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女性恐怖症を克服したおっさん、修行明けに貞操逆転異世界にブチ込まれる  作者: 歩く魚
鬼神

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屈服2

 バージルが踏み込む。

 セラフィーネも応じるように身体を沈め、交差する刃を迎え撃つ。

 ふたりは、再び剣を交えた。

 一撃、二撃――すぐに、セラフィーネは違和感に気づいた。

 剣に重さがない。


(……流しているのか?)


 セラフィーネの眉がわずかに動く。

 最初こそ正面からぶつかっていたが、三合目あたりからは明らかに力が抜けていた。


(本気じゃない……いや、できないのか)


 呼吸の乱れ、手の震え、足元の重さ。そのすべてが語っていた。

 先ほどの一撃は、やはりバージルに大きなダメージを与えている。

 それでも立ち上がったのは驚きだったが、おそらく、その身体にはもう力が残っていないのだ。


(私の……ためにか)


 そう思った瞬間、セラフィーネの中に冷静さが戻る。

 彼への敬意は、もはや疑いようがない。

 自分が勝利しようと、敗北しようと、なにも変わらない。

 ならば――これ以上、彼に無理をさせるわけにはいかない。

 

(これが本当に、最後の一撃だ)

 

 セラフィーネは踏み込み、バージルの剣を天に、すっと弾く。

 防御を崩すだけの一撃。


「今度こそ、本当に終わり――」


 丸腰で、攻撃を避ける余力もない相手。勝ちを確信していた。

 軽く叩くつもりだった。

 彼の肩に刃をかすめさせる程度で終わらせるつもりだった。

 だが――バージルは堂々と立っていた。

 傷付いているはずなのに、その瞳は、立ち姿には一分の乱れもなかった。

 今から放つのは、彼に敗北を認めさせるには十分な一撃、のはず。


(まさか、罠……?)


 疑念が脳裏をよぎる。

 今の彼に、それだけの力が残っているとは思えない。

 だが、己の瞳から見えているその姿はまるで、万全の戦士のよう。

 瞬間、一つの可能性を想像してしまった。


(たとえ男でなくとも、いや、戦士であっても。骨が折れた状態で痛みを堪え、これほどまでに毅然と振る舞うことは――できない)


 ならばこれは、罠だ。

 攻撃が効いていると見せかけて、弱い一撃を誘っている。

 ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。

 危うく勝ちを逃すところだったという安堵。

 戦いを組み立てるバージルの巧妙さへの賞賛。

 セラフィーネの剣に力がこもり、迷いのない斬撃がバージルに向けて振り下ろされた。

 しかし、彼は躱そうとすらしなかった。

 セラフィーネの剣が目前に迫った瞬間、バージルの両手が、まるで風を掴むように動いた。

 鍛え上げられた両の掌で、剣の刃を挟み込むように受け止める。

 ほんの一拍。すべてが静止したように思えた。

 ――白羽取り。

 数十年にも渡る修行、そして、一度手合わせをした相手だからこそ成せた、呼吸の一致。

 力に対する、技での対抗。

 金属が軋む音が空気を裂く。

 だが刃は進まない。バージルの掌が、確かにそれを制していた。


「――っ!」


 セラフィーネの瞳が見開かれる。

 想定外の受けに、身体のバランスが崩れた。

 そのまま重心が前に流れ、つんのめる。

 バージルはその体勢を見逃さず、セラフィーネの身体を優しく倒し――先ほど弾かれ、この時を待っていたかのように天から降ってきた大剣の柄を掴むと、そのままセラフィーネの喉元へ、静かに、しかしはっきりと刃を添えた。

 セラフィーネは息を整える。

 そして、ゆっくりと視線を上げた。

 バージルと目が合ったその刹那、彼女は、黙って微笑んだ。


「――ふぅ、間一髪でした」


 大剣を置いたバージルは膝に手をつき、深く息を吐いた。

 痛む身体をごまかす余裕も、セラフィーネを起こしてやる気力も、もうない。

 クリーンヒットは防いだとはいえ、バージルの身体は既に限界だった。


「やはり、罠ではなかったんだな」


 セラフィーネは、土のついた身体を起こしながら、ぽつりと呟いた。

 

「もちろん。たぶん、折れてますからね」


 そう言って情けなく笑うバージルだったが、それを見るセラフィーネの顔は真剣そのものだった。

 

「冷静に考えれば、お前の余力がないのは推測できた。いや、していたんだ。しかし、あの時のお前の目は――」

「男は、いつ何時も堂々と、毅然と全てを受け止めるべし」

「それは……なんだ?」

「俺が修行していた時に思いついた心構えっていうか、信条的なやつです。まぁ、常にこう在れるわけじゃないんですけどね」


 セラフィーネは一瞬きょとんとした顔をし、それから小さく、そして――堪えきれないように、ふっと笑った。


「強さでも、戦略でも、精神でも……私を上回っていたわけか。私の負けだ、完全にな」


 そう告げたセラフィーネは、ふと視線を落とし、その場に静かに膝をついた。


「――団長! なにを――」


 近くで見守っていた騎士のひとりが、思わず声を上げた。

 だが、その言葉は最後まで続かなかった。


「うるさいッ!」


 セラフィーネの怒号が、夜気を震わせた。

 騎士が思わず息を呑み、静まり返る広場。

 セラフィーネは目を伏せ、膝をついたまま小さく息を吐く。


「頼む……邪魔をするな」


 その声は、ただ静かに、凛としていた。

 背筋を伸ばしたまま膝をつくその姿に、誰もが言葉を失って見つめるしかなかった。

 それはバージルも例外ではない。

 目の前の女性がなにをしようとしているのか、全く見当もつかない。

 剣を手放した姿は、屈した者の惨めさに塗れていない。

 むしろ――顔を上げた彼女の瞳は潤んでいて、恋する乙女のようなそれだった。


「……前に、私がお前に対して『夫にしてやろう』と言ったのを覚えているか?」

「は……はぁ、一応……?」


 セラフィーネは少しだけ口元を歪め、苦笑とも照れ笑いともつかない表情を浮かべた。


「……あれは、傲慢な言葉だった。間違っていた」

「いやいや、全然気にしなくていいんですよ。これからは、よければ友人として――」


 明るく振る舞ってみせたバージル。

 しかし、その言葉は最後まで言わせてもらえない。


「そう、間違っていたんだ」


 セラフィーネの声が重く響く。

 天蓋のような夜空に雲がたなびき、淡い星の瞬きが二人の間を照らしていた。


「えっと、セラフィーネさん? 俺は本当に気にしてないんで――」


 戸惑いながらもなお弁解しようとするバージル。

 その姿を、セラフィーネはまっすぐに見上げていた。

 表情は固くもなく、無理をしているわけでもない。ただ静かに、決意の色だけを湛えている。

 

「今度は間違えない」


 焚き火の光が彼女の鎧に反射して、薄く赤い輝きをまとわせる。

 その右手が、震えながらゆっくりと前に差し出された。

 

「どうか私を――妻にしてくれませんか?」


 バージルの時間が止まった。

 風の音も、騎士団のざわめきも、リーネットの驚いたような小さな声も、すべてが彼の意識から消え去る。

 セラフィーネの髪が、夜風に揺れる。

 かすかに乱れたその隙間から覗いた瞳は、濡れていた。


「………………は?」


 それだけが、精一杯の反応だった。

 遅れて実感がやってきたのか、セラフィーネは顔を真っ赤にしている。しながらも、まっすぐにバージルを見ていた。


「冗談じゃない。本気だ。私は生まれて初めて、お前に――あなたになら、全てを捧げたいと思った。どうか、私を……お側に置いてくれませんか?」


 バージルの喉が、かすかに鳴った。

 言葉が、すぐには出てこない。

 セラフィーネの言葉が胸の奥に、深く、深く沈んでいく。


(俺に、全てを……?)


 初対面は険悪だったが、その後、少しずつ打ち解けることができたと思っていた。

 その認識は間違っていないはずだ。

 今回の戦いで、自分を認めてくれたとも。

 これも間違っていないはずだ。

 しかし――しかしだ。今までの流れで、どうして「妻にしてほしい」という言葉が出てくるんだ?

 女性経験の皆無なバージルでは、理解が追いつかない。

 脳内で警報が鳴る。全身が熱くなり、逆に指先が冷える。

 目の前で膝をついたまま手を差し伸べているセラフィーネが、ふと、表情を曇らせかけた。


「……やっぱり、迷惑だったか?」


 その一言が、胸に刺さる。


「ち、違うんです!」


 咄嗟に、バージルは声を上げた。

 自分でも思った以上に大きな声だった。

 セラフィーネが一瞬驚いたようにまばたきし、見上げる。

 バージルは言葉を探し、苦しげに眉を寄せながら、それでも必死に絞り出す。思考をフル回転させていく。


「ええと、その、俺はただ生きようとしているだけで、セラフィーネさんの思うような大層な男じゃ、ないというか、あのー……」


 うろたえながらも必死に言葉を探す。

 だが、そのたびに、セラフィーネが返答する。

  

「あなたと密に関わった私だから分かる。海よりも深い器を、山よりも高い向上心を持っている」


 まっすぐな言葉。誇張ではなく、心からの賛辞。

 それが分かっているから、余計に対応しにくい。

 

「で、でも…………俺は、ほら、その……女性経験がないです! この歳で、ですよ!?」


 バージルの声が裏返る。

 本人は真剣だった。顔は真っ赤で、目は泳いでいる。

 相手の誤解を解くための、諸刃の剣。

 しかしセラフィーネは、それを当然のように受け止める。

 

「むしろ、その歳まで女性の誘惑や暴力に屈しなかった、勲章とも言える称号では?」

「そうなるかぁ……」


 言葉を紡ごうとするが、だんだんと自分でもなにを言っているかわからなくなってくる。

 しかも、全て言い換えされてしまう。頭が爆発しそうだ。


「と、とりあえず、一回、落ち着いてもいいですか?」


 セラフィーネが答えるよりも早く、バージルは背を向ける。


(落ち着け、落ち着くんだ。男は、いつ何時も堂々と、毅然と全てを受け止めるべし)


 深呼吸する。


(そうだ、それが俺の信条。でも、それが難しい時はどうしていたっけ――)


 バージルは近頃、自分の理解を超えた出来事がなかったか、思い出そうとする。

 白い部屋を出てから見た世界。様変わりした常識。

 むしろ、驚きを挙げたら枚挙に暇がない。

 その中で、どうやって自分は正気を保ったのか。

 自問する。逃げ場のない混乱の中で、何を支えにしてきたのか。

 理屈じゃない。論理も言葉も意味をなさなかった。

 けれど一つだけ、どうしようもないときに自分がやったことがあった。 

 バージルは一つだけ、思いついた。

 彼はそのまま一歩、二歩と進み、深く深呼吸をして――空に向かって叫んだ。


「「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」」


 驚いて背後を見ると、リーネットが全く同じポーズで、全く同じように叫んでいた。

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