優勢火力
「味、濃……美味……」
その日の晩、未だに雪のちらつく砲兵陣地の傍に展開した調理場の隅で、アジェーナは食べなれた黒パンを千切って、色味の濃い大豆のスープにつけて口に運んでいた。
一口、塩味の染みたパンを咀嚼すると、口の中に広がったのは酸味以上に際立つ大豆の旨味と塩味だった。
きっと戦闘で汗と共に流れた電解質を補給するためのメニューなのだろう。
ルオトラ料理に珍しく、舌を撫でる大豆の食感以上に塩味を強く感じるのは、本当に嬉しい。
「あじ、濃い……おいしい……」
(アジェーナ様、さっきからそれしか言ってないな……)
(葦原料理はあっさりした味付けだと聞くが)
(実は脂っこくないだけで、塩味は強いらしいぞ)
(それに慣れてたら、うちの料理はつらいだろうなあ)
周囲からの視線がなんだか痛い気もするが旨いものは旨い。
しっかりと熱の入った温食が、昼以上に冷えた戦場では体に良く染みる。
今日一日大して働いていないのに、このような物を頂いていいのかと思わなくもないが仕事が奥様のお喋り相手くらいしかないのだから仕方ない。
(みんなの表情もおおむね明るいし、やっぱり戦況は良いんだろうな)
実際、リントゥアルエ郷土防衛隊は想像以上にチュン帝国軍からの圧力を跳ね返していた。
アジェーナが思い出す限り、今日一番肝が冷えたのは、イルマタルとのお茶会中にチュン帝国側から散発的に砲撃されたあたりだった気がする。
『奥様……第1大隊正面の敵軍に渡河の気配があるとのことで、砲撃を要請されておりますぅ……』
『あら、今日はこのまま小競り合いで終わるかと思ったけど、一応仕掛けてくるのね……それじゃ、中隊各位、砲撃……圧縮榴弾で歓迎してあげなさい』
その後、リントゥアルエ領の砲撃中隊がお返しに敵架橋設備付近に叩き込んだ正確無比な砲撃が幾分“効きすぎた”のだろうか。
チュン帝国の第一軍団からの攻勢は、散発的な衝突の域を出ることは無く、両軍にらみ合ったまま今日は日暮れを迎えることになった。
いまだ、壁抜けグリッチを使えるマクシムの一団はこちらに浸透してはこない。
偵察兵の話では、第一軍団の中で似たような馬賊の男を見たという話があったそうなのだが――
「このまま、何もなく終わるといいなぁ……」
その日、アジェーナは戦時ということで接収された村落の民家であるという女性士官用の“宿舎”の一室で眠りについた。
板張りの仮設ベッドが並ぶ、薄暗い部屋にはすでに何人もの女性士官が横になっている。それなりのスペースが空いているとはいえ、アジェーナが独占できる場所というのは限られていた。数少ない女性士官用の住居ですらこれなのだから、男性士官や兵士に至っては、もっと劣悪な住環境にいるのだろう。
「アジェーナ様、夜更かし厳禁ですよ! ちゃんと寝ましょう!」
御世話役のピリッタ准尉に言われて慌てて靴を脱ぎ、ベッドに潜り込む。
「はぁ……この分だと、明日も早いのかなぁ……」
「ご安心ください、アジェーナ様。これから毎日、寝れるときに寝る生活がはじまりますよぉ」
「それは、なんかヤだ……ちゃんと戦争のこと嫌いになりそう」
午後九時、普段よりも早い就寝時間であるが、今日一日感じた数多のストレスのおかげで幸い眠気はベッドに入ってすぐに襲ってきた。
翌日の払暁、アジェーナが目覚めるよりも前に、リントゥアルエ領の陣地に悲鳴のような伝令の声が響き渡っていた。
「砲撃! 砲撃ィ! チュン帝国の第一軍団より砲撃ィ!!」
その報せを受けて、アジェーナ達郷土防衛隊の空挺隊は微睡の縁から現実へと叩き起される。
「まだ暗いじゃん……今日は早くない……?」
薄暗い仮設ベッドの中で寝ぼけ眼を擦りながら周囲を見渡すと、周辺に寝転がっていた女性士官達は一様に仮設ベッドから飛び起き、そのまま戦闘服に着替え始めていた。
「払暁攻撃……! これは本格的な攻勢ですぅ……アジェーナ様も急いで支度してください!」
「んもぅ……やだぁ……」
半ば強制的に叩き起こされたアジェーナも添い寝していた外肺を背負い、仮設ベッドのすぐ脇にあるラックに掛けておいた防寒服を着こんでいく。
耐えず響く地鳴りを聞きながら支度をする間にも、戦場から雄たけびが聞こえてきていた。両軍の地上部隊が、何らかの形で衝突を始めているのだろう。
「アジェーナさん、そんな装備じゃ凍え死ぬわよ?」
「イルマタル様?」
「なんでここに!?」
いつの間にか、女子宿舎の扉から顔だけ突っ込んで来たイルマタル様が、司令官然とした表情を二人に向けていた。
「アジェーナさん、敵の空挺が本格的に動く前に天候を変えるから、空に避難しててもらえる?」
思わず叫んだアジェーナにイルマタルはとても冷静にそう告げる。
そうして、朝五時十五分。
昨日より明らかに厚い防寒装備を着込んだアジェーナは、護衛の飛行器部隊を10名ほど連れてまだ日の登らぬ空へとその一歩を踏み出した。
「砲撃が全正面に……大丈夫なんだよね!?」
飛行器のベクトルを操作して空へと堕ちていく中で、アジェーナは幾多の砲弾がリントゥアルエ領の全軍に向けて絶えず降り注いでいるのを見つめる。
「旦那様と奥様がどうにかしますから、全力で飛んでください!!」
チュン帝国の砲撃は文字通り、あらん限りの総力が注がれていた。一門一門は旧式といえど彼らには圧倒的な数がある。
着弾する砲撃の多くは防御グリッチにて防がれているものの、空気の壁を貫通せんとする威力で空中に黒煙の花を咲かせていた。そのうちのいくつかは、明らかにアルマスたちのいる第一旅団の陣地付近に着弾している。
「ねぇ、本当に大丈夫なの!?」
砲撃が地上部隊に降り注ぐ中、地上では明らかに、チュン帝国の渡河作戦が始まりつつあった。アジェーナが裸眼で見る限りでも、サイマー川の西岸に向けて、敵軍の渡河装備である数メートルほどの“橋桁”が川岸に並べられているのがわかる。あれだけ大きな構造物ならば、何らかのグリッチが仕込まれていてもおかしくはない。
「そんなことより自分の心配をしてくださいませ! この戦、アジェーナ様が捕まっても負けなのですよぉ!」
ピリッタに叱咤され、アジェーナは速度を上げる。とはいえ、着々と渡河の準備を進めるチュン帝国軍の動きが気になって仕方がなかった。あれに何とか砲弾を直撃させたい。地上の歩兵部隊や機関銃陣地で対抗できるとは思えない。
そんなアジェーナの心配を知ってか知らずか、ルオトラ側は、あらゆる手段を用いて押し寄せるチュン帝国に抵抗していた。機関銃陣地からは絶えず銃弾が光線を描き、サイマー河へと向けて砲兵の砲撃が絶えず浴びせられている。しかし、肝心の架橋機材には、なかなか直撃弾が出ていない様子だ。
「あの橋みたいなやつ! もっとちゃんと狙わないとだめじゃないの!?」
「それはそうですが、もう時間切れですぅ……これから天候を悪化させますから、空挺部隊による弾着観測はできませんよぉ」
逃走中とはいえ、可能なら出来る限りで地上の人たちが生き残れるよう何かできないだろうか――
そう考えるアジェーナではあったが、ピリッタの言葉と共に周囲の空気が一層冷たくなっているのを無視することは出来なかった。
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