1人目
あの戦いから、俺の人生は更なる変化を迎えた。
――朝、鳥のさえずりで目を覚ます。
柔らかい枕。沈み込むマットレス。倉庫の硬い床ではない。
この街での居住許可、そして安全面のお墨付きを得た俺は、中々の大きさの一軒家を貸してもらえることになったのだ。
外出時には出来るだけリーネットの同行を求めることになっているが、それでもかなりの解放感がある。
以前にいた世界と比べても。
その気持ちに身体を動かされ軽く伸びると、脇腹のあたりに激痛が走る。
「……いっつぅ……」
はるかに調子は良くなっている。
骨折ってしばらく治らないはずなのに、たぶん、あと数日もすれば全快な気がする。
騎士団の人が回復魔術をかけてくれた時に「これは痛みを和らげるだけです」って言ってたし、何が起きてるんだろう。
まぁ、元気になれる分にはいいか。
俺はゆっくりと起き上がり、ベッドの脇に用意された水差しで口をゆすぐ。
「……ん?」
窓の外から、なにやら音が聞こえる。
眠い目をこすりながら窓を開けると、庭先でセラフィーネが俺の大剣を丁寧に磨いていた。
「……え、なにしてるんですか?」
「あぁ、起きたか。おはよう」
まだ朝日も差しきらぬ時間。
こちらは寝間着のままだというのに、彼女は既に鎧を纏っていた。
「いや、その……おはようございます。あと、ありがとうございます?」
そう言うと、セラフィーネは満足げに一つ頷いたが、どこか「よし、第一段階突破」とでも言いたげな表情を浮かべた。
眠気が徐々に吹き飛んでいく。
顔を洗おうと洗面台に向かうと、タオルが新しいものに取り替えられていた。
しかも折り目が揃っている。どこ部屋も妙に片付いている気がする。
「……え、え?」
もう一度窓を開けると、見たことのない鎧を手入れするセラフィーネと目が合った。
彼女は頷きもせず、すっと視線を逸らした。
着替えを終えて階下に降りると、驚きの光景が俺を迎えた。
食卓に、朝食が並んでいる。
しかも、やけに豪勢だ。
焼き立てのパン、香草を添えたスクランブルエッグ、温かいスープに、ちょっとしたフルーツまで。
下町の宿屋じゃなく、上流騎士の食卓と言われた方が納得できる。
「いつの間に……?」
目をこすってもう一度見る。
間違いない。豪勢すぎる朝食は、間違いなく目の前に存在していた。
「ナイスタイミングだな」
いつの間にか背後に立っていたセラフィーネが、鎧のまま当然のように言った。
なぜ鎧のままなのか。なぜ朝からこんな気合いが入っているのか。なにもかもが分からない。
「あ、あの……これ……」
「この程度、基本だろう。栄養、味、彩り、すべて計算している。お前に倒れられては困るからな」
「えっと、困るって……?」
「私が困る。それ以外にないだろう?」
この人、微妙に話が飛ぶ。
そう思っていると、タイミングを見計らったかのように、玄関の扉がノックされた。
「バージルさん、おはようございます!」
爽やかな声とともに、リーネットが顔を出す。
今日は案内人の予定がないのか、いつもの案内服ではなく、ラフなワンピース姿だった。
「あ、あぁ、リーネットさん。おはようございます。どうしたんですか?」
「えっと、近くを通ったので……ちょっと顔を出してみようかなって。あ、でも、忙しかったら帰ります!」
言いつつ、チラリとテーブルの上の朝食に目がいく。
「……すごく、美味しそうですね? もしかして、セラフィーネ様の手作り……?」
「もちろんだ」
セラフィーネが即答する。
そして、なぜか勝ち誇ったような視線をリーネットに向けた。
「あ……なるほど……なるほどぉ……」
リーネットの声がなぜか遠くなった。
ふっと笑い、俺に小さく耳打ちする。
「私、今日はここまでにしますね。何となく、お邪魔虫な気がしますし」
「え? いや、そんなつもりは――」
「待て、リーネット。お前の分もあるぞ」
セラフィーネが背筋を伸ばし、表情ひとつ崩さずに断言する。
「そ、そうなんですか……?」
「当然だ。書類の上では、お前はバージルの伴侶になる者なのだから。妻の座を狙う私としては、その慧眼に敬意を示さずにはいられない」
「え、えっと……それは、つまり……?」
「早く座れ。卵が冷める」
セラフィーネは、もう一人分の皿をテーブルに追加しながら言い放った。
リーネットはあたふたと小さく手を振りながらも、俺の隣の席――が予約されているため、向かいの席へ、そっと腰を下ろす。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
俺はパンをかじりかけて、なぜかそのまま口元で止まった。
空気が妙に張りつめている。
パンの音さえ敵に悟られる――そんな錯覚すら覚える。
「身構える必要はない。情報交換でもしないか?」
セラフィーネがふと紅茶を口に運びながら、さらりと告げる。
「情報交換って……なんのですか?」
リーネットは動揺を隠すようにティースプーンをくるくる回す。
「無論、バージルのさ。今後の参考にするからな」
「さ、参考……?」
「趣味、好物、癖、生活態度、寝相、すべてだ。妻……候補としては当然の心得だろう?」
さらっと「妻候補」と口にしてのけるセラフィーネの横顔は、あくまで冷静だった。
リーネットはたじろいでいるが、それも最もだ。
あの戦い――というより告白から、とりあえず俺は逃げることにした。
いや、物理的な逃亡ではなく、「まだお互いに知り合ってから日が浅い」という理由から、答えを保留にしてもらったのだ。
しかし、それからすぐに、セラフィーネのアタックが始まった。
今までの威圧的な態度が嘘に思えるほどの献身さ。
今朝の食事も美味そうだった。いや、実際美味かった。
食べてみると、味のバランスも絶妙で、どれも熱々。
目玉焼きの焼き加減が絶妙で、黄身がとろっとしている。
「……美味しいです」
「そうだろう」
セラフィーネは小さく得意げに笑うと、隣の椅子を引き、当然のように俺の横に座った。
「な、なんで隣に――」
「この方が効率がいいからだ」
「効率……?」
「お前の食べる速度や量を把握しやすい。今後、栄養管理のために必要な情報だ」
背筋に寒気が走る。
食べてる間中、セラフィーネはまるでメモでも取るかのように、じっと俺の食べ方を観察していた。




