れ、沈黙が落ちる。

 長い食卓に広がった沈黙は重く、だが不思議と心地悪さはなかった。

 ただ、彼女が何を思っているのかを探ろうとしてしまう。


「多くの人々は、わたくしの言葉を無条件に信じなければならないと考えます。けれど……そうではないのです。神の声を聞くとは、迷い、疑い、選び取ること。わたくしは、そう信じています」


 その声音には、聖女としての確信と、ひとりの人間の弱さが入り混じっていた。

 そして食事の終わり際、彼女は杯を置き、深く息を吐いた。


「この後、私は神託の準備に入らねばなりません。どうか、今宵は客室でお休みください。……けれど」


 少し間を置き、視線が再び俺にだけ向けられる。


「もし……眠れぬ夜を過ごすことがあれば、そのときはどうか、恐れずに。神は必ず、耳を傾けてくださいます」


 その言葉は、食堂の灯りの中で不思議な熱を帯びていた。


 夜。部屋の窓から差し込む月明かりだけが、薄暗い石造りの空間をぼんやりと照らしていた。

 寝台に横たわってはみたものの、目を閉じても一向に眠気はやってこない。


(……さっきの言葉、引っかかるんだよな)


 晩餐の終わり際、エルネスタが俺に向けて告げたひとこと。

 眠れぬ夜を過ごすことがあれば――恐れずに。

 今こうしている自分の姿を予見していたような声音だった。

 枕元に置かれたランプを灯し、ぼんやりと天井を見つめる。

 白い漆喰の模様が、なぜか人の顔のように見えてくる。

 そのたびに、あの食堂でのエルネスタの笑顔が脳裏に浮かぶ。

 果実を頬張って子供みたいに笑っていた顔と、神の代弁者として厳かに語る顔。

 どちらが本当なのか、考えれば考えるほど分からなくなる。


(……眠れそうにないな)


 息を吐いて身を起こしたその時。


 ――コツ、コツ。


 扉が、控えめに叩かれた。

 夜の静寂に溶け込むような音だったが、確かに二度。

 不意に心臓が跳ねる。

 ゆっくりと足を床に下ろす。

 寝台の木枠がきしむ音さえ大きく響いて聞こえた。

 扉の向こうから声はしない。

 ただ、再び――コツ、コツ、と待つように叩かれる。

 セラフィーネやリーネットなら、きっと声をかけてくれるだろう。

 しかし、そうしないということは理由があるか――声を発することで、俺に警戒を与える誰かだということ。

 緊張なのか、期待なのか――自分でもよく分からない。

 ただ、扉を開けなければならないという衝動だけがあった。


「……はい」


 震える声で返事をして、取っ手に手をかける。

 冷たい感触が、やけに鮮明に感じられた。

 ゆっくりと引き開けると、そこに立っていたのは――やはり、エルネスタだった。


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