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 リーネットがはっとして立ち上がる。


「この時間に誰かが……?」


 倉庫の扉の前に、確かに気配があった。

 ただの通行人のそれとは違う。重さと、確かな意思を感じる足取り。

 扉の向こうから聞こえたのは、静かで、それでいて空気を支配するような、威厳ある声。


「……都市案内人リーネット・アルマリア。神聖騎士団・団長セラフィーネ・ルクレティアが参上しました。バージル殿と話がある」


 名前を聞いた瞬間、リーネットの顔から血の気が引いた。

 同時に、室内の空気がひやりと凍るような感覚に包まれる。

 凄まじい圧だ。模擬戦で感じた、あの張り詰めた緊張とまったく同じだった。


「……バージルさん、私たちはいきなり終わりかもしれません」


 リーネットの声は震えていた。

 恐怖だけじゃなく、混乱や不安も混ざり合っているようだ。

 しかし、ここから出ないわけにはいかない。

 理由は分からないが、ここにいることはバレてしまっているからだ。

 俺は立ち上がると、扉に向かい、手をかける。

 ギィ、と木の軋む音が響き、冷たい夜気と共に外の気配がなだれ込む。

 そこに立っていたのは、やはり――セラフィーネだった。

 年齢は二十代前半といったところだろうか。

 俺よりは小さいものの、一般的な女性の平均身長よりは高く、引き締まった体格をしている。

 ただ、先ほどは結んでいた髪が下ろされていて、艶のあるストレートな黒髪が印象を和らげているようだった。

 意志の強さを感じる琥珀色の瞳も、今ばかりは優しさの表れに思える。

 彼女は少しの間、俺の顔を眺めていたが、音量を抑えて声を出す。


「こんな時間に訪ねるのは非常識だと理解している」


 俺が何か返そうとしたそのとき、後ろから小さな声が漏れた。


「セラフィーネ……様……」


 リーネットだ。彼女は恐る恐る顔を覗かせ、俺の背中越しにセラフィーネを見つめていた。

 先ほどの震える声とは違い、今のそれはどこか、覚悟の混じったものだった。

 セラフィーネは俺たちの視線を受け止めてから、ふぅ……と、ため息をつく。


「戦いに来たわけではない、そう身構えるな。ただ、話がしたくて来ただけだ」


 その言葉に、俺もリーネットも、少しだけ肩の力を抜いた。

 ただし、話の内容によっては、今まで以上に厄介なことになる気がする。

 そしてたぶん、俺の勘は外れない

 沈黙が数秒続いたあと、セラフィーネは一歩、こちらに近づいた。


「結論から言う。……バージル、貴様を我が神聖騎士団にて、正式に保護する」

「……保護?」


 その言葉の意味を、俺はすぐには理解できなかった。

 

「先ほどは油断から不覚をとったが、貴様の戦闘力は男の歴史を覆すものだった。前例のない存在は、王国の安全において、重要な関心事とされている」


 彼女は一歩前に出る。


「私は、王国騎士団の長として、その動向を直接監視する必要があると判断した。よって、お前には神聖騎士団の保護下――いや、管理下に入ってもらう」


 セラフィーネの瞳が、まっすぐ俺を射抜く。

 言葉は冷静で、抑制が効いている。だが、どこかに針のような苛立ちが混じっていた。

 敗北を受け入れていない証拠だろう。俺の力を認めたわけじゃない。

 ただ、「予測外の出来事」として扱おうとしている。


「私は、王国騎士団の団長として、貴様の管理を要請する。これは命令だと受け取っても構わん」

「命令って、つまり、俺の意志は関係ないってことですか?」

「男にしては勘がいいな」


 皮肉すら混ざった声音。

 彼女の中では、俺の勝利は「一時的な錯覚」か「不運による躓き」でしかないらしい。

 認めたくないのだ。自分が「男に」負けたことを。


「……それなら、なおさら断ります」


 リーネットが驚きに息を呑むのが分かった。

 けれど、俺は怯まず、セラフィーネの視線を受け止める。


「俺は誰かに飼われるために、この街に来たわけじゃない。自分の力で、自分の居場所を探したいんです」


 その一言に、彼女のまぶたがわずかに動く。

 睫毛の陰から見える瞳は、どこか見透かされたような光を宿していた。


「……そうか」


 静かに、しかし確実に感情の熱が潜む声だった。

 リーネットが、ぎゅっと俺の袖を掴む。


「……バージルさん」


 視線を感じる。大丈夫、分かっている。

 俺はセラフィーネの目を正面から見つめ、はっきりと否を突きつける。


「それに、さっき決めたんです。俺はこのリーネットさんを婚約者、またはそれに準ずるものとして、保護官に任命します」

「……なに?」


 セラフィーネの声は低く、感情の読み取れない平坦さを持っている。

 けれど、その瞳だけは静かに揺れていた。


「私の申し出を断り、その女を選ぶと」


 信じられない、と言いたげな呟きだった。

 彼女にとって、人生で初めての体験だったのかもしれない。拒絶されるということが。

 地位も実力も備えた彼女にとって、選ばれることは当然だったのだろう。

 その反応に、俺は気後れしかけた。


「騎士団の管理下に入れば、生活は保証されるんだぞ? 都市案内人を保護官にしたところで、たかが――」

「俺の気持ちは変わりません」

 

 セラフィーネの肩がわずかに動く。

 深く息を吸ったあと、ゆっくりと視線を落とす。


「ふ、ふふっ……」


 乾いた笑いだった。

 次に彼女が目を開いた時、その瞳の色は完全に色を変えていた。

 琥珀色の奥に宿る、研ぎ澄まされた闘志。

 口元は笑っていても、目はまるで獲物を射抜くようだった。


「……都市案内人との契約で逃れられると思っているのなら、それは甘い」


 その一言に、リーネットの身体がぴくりと震える。


「確かに、法の上では問題ない。ギルドの信任を得ていれば、それは保護官として成立する。だが……」

 

 彼女は一歩、俺に近づく。

 その歩幅は小さいのに、空気がまた一段階、重たくなる。


「――それを無事に申請できると思っているのか?」


 嫌な予感が当たった。その確信。


「申請書類は役所を通す。そして、役所には当然、私の騎士団の名も通っている。提出した途端、どういう動きが起こるか――案内人には分かっているはずだ」

「……それは、つまり……」

「バージルの保護官となった案内人が、何らかの不備で資格を剥奪されるかもしれないし、案内人自身が、提出前に『行方不明』になる可能性もあるということだ」


 リーネットが小さく息を呑んだ。


「で、でも、それを私たちに言ってどうなるんですか? たとえ私を殺したとしても、バージルさんは一人で逃げることができます。あなたたちの手が届かない、ずっと遠くまで!」

「それも理解している」


 少し前のセラフィーネの声は冷たく、確かに俺たちに対する挑戦だった。

 故にリーネットも反発という形で言葉を返したのだ。

 だが、「理解している」と告げた彼女の様子は、思いのほか柔らかいものだった。


「共同で保護官になるというのはどうだろう」


 その言葉に、リーネットが顔を上げた。

 驚きと、困惑と、少しの怒りがセラフィーネに向けられる。


「……あなたは、最初からそれを言いに来たんですか?」

「違う。最初は、その男を飼い殺しにするつもりだった」


 セラフィーネの返答は、あまりにもあっけらかんとしていて、逆に怖かった。


「だが、どうにも私に交渉は向かないようだ。戦士だからな」


 彼女は片眉を上げ、軽く鼻で笑った


「だから観察させてもらう。リーネット……とかいったな。この提案を受け入れるのなら、ひとまず二人の安全は保証し、すぐに身柄を拘束することはしない。神聖騎士団としての介入も控える」


 彼女は静かに、しかし確実に言葉を区切る。


「それが、私の提案だ。お前にその資格があるなら、選べ」


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