略取
(眠れない……)
夜、カヤーニ子爵領での交渉の後で形式的な晩餐会を経て、アジェーナは一人、領主の館の客室で悶々とした時間を過ごしていた。 原因はいろいろと考えられるが、一番大きいと思われる要因は、アルマスに語った一言に付随する漠然とした不安であった。
「やっぱり、戦うことになるのかな……」
ふと、思考が言葉として漏れる。まだ決まったわけではないが、兵隊ではないアジェーナ自身が、実際に領邦の人々と共に戦う姿を想像することは出来なかった。
(私に何ができるんだろう……)
確かに自分はリントゥアルエの地に降り立って、彼らの置かれた状況や生活を改善するために力を尽くしてきた。
けれど、アルマスとマルヤーナはその先を見ている。セルヴァや他のメイドたちも、きっと内心でこの先待ち受ける戦争という未来に向き合う覚悟が出来ているのだろう。
(強くなるったって……まだ戦う覚悟だって出来ていないのに……)
自分だけ安全なところにとどまり続けるということに対する後ろめたさが彼女の心にはあった。このまま何もできないまま時間が過ぎてしまえば、いつか自分はアルマスたちの足手まといになるのは明らかである。
そうならないために、何ができるのか。
生前よりアジェーナは、こう言った状況に立ち向かえるスポ根的な意志を持った経験はない。特別な能力が芽生え戦局を変えうる個人となっても、武器を振るえることと、敵と戦うことは別である。
生まれながらにして戦うことを考えてこなかったアジェーナにとって、具体的にどうすればその能力を発揮できるのか――それは自身にとっては、一朝一夕ではたどり付けない問いであった。
懊悩は不安を呼び、安心と共に眠気が去る無限ループ。その最中、コンコンという控えめなノックの音が部屋に響いた。
「どうぞー」
アジェーナがこんな時間に誰だろうかと思いつつ返事すると、ドアが開きお盆を持った少女が入ってきた。
「……お邪魔します。領主さまより、アジェーナ様が眠れていないならば差し入れをと仰せつかっております」
どうやら、給仕係の子だったらしい。年恰好から見て、おそらく二十歳といったところだろうか。
彼女はベッドサイドの小さなテーブルに湯気を立てているホットミルクの入ったカップと砂糖菓子の乗った皿を置いてくれた。
「ありがとうございます……その、よろしくお伝えください」
アジェーナにコップを渡すとメイドはそそくさと部屋から立ち去っていく。
残されたのは、コップ越しに熱を感じる一杯のホットミルクであった。
月明かりに照らされ滋味を感じる香りが部屋を満たす。
貴重な差し入れ、飲まなければ勿体ない。
「ごくり……」
ベッドに腰掛けたアジェーナは、喉を鳴らすと、掌の中に納まる春の恵みに口を付けた。
「あまっ……おいし……」
舌の上を滑るホットミルクは、蜂蜜が加えられているのか濃厚で甘い味がした。
そっと地面の緑を思い起こすような香りが混じるのも、きっとこの村でトナカイたちが食べる苔に由来しているのだろう。
ホットミルク自体も息で冷まさずとも丁度いい温度なのが気が利いている。
アジェーナはこく、こくと喉を鳴らしながらも、ホットミルクの滋味の中に加えられた蜂蜜の甘味を探すように、嚥下していく。
それにしても客人とはいえ、蜂蜜入りのホットミルクをもらえるなんて随分と気が利いている。
カヤーニというルオトラ連邦有数の都市で養蜂をしているという話は、アルマス達からは一切聞いてはいない。
ということはきっと、この蜂蜜は自然の蜂の巣から取れた本当に貴重な自然の恵みで間違いないはずだ。
「養蜂って、お花とか……果物とかハウス栽培でやるなら、要るよね……提案してみようかな……」
熱が胃に流し込まれるたび、ほっとするような温かみが腹から広がっていく。
アジェーナは自分が随分と気を張っていたことを自覚し始めていた。
思えば、今日は普段よりも浴びている情報量が明らかに多い日であった。
カヤーニ領という都市、新たな出会い、甘味、晩餐……自らのおかれた状況の再確認。
「ごちそうさまぁ……」
気が付けば飲み干したカップを備え付けの机の上に置いて、アジェーナはベッドに倒れ込んでいた。
「あぁー……ふかふかだぁー……」
ダメだ。もう、難しいことは考えられない。
横になった瞬間、眠気がやってくる。このまますぐにでも眠りに落ちてしまいそうだった。
だが同時に、身体の内側はほこほこと暖かく、身体の節々にあった重いものが消えていた。
そうしているうちに、いつの間にか自分は眠りの世界へと旅立って――
(…………)
―――ガサ、ガサッ
「……い」
ぼんやりとした意識が徐々に覚醒し始める。
体が鉛のように重たい感覚があるものの、アジェーナは暗闇の中意識を取り戻しつつあった。
「う……?」
ただ、暗い。何も見えない。
手足が動かないあたり、おそらく何らかの拘束具をつけられて動けないのだろう。
手足を動かそうにも両手と両足がそれぞれ縄で縛られているのか自由に動かせない。
咥内にタオルのようなものが詰め込まれたうえで、何か布のようなものがかまされている。
頭部を覆い隠すような何かが頭を覆ったところで、不意にアジェーナは目を覚ました。
「な……何!?」
眠気にぼやけた脳が、情報の処理を拒む。
だが、何のいたずらか理解する前に、アジェーナはグリッチで大声を出していた。
「何、え、何……!? アルマスさん、マルヤーナさん!?」
気づけば、月明かりが差していたはずの目の前が布越しの漆黒に包まれていた。
つまり、自分は誘拐されようとしている。
それでも、アジェーナが館に響くような“大声”が出せていたのは、自身の発声方法がグリッチに依存していたからではなく、今日の戦闘を間近で見て大なり小なり現実的な「覚悟」が心の片隅にあったからだろう。
『畜生!! この化物が、なんで声だせんだよォ!!』
『睡眠薬を飲んだのに、なんで猿ぐつわ越しに声が出せる――密技か!?』
『あのバカ領主、しくじったのか……』
『何でもいい。さっさと黙らせろ』
そんな彼女の声に呼応するように、焦りを含んだ数人の男の声が周囲から響き、即座に黙った。
『すまないね、お嬢ちゃん……恨むなら俺じゃなくて上の奴らにしてくれよ』
アジェーナが直後感じたのは、首筋を打つ強い衝撃だった。
幸いだったのは、体の力が一気に抜けるような衝撃に反して薬品で麻痺した神経系は驚くほど鈍感であった。
「アジェーナ様、どうしたのですか!?」
(マルヤーナさん……わ、私、どうなるの?)
扉を挟んでマルヤーナの声と、部屋のドアノブをひねる音が響く。
かくして、アジェーナの意識は、混濁と共にシャットダウンするのだった。
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