sinäは何しにルオトラへ?
うまく描写を入れられなかったのですが、移動するときのアジェーナは臍帯を自分の腹部にまいて、外肺(試験管の蓋)は背中に背負っています。
翌日。全身の痛みもすっかり引いたアジェーナは、辺境伯屋敷の中を、マルヤーナに案内してもらうことになった。アルマスも後程合流するとのことである。
「助けていただいた上に観光までさせていただけるなんて……」
「いえいえ、これも領主家の務め。率直に言ってしまえば、一種の外交活動ですから」
葦原皇国とルオトラ王国の間にはかなりの距離があり、国交はほとんどないといってよい。しかも、アジェーナの肉体は明らかに高度なグリッチの産物であるから、彼女かその庇護者は葦原で一定の権力を有すると推定される。それゆえ、ここでアジェーナのルオトラに対する心証を良くしておけば、今後の葦原-ルオトラ関係に良い影響を与えられることが期待できた。
「世界的には、どちらかというとエルフを嫌う国家のほうが多いんでしたっけ?」
無論、アジェーナも辺境伯家側の事情は了解している。せっかく相手が好意的なので、この世界に生まれてから1年と少しの彼女は、情報収集がてらマルヤーナにいろいろ聞いてみることにした。
「そうですねぇ。大部分でヒトより優れた人種というところが、無駄な敵対心や無意味な警戒心を呼び込んでいるところがあります。エルフもエルフでヒトを下に見る人がいますから、あと2世紀くらいこの対立は終わらないと思いますよ」
いつも通りマイペースかつ丁寧な口調でマルヤーナが答える。しかし、雰囲気はふわふわしているが、常に周囲を警戒し、何があっても即座に対応できるように日ごろから備えている人の身のこなしをしているのが、アジェーナには何となく見て取れていた。
辺境伯とは、異民族などとの衝突が激しい「辺境」を治める貴族家であると聞く。リントゥアルエ家もそれに当てはまるのであれば、彼女も実は武闘派なのかもしれない。
「へぇ~」
「葦原の方々は、エルフ系種をどのように見ているのですか? アジェーナさんはノールボッテンに飛ぼうとしていたみたいですし、そんなに悪感情は抱いていないように見えるのですが」
マルヤーナも葦原について探りを入れる。情報は自分たちで直接得たものが一番正確だ。
「そうですね……大抵の人は外国のヒトと区別がついていないと思います。葦原にはもともとエルフは住んでいなくて、チュン人の仙人やノレギ人のエルフが、通商や外交のため、あるいは遭難の結果葦原にやってくる、といった状況なので」
「あ、ノレギは葦原と交流があるんですね」
「はい。私のアールヴ語は、ノレギから来た雇われ外国人に教えてもらったものなんです」
ノレギ王国も、ルオトラ連邦と同じエルフ系種が貴族階級を構成する国で、昔はアールヴヘイムと同君連合を組んでいたこともあった。それゆえ、ノレギ語とアールヴ語は鹿児島弁と青森弁程度の類似性があり、どちらか片方を学習していれば、もう片方の習得も容易である。
「なるほど、アジェーナさんがアールヴ語を話せるのは、そういう事情だったんですね。私たちルオトラ貴族も、アールヴヘイムと円滑に外交するため、アールヴ語を勉強させられるのですが、ルオトラ語とは全然別物なのでなかなか大変で……」
一方、ルオトラ語とアールヴ語は別系統の言語であり、どちらかと言えばチュン帝国北方辺境民の土着言語との方が近縁であるくらいだ。
「もしかして、私が目を覚ました時、最初にルオトラ語で話しかけてました?」
「はい! あれがルオトラ語です」
「そっか、アールヴ語とはあれくらい別物なのね……葦原語もアールヴ語とは品詞の順番からして違うんで、それはそれは苦労しましたよ~」
そんな世間話をしながら、屋敷の様々な部屋を案内されていく。北欧風の調度品が上品にそろえられた応接間、ちゃんと晩餐会のできそうな大食堂、麗らかな日光の差し込む居間。どれもがアジェーナにとっては前世でも今生でも馴染みのなかった西洋の高級建築で、ただただ圧倒されては間の抜けた声を出すばかりである。
「……そろそろですかね。ではアジェーナさん、いったん外の方を回りましょう。ちょうど見せたいものもありますので」
そんな感じで小市民っぷりをアジェーナがさらしていると、懐中時計──丁寧な彫刻の施された、高そうな銀時計だった──で時間を確認したマルヤーナはアジェーナを屋敷の外へと連れだした。
屋敷を裏口から出ると、庭の片隅にアジェーナの乗ってきた飛行器の残骸が庭の一角に置かれていた。
「あれは……」
「はい、あなたの乗ってきた飛行器です。アジェーナさん」
変わり果てた愛器の姿に、アジェーナは思わず残骸の元へ駆け寄る。胴体の後ろ半分と尾翼類は回収できなかったのか欠落しており、残った前半部分も外板がめくれていたり、時限信管榴弾の破片による大小無数の破孔があったりして、とても修理可能には見えない。
「見てのとおり、残念ながら修理不能だ」
「アルマスさん……」
さっきまで残骸の陰で何かを調べていたのか、アルマスがいつの間にかアジェーナの横に姿を現した。
「構造自体は連邦陸軍の空挺兵が使用する飛行器を大型化したような感じに見え、特別新しいものではない。だが、白色の無機繊維織物を、黒色の樹脂のようなもので固めた未知の材料で作られているし、ベクトル魔法回路も我が国の物とは設計思想も素材も違う。申し訳ないが、これを直して祖国に飛んでもらうのは相当難しそうだ」
「うう、すみません……」
なんとなく前世からの癖でアジェーナは謝ってしまう。アルマスが挙げた要素はアジェーナが生まれる前後に、彼女の先輩が仕様を策定したもので、アジェーナには何の責任もないのだが。
「それはまあ、冷たい言い方をすればアジェーナ殿が困るだけであって、我々にはどうでもよい。だが、あなたが空から落ちてきた状況そのものにそもそも不審な点が3つある。ことと次第では、我々も何かしらの対応を迫られるかもしれないものだ。それゆえ、これからする質問には正直に答えてほしい」
「……!」
雰囲気ががらりと変わる。肉体的には10歳近く離れていそうな少年から、まるで老成した大元帥のような威圧感が放たれ、アジェーナは思わず息をのんだ。