見えないものを見ようとして
やっぱりみんなグリッチの設定はちゃんと作りこんだ方が面白いんだよね……?
眼下にはゆっくりと確実に地獄が広がり始めていた。
サイマー河を挟んで始まった歩兵同士の交戦距離は、チュン帝国兵の夥しい量の血を代償として、確実に縮まっていた。それはつまり、川幅の広いサイマー河と言えど、いつかは渡り切られてしまうことを意味する。そうなれば、その先に待っているのは物量がものをいう血みどろの白兵戦だ。
「……ちょっと待って、これから天候を悪化させるって言った? 法術で?」
「はいですぅ。いくら敵の空挺兵がまっすぐ飛ぶだけで精一杯の素人集団でも、数だけはいっぱいいますからぁ……少しでも、相手の頭数を減らすために、前線部隊には自力で頑張って頂くとのことでしてぇ……」
ピリッタの言葉にアジェーナは、胸が締め付けられる。
たとえチュン帝国が、自らの民族感情のためむざむざ死ぬために兵を送り出しているとしても、ルオトラ側の兵が一人また一人と傷つく状況は何一つ変わらない。
今すぐにでも反転して、高度を下げるべきだろうか。
たとえ嵐が来たとしても嬰智種である自分だけならば、上空で観測員として砲撃中隊に弾着を伝えることが出来るのではないだろうか?
「お願いです。アジェーナ様、上昇してください……おばあさま方の降雨術式がもう迫っています。チュン帝国の飛行機でも、雲上までは上がってこれません。まずは、自分の命の事を第一にお考え下さい……!!」
アジェーナは戦場の狂気に飲まれかけた直後、傍から聞こえてくる諫言で正気を取り戻した。
――自分に出来ることをする。
それは安全を確保して最悪の事態を回避することだった。
「寒っ……」
朝焼けが見えているのに、夜中よりも寒い。
地上の熱気とは裏腹に、上空は息をすることでさえ苦痛になりかねない寒さである。外肺に通う血液を介して、全身が冷えてしまいそうだ。
周囲の護衛隊員も種族に関係なく寒さに顔を顰め、酸素マスクの隙間から白い息が噴出している。気づけば、周囲は既に白を通り越して日の光も乏しい灰色の霧に覆われていた。
「すっご……どんな法術を使ったらこんなことができるんだろう……」
「壁抜け魔法が中途半端に失敗すると、壁抜けさせようとしたものがものすごい周波数で振動するのはご存じですよねぇ? あれでリントゥコトの水から霧を作り出し、それを力学グリッチで上空まで送り込んでいるらしいですぅ……こ、凍えそうだから急いでくださいぃ」
ようするに、湖水を超音波霧化によって超巨大な加湿器をでっちあげているということらしい。
「本当に申し訳ございませんでした! 好奇心の方が勝ってしまいました!」
アジェーナは形式的な謝罪と共に、湧きあがる雲の先を目指して上昇を開始した。
今頃、下は土砂降りになっていることだろう。
周囲に稲光が奔り、ガタガタとルオトラ連邦軍制式飛行器の翼が軋む。
雲はより一層深くなる中、アジェーナはとにかく上空へ向かって落ちていった。
(早く、速く上に……そしたらまだ何かできるかもしれない……!!)
随行する小隊員たちには悪いが、今は一刻が推しい。
外肺に入り込む空気が冷え切る中、アジェーナは深い深い雲を抜けて舞い上がる。
世界一周旅行ぶりの雲の上は、太陽が東の空に輝く中、雲海があたり一面に広がるという、まさに絶景と呼べるものだった。
「青い空に、感動する暇もないかなぁ……」
エルフの古老たちが戦場に広げた積乱雲は、さすがに自然が作ったそれに比肩するものではない。しかし、代わりに地上の熱気と水分を吸い上げながら数千メートルの高さに到達し、大規模グリッチ特有の電波障害を引き起こしつつ、チュン帝国側の空挺部隊の活動と、領域内の索敵を確実に阻んでいた。
「アジェーナ様っ、速過ぎますぅ……一応下との通信、維持できてますけど、基本は待機でお願いしますぅ、ここじゃ私たちも待機が限界なので……」
「わかったけど、何もしないのは、ちょっと性に合わないかな」
数十秒ほど間を置いて、エルフの空挺隊員が一人また一人と這う這うの体で雲を抜け出してきた。
「ピリッタさん。私、今から動けないから……護衛よろしく!」
アジェーナはピリッタが追いついたのを見てから通信機の電波を切り、機体を定常旋回させ始める。
「アジェーナ様、いったい何を……?」
状況を呑み込めていないピリッタを後目に、アジェーナは覚悟を決めて冷え切った金属製の双眼鏡を取り出し、胸部神経節に意識を集中した。目を覗き穴をあて、雲の先に広がる戦場へと焦点を合わせる。
(セットアップ。ムズイ、酸素……寒い……胸の奥が熱い)
外肺の生体発電機がATPを電子の奔流に変え、コンプレッサーがうなりをあげてガス交換器に外気を詰め込んだ。
「前線は、軍旗は、アルマス様は……」
人間の目は、電磁波のうちの一種「光」を受け取り、それを脳で視覚に再構成している。物体を透過できるような光以外の電磁波を感受し、有益な錐体と桿体の発火を選別すれば、文字通り「見たいものだけを見る」ことが可能になるのだ。
しかし、雲よりも高い場所から地上を見降ろそうとするなら、それこそ神仙ほどの神経強度が必要となる。
だがこの場にいる自分は、“アジェーナ”は、葦原の技術の粋たる嬰智種である。人工的な神仙たる自分が、やってやれないことがあるだろうか。いや、ないだろう。
「……! みえる……見えるぞ……!」
実際、ぶっつけ本番で成功するかは、半々といった賭けだったが、しっかりと意識を集中すれば、雲の下に広がる戦場を、個人がどうなっているかわかるギリギリの倍率で睥睨することができた。
「アジェーナ様……? まさか、この雲を透視して下を……?」
アジェーナの息が詰まる。
外肺に取り込まれる酸素のペースが速まる中、アジェーナは望遠鏡をサイマー河の西側へと向けた。
摺りガラスの先には、まさにリントゥアルエ領の郷土防衛隊とチュン帝国の第一軍の必死の戦いが繰り広げられる様が映っている。
それは地獄だった。
現代の戦場をテレビ越しに見つめるのとは訳が違う。
屍山血河を地で行く戦場がそこには広がっていた。
アジェーナが見つめる戦場には、ごうごうと土砂降りと見まごう雨が降っていた。
季節外れの雨はサイマー河を増水させ、その余波で沿岸の塹壕は、風呂桶を返したように泥沼へと変貌していた。
『さみぃ……クソ、本部の若作りの婆共……』
『陣地まで容赦なく降らせやがって……アジェーナ様に次は泥まみれでもあったけぇヒーターを考えてもらわねぇと……割に合わねぇよ……』
ルオトラ側の陣地にいる誰もが、ありあわせの布や毛布を泥に汚しながら凍えていた。
彼らは泥の中で腹ばいになりながらも、銃口はサイマー河の方を向いていた。
『濡れる……チュン共め……』
『復旧を急げ、またアレが来るぞ!!』
事前に降雨グリッチを想定していたため、ルオトラ側の機関銃陣地には雨避けが取り付けられていた。だが、“大量の土砂”に埋もれる形で雨避けごと押しつぶされ、塹壕としての機能を停止していた。虎の子の機関銃陣地すら、土の下に埋められているものもある
「土!? 土砂、なんで!?」
「アジェーナ様、リアクションだけでは何が起きているのかわかりませぇん!!」
「ごめん、塹壕が土で埋もれてて、驚いちゃった……ごめん。先にアルマス様が無事か見る!! アルマス、えーとアルマス様は、旗が目印……」
アジェーナは一度頭を切り替えて、サイマー河西岸の高台を探した。
アルマスは、確か連隊旗を守る中隊にいたはず。
幸い上空から睥睨していても、連隊旗はすぐに見つけることができた。
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