エピローグ
ぼんやりと、まぶたの奥が明るくなる。
遠くから聞こえる鳥のさえずりが、少しずつ意識を現実へと引き戻していく。
(……朝か)
今朝は、妙に身体がだるい。
身体の芯にある活力が抜けたような、そんな気分。
もう少し寝ていたいと思い、寝返りを打とうとした瞬間、何か柔らかくて温かいものが頬に触れた。
反射的に目を開けると――銀色の髪。
(セラフィーネさん……?)
枕の上に、その長い髪が広がっていた。
顔との距離は指一本分もない。
彼女はすやすやと寝息を立て、安らかな寝顔をこちらに向けている。
……が、問題はそこでは終わらなかった。
(なんか、反対側もあったかいな……)
恐る恐る首を傾けると、もう一人の気配が。
(…………リーネットさん!?)
こちらもまた、無防備な寝顔。
ふわふわの髪に包まれた頬が枕に押しつけられ、うっすらと笑っている。
(なんで、なんで両脇に二人もいるの!?)
混乱。いや、これは混乱という名のパニック。
昨夜、セラフィーネが「段階を踏む」なんて言って部屋に来たところまでは覚えている。
その後、リーネットがヤケクソ気味に乱入――あぁ、思い出した。
(あれ、これ俺……ひょっとして……やっちゃったのでは?)
具体的に何を、というのは分からないが、とにかくやっちまった気がする。
と、そこでセラフィーネが身じろぎした。
ほんの少し、俺の肩に頬を寄せるようにしながら、うっすらと目を開ける。
「ん……おはよう、バージル……」
囁くような声。しっかりと目が合ってしまった。
柔らかい微笑みと、眠気を含んだ瞳。
俺の左側――リーネットが、ごそごそと布団の中で動いた。
まるで猫みたいに体を丸めていた彼女は、目をこすりながらゆっくりと身を起こす。
「ふぁぁ……おはようございます、バージルさん……セラフィーネさんも……おはようございます……」
朝の挨拶が、普通すぎて怖い。
何が「おはようございます」だ。
なぜ両サイドから「おはようございます」なんて言われてるんだ俺は。
(急に生活が変わりすぎだろ!)
そんな内心の絶叫など知る由もなく、二人はまるで日常のように布団から出る準備を始めていた。
リーネットは寝癖を気にしながら髪を整え、セラフィーネは素早く羽織を整え、俺のカップに水を注いでくれる。
「今日は天気がいいですね」
「そうだな。気温も穏やかで、訓練日和だ」
「なんで朝の会話が普通に始まってるんですか!?」
思わず叫んでしまった。
二人の視線が、同時にこちらを向く。
なんだろう、この「え? 何をいまさら?」みたいな目は。
それでも窓の外は今日も平和そうで、鳥が呑気にさえずっていた。
朝食を終え、昼下がりの光が、テーブルの上の茶器をほんのり照らしている。
セラフィーネはカップを片手に、珍しく視線を泳がせていた。
その様子に、俺は首を傾げる。
「……何か、言いにくいことでもあるんですか?」
「……いや、別に言いにくいわけではない。だが、少しだけ気恥ずかしいというか……」
セラフィーネは一度、軽く咳払いをした。
そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「バージル。……王都に来てほしい」
「また、その話ですか?」
「今回は理由が違う」
その瞳に、少し緊張が宿る。
そして――彼女は静かに続けた。
「私の、仕えている女王陛下に、お前を紹介したい」
その言葉に、思わず身体が固まった。
王じゃなくて、女王……は、そうか。
王国の頂点に立つ人に、俺を?
「ま、待ってください。いくらなんでも、俺なんかが――」
「お前なんか、とは言うな」
ぴしゃりと言い切られて、言葉が喉に詰まる。
「バージル。あなたは、私の最愛の存在だ。だからこそ、女王陛下にも、正式に知っておいてほしい」
セラフィーネの声は真剣だった。
けれどその中に、ごくわずかに誇らしげな響きが混ざっていた。
「――紹介したいんだ。私の、想い人として」
耳の奥が熱くなる。
どう返せばいいのかわからない。
でも、その目は真剣だった。
だから俺は、目を逸らさずに、頷いた。
「……わかりました。行きましょう、王都へ」
そのとき、隣にいたリーネットが小さく手を挙げた。
「あの、私も同行していいですか?」
「……ふむ。そうだな。もともと妻候補として申請していたのだから、顔を見せておくのも筋だろう。それに、バージルが陛下の心を射止めた暁には、リーネットの待遇も上がるだろうしな」
「……陛下の心を、射止める……?」
よく分からない言葉が出てきて、つい聞き返してしまった。
「良い男は、それだけ多くの女の目に留まるということだ。自然なことだろう?」
「えぇ……?」
セラフィーネは何の迷いもなく言ってのけた。
「せ、セラフィーネさんは俺が好きなんですよね? 他の人とその……仲良くして、嫉妬とかしないんですか?」
「もちろん、時には独り占めしたいと思うこともあるだろう。しかし、バージルは規格外だ。私とリーネットだけで満足させられる器ではない。それは昨日の夜も……再確認したことだしな」
「き、昨日の夜……」
それを聞いていたリーネットが、小さくため息をつきながら肩をすくめる。
「まったく……バージルさんも大変ですね。鬼神と呼ばれた騎士団長をゲットして、次は女王陛下……?」
「……いや、本当の本当に俺、普通の人なんですよ」
「ふふ、もう遅い」
リーネットが微笑み、セラフィーネは満足そうに頷く。
「旅の準備は私が手配する。明日の朝には出発できるようにしておこう」
「急すぎませんか!?」
「早い者勝ちだ」
セラフィーネの目が、なぜか妙にキラキラしていた。
まるで王都に向かうのは任務ではなく――祭りにでも行くかのように。
同時に、俺の脳内では「ある説」が浮上していた。
この世界に呼ばれた理由についてだ。
男女比が極端に偏っている世界では、子孫を残すことができない。
まだ見たことがないが、数少ない男性は貧弱らしい。
ということは、短命だったり、生殖力が低い可能性がある。
しかし、子孫は重要だ。リーネットのような優しさを、セラフィーネのような強さを持つ女性であれば、なおさらその遺伝子を後世に残すべき。
だが、少なくともセラフィーネは、俺と出会うまで男のことを嫌っていた。
俺と出会わなければ……セラフィーネの強さは受け継がれることがなかったかもしれない。
……もしかすると、俺がこの世界に来たのは、彼女のような素晴らしい人に男の価値を見直してもらい、より優秀な子孫を後世に残すことなのではないか。
そこで男が生まれれば、さらに多くの女性を魅了し、健康な男子が増える。世界が繁栄する。
完全なる俺の勘違いとも言えるが、とにかくだ。平和に暮らす以外にも「生きる理由」は要る。
横では、セラフィーネがすでに地図を広げて王都へのルートを確認している。
――王都。女王陛下。未知の文化。
それらに向かって、自分が歩みを進めていく実感が、じわじわと胸に広がっていく。
決して軽くはない。けれど、それが不思議と苦ではないのだ。
セラフィーネは地図から目を離し、ふとこちらを見た。
「覚悟は、できているか?」
「……なるようになりますよ」
その返事に、セラフィーネは満足げに微笑む。
見たことがある。自分の中で、なにかが始まる瞬間を知っている顔だ。
荷造りが終わる頃には、日が落ちかけていた。
空は赤く染まり、明日からの旅の幕開けを、まるで空が祝福しているようだった。
一章終了です。
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