3人の生活4
夕食が終わり、それぞれが自分の時間を過ごしている頃。
俺はあまり眠る気分ではなく、倉庫の外で夜風に当たっていた。
ロザリアの夜は静かだ。遠くで犬の鳴き声のようなものがかすかに聞こえるが、それもすぐに風にさらわれる。
月だけは変わらずそこにあって、俺は少しばかり懐かしい気持ちになる。
ふと背後に気配を感じて振り返ると、そこにセラフィーネがいた。
リーネットから渡された「予備」に着替えを済ませて、さっきより少しだけ布面積の多い、淡いグレーの寝巻きを身にまとっている。
サイズは合っていないけど、まだギリギリ安心できるな。
「……どこにもいないと思っていたら、夜風に当たっていたのか」
「ああ、なんとなく……落ち着かなくて」
彼女は黙って隣に立ち、俺と同じように月を見ている。
その横顔は、昼間のどこか無邪気な彼女とは違っていて、光のない琥珀の瞳に、経験の深みが宿っているように見えた。
「この街は……悪くない。警備体制はやや緩いが、住民の協力意識が高い。私の故郷に似ているかもしれない」
「セラフィーネさんの……?」
てっきり、彼女はリュミナリオス王国の出身かと思っていた。
語るつもりはなかったのか、セラフィーネはそれきり口を閉じた。
「……セラフィーネさんって、ずっと強かったんですか?」
沈黙の時間がややあってから問いかけると、彼女は一瞬だけ視線を伏せ、ふっと笑った。
それは「はい」でも「いいえ」でもなく、どこか遠い場所を見ているような笑みだった。
「私にも平等だったんだよ、努力は」
セラフィーネは仕方ないという顔をして、言葉を継いだ。
「私の故郷は、賊に襲われたんだ。親だけじゃない、全てが奪われ、殺された」
その一言に、返す言葉を失った。
彼女が普段どれだけ堂々としていても、背負っているものは、俺の想像よりもずっと重いのかもしれない。
「ただ一人、偶然にも私だけが生き残った。母を看取ることは叶わず、必死に逃げた。足の感覚がなくなるまで走って、ようやく人里に辿り着いた」
彼女は月を眺めながら、ポツリポツリと話していく。
「運が良かったのか、悪かったのか……それは今でも分からない。生き延びた私にできることは、強くなることだけだった」
その声に、重さはなかった。
ただ、あまりに淡々としていたせいで、逆に心がざわつく。
「拾ってくれた騎士団の人間が、私に剣を教えてくれた。最初は、誰の敵を討ちたいのかすら、分からなかったんだ。ただ、強くならなきゃいけないと、焦っていた」
「……ずっとですか?」
「そうだな。振り返る暇もなかった。前に進む以外、選択肢がなかったからな。気づけば、誰も隣を歩いていなかった。故郷を襲った賊も、とうに壊滅していた」
自らの敵であるはずの賊も、守るべき誰かもいなかった。
それでも彼女は、強くなることだけを選び続けた。
振るう剣は誰かを救うためではなく、ただ、自分の中にある焦燥や恐れと戦うためのものだったのかもしれない。
そんな呪いにも似た思いが、彼女の剣に、今もどこかで燻っているのだろう。
「……でも、何かを守るというのは、思っている以上に面倒なことだ。時に、慕われることも疎ましく思ってしまう。私は、自分に向けられる感情には疑いから入る。まず疑って、それから観察する」
その言葉には、あきらめにも似た静けさがあった。
敵意でも好意でもない。
ただ、自分の目で確かめるまで信じない。
それはきっと、彼女にとっての生きる術であり、剣と同じくらいに長く、自分を守ってきたものだ。
「……それ、疲れませんか?」
思わず問いかけていた。
セラフィーネはわずかに目を細めて、月を仰ぐ。
高い位置に浮かぶ光は、彼女の頬の輪郭をやさしく照らしていた。
彼女は、剣を握るときと変わらないくらい凛としていて、それでもどこか遠くを見ている。
「――たまにはな」
吐息に似たその一言が、夜気に溶けた。
「さて、そろそろ寝なければ。明日の朝も、剣を振って雑念を振り払う必要があるからな」
俺たちはしばらく黙っていたが、やがて彼女が明るい口調で言って、倉庫に戻っていった。