保護官
なんとか危機を乗り切った俺は、そのままギルドの一室……ではなく、ギルドから少し外れた路地裏にひっそりと佇む、小さな木造の小屋に案内された。
夜風に軋む扉、風化しかけた看板からは、かすれた文字で「倉庫」と読み取れる。
リーネット曰く、ギルド内で寝泊まりすると襲われる可能性があり、護衛官がいるならまだしも、自分だけでは守り切れる自信がない。
だから、普段は使われていない倉庫を宿にすることでカモフラージュに使うのだと。
「とはいえ、この倉庫も一応ギルドの管理下ですし、夜の間は私が
周辺を巡回しておきます。防音設備もありますし、ちゃんと中にはベッドもありますよ!」
そう言ってリーネットが鍵を開けて中を見せてくれると、確かに質素なベッドと簡単な家具は置いてあった。
埃っぽいが、生活できなくはない。
「……まぁ、隠れ家って思えば、悪くないかもですね」
慣れない世界に来て、ようやく一人になれる空間だ。
不安もあるが、それ以上に、少しだけ心が落ち着くのを感じた。
「リーネットさん、ありがとうございます。右も左も分からない俺に、こんなに優しくしてくれて」
「えっ……あっ……い、いえっ、都市案内人として当然のことをしているだけですっ!」
急に赤くなって目を逸らすリーネット。すごく分かりやすいタイプだ。
とりあえず今夜は、ここで一泊。
それから二日が経った。
模擬戦――という名の命がけの戦いを経てから、俺は変わらずギルド裏の小さな倉庫でひっそりと暮らしている。
毎日三食と最低限の生活用品は、リーネットが持ってきてくれる。
都市案内人という肩書きの通り、彼女はこの街の隅々まで熟知していて、俺にこの世界のことを一つずつ教えてくれた。
「ロザリアの人口の99%は女性です」
「だ、男性も一応はいるのか……」
「ですが、大抵は富裕層に飼われ――匿われているので、まず外に出ることはありません。実質いないのと変わらないですね。私だって、男性を見たことはあれど、話すのはあなたが初めてですし」
その事実を聞かされた瞬間、俺は箸を落としかけた。
ちなみに今食べてるのは「なんたら茸の炒め物」とかいう、見た目がキノコで味は豆腐みたいな謎料理だ。
「男性の出生率は魔力の質や流れと深く関係していて、近年はさらに低下傾向にあるっていうのが通説ですね」
「結構、マトモな理由があるんですね」
「マトモというか、分からないから理由をこじつけてる方だと思いますけどね。貴族や富裕層が種の保存を名目に男性を囲うこともありますし、国家が管理対象にする例もあります。この近くのリュミナリオス王国は、その中では比較的、自由な方ですけどね」
自由って言葉がこんなに信じられない世界があるとは思わなかった。
「男性が自分の意思で歩ける街なんて、他国じゃほぼあり得ませんから……最初にここに訪れたバージルさんは運がいいです」
俺は苦笑いを返しつつも、複雑な気分になる。
もしリーネットがいなければ、あの初日にどうなっていたか分からない。
こうして静かに飯を食べれているが、部屋の外からは定期的に、巡回の足音が聞こえる。
昼と夜で交代する見回り役の存在にすら、リーネットは気を配っていた。
この街で、男一人が「自由」に生きるということが、どれだけ特異で、どれだけ危険か、少しずつ実感し始めている。
「……さて、本題はここからなんですよね」
「本題?」
首を傾げると、リーネットは悩ましげに呻く。
「バージルさんを私の管轄下に置けるのって、今日までなんですよ」
「……つまり、どういうことですか?」
俺が聞き返すと、リーネットは手元の器を見つめたまま、少しの沈黙を置いてから、ぽつりと口を開いた。
「仮保護の期間は三日間。それ以上は、正式な所属先を決める必要があります。貴族など、特定の人物の庇護下に入るか、国家に申請して保護されるか……」
リーネットの声は落ち着いていたが、その指先はどこか落ち着かないように膝の上を撫でていた。
「つまり……今のままじゃいられないってことか」
「はい。私が都市案内人としてできるのはここまで。でも、あなたの存在はすでに、セラフィーネ様の率いる神聖騎士団に知られてしまっている」
「……俺に、逃げ道はないってことか……」
はい、と告げるリーネットの声には、どこか寂しさのようなものが滲んでいた。
その気持ちに気づいた俺は、すぐに冗談めかした声を返す。
「だったら、リーネットさんを俺の保護官にできたらいいんですけどね」
そう言った瞬間、彼女ははっと顔を上げた。
驚きの表情。その裏に、何かに気づいたような光があった。