そうはいってもここは戦場である
「大丈夫よ、どうせ今頃はあっちの参謀本部でも飲み会が始まってるわ」
「さすがに旦那様はそんなことなさいませんよぉ!」
「……ああ、どうせならアルマスのところに行ってしまおうかしら。煙幕の中でトナカイのローストを頂くくらいなら、硬いパンと塩辛い豆のスープの方がいいわ」
「塩辛い……? スープなのに?」
まるで子供のようなイルマタルの反応に困っていたところでアジェーナであったが、彼女の口から不意に聞きなれない単語に対する疑問が零れた。
「あら、アジェーナさん。ルルから聞いたわよ……ウチの料理は味が薄いって……アジェーナさんのお口には、合わなかったかもってルルが芋虫のように床をはいずりながら言うのよ」
「うぐっ……それ、来たばっかりの頃の話じゃないですか」
必死に隠したつもりではあったが、案の定気にさせてしまったらしい。目を背けていた思い出を蒸し返されて、アジェーナの中で申し訳なさがぶり返した。
「まあ事実だもの。それに、人それぞれ好みに違いがあって当然じゃない?」
別に気に病む必要もない、とでも言いたげな態度でイルマタルは言う。
「でも戦場だけは特別なの。みんな動き回るから塩はしっかり入れるのよ」
得意げな語り口を聞いているとアジェーナの脳裏に、初めて食べたシチューの味がぼんやりと思い出された。
あれから季節が巡る間、日々の食事や宴会などでカラクッコなど色々な物を食べたが、確かにルオトラ料理を食べてきて特別調味料の味を強く感じたことはない。
「そうだわ。料理長に今日は参謀本部の連中もみんな豆のスープにするように言おうかしら、酒の特配もどうせするんでしょ?」
「まぁ、皆は……それでも喜んで食べそうですけどね。あ、勿論、私は勿論喜んで食べますよ」
「ま、アルマスもルルも、口に入るなら何でもいいものね。砲艦を取りに行っているマルヤーナさんもそう。あの娘も文句は言わないと思うわ。ま、言わせないけどね」
「常在戦場は世知辛いですぅ……」
豆のスープ、生前であれば別段楽しみとならないメニューなハズなのに、塩っ辛いという一文がこれ程魅力的に想えることがあるだろうか。
だが、何かおかしい、今、自分は最も重大な事実を見落としているのではないか? そんな思いが、アジェーナの脳内を駆け巡り、そしてあることに気が付いた。
「そういえば、トナカイって今まで食べたことないかもしれない……如何にもルオトラっぽいグルメなのに!?」
「だいたい軍需物資だもの。ここで食べるのも必勝祈願みたいなものよ」
「貴族にとっても、ごちそうですぅ……パパが猟で撃ってきたときしか食べられませぇん……」
アジェーナは気づけば先ほどまでの緊張が嘘のように、食肉への思いを語っていた。
温室の設置が進めば、トナカイ以外にも養豚・養鶏が進むのではないか?
寒冷な気候を生かすならば、酪農はどうか。
「そうだ、この戦いで生きのこれたら、葦原に帰る前にタルヴォに用意してもらいましょうか」
「ええ……いいんですか? でも、貴重な軍需物資って言いませんでした?」
「いいのよ。だって、お祝いよ?戦勝記念の門出よ? そんなものは必要経費よ。あの人にも文句は言わせないわよ」
結果として、アジェーナの熱意がイルマタルの口約束に変わったときだった。
不意に地面が低く唸りを上げる。丘全体が揺れるような振動が伝わってきて、思わずカップの中の液体が飛び散りそうになった。
「えっ、これって……」
「河向いからの御挨拶ね」
二人の目の前に見える陣地に爆炎が上がり、低い轟音が丘を包んだ。
慌てたピリッタが子供のように抱き着いてくるので、冷静になったアジェーナは大人しく宥めるように頭を撫でる。
炸裂したのが典型的な榴弾だということは、冷静なイルマタルのコメントですぐにわかった。
それにしても、実際に戦場で砲撃されて表情も姿勢も崩さない姿勢は流石に戦慣れというレベルを超えているのではないかと思わざるを得ない。
「奥様、怖くないんですか?」
「だって、届いても効かないもの」
イルマタルは眉を僅かに動かしながらも姿勢を動かすこともなく、連隊の陣地の防御グリッチが作動するのを見つめていた。
直後に立て続けに三発、四発と砲弾が落ちてきたが、いずれも塹壕に着弾することなく、大きく離れた森の木々を吹き飛ばしたり、空中で何かに衝突したかのように炸裂するだけで、計上するべき被害は連隊に与えられていないようである。
「回路信管を使ってるわけじゃない、通常弾での様子見ってところかしら」
「つまり……正確に狙えてても意味ないってことですか?」
「そうね、偵察が有効でないと判断して無理せず一旦撃ってみようって腹積もりなのは素直に評価するけど……」
散発的な砲撃は、それから幾度も鳴り響いていた。
徐々に砲撃の密度は上がり明らかに威力の高い爆発も巻き起こるが、目の前の塹壕からは大した悲鳴も上がっていない。
「これが、陣地用防御法術……」
「ええ。あなた、空中散歩魔法は使えるわよね?」
「はい、空中でさらにジャンプする奴ですよね? 慣れてないときは、手に持った棒とか出したりしまったりしながらやる……」
アジェーナがまだ葦原で生まれたばかりのころ、発話グリッチの次に学んだ思い出深いグリッチである。やり方をパフィリアから教わった時、本当にバグ技なんだと実感したものだ。
「あれ、要はジャンプする瞬間、足の裏の空気の密度を劇的に上げているのよ。それを蹴ることで空中を跳躍してるのよね」
「えっと、それとこの防御グリッチに何の関係が……?」
「鈍いわねえ。この魔法で陣地上空の空気の密度を上げておけば、敵の砲弾の空気抵抗が激増して、あらぬ方向に飛んで行ったり、空中で『弾着』したりするでしょ?」
「あ、ああー!」
よくもまあそんなことを思いつく人間がいたものである。イルマタルに言われてようやく気付いたアジェーナは、情けない声を上げてしまった。
「ま、そういうことだから、あなたものんびりティータイムに勤しんでくれていいってことよ」
「はぁい……」
攻撃に用いられるグリッチに対するグリッチ避けの発展は現状“拮抗”しているという話を、以前何処かで聞いた気がした。事実として、技術に劣るチュン帝国の砲兵は、リントゥアルエの防衛網に有効な損害を与えることは出来ていないようである。
だが、自らのいる場所が安全だとわかってもなお、アジェーナの心臓はやかましく早鐘を打つのだった。
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