川下り
のどかな川下りだった。
「すご……観光地みたい……」
郷土防衛隊所属の河川哨戒艇の甲板上で、アジェーナは感嘆していた。このような光景は今生はもちろん、前世でも直接は見たことはない。
さすがに前世で見た欧州の運河よりは流れが速そうだが、川幅も水深もかなりのもので、先ほどから多くのカナルボートが行きかっているのも納得である。
「あれ、葦原って、運河による輸送を普段使いしてないの?」
セルヴァが不思議そうな顔をして、アジェーナに質問した。
「少なくとも私は見たことないよ。葦原の川は急流ばかりで、こうやって船を浮かべて航行するには向いてないんだ」
「え、じゃあどうやって大量の荷物を運んでいるの?」
アジェーナが答えると、少々驚いたようにセルヴァが聞く。
「葦原は島国で、周りを海で囲われているから、海沿いだったら港から港に船を出すかな」
「じゃあ、内陸の方には?」
「人力……かな……」
実際には何かしらのグリッチを使って、もっと簡単に物資を輸送しているのかもしれない。しかし、グリッチによって引き起こされる事象は概して調整が大雑把になりがちであるから、貨物をそんな雑に扱ったらきっと破損してしまうだろう。だから、多分ほとんどの荷役人夫は人力か畜力で物を運んでいるだろうとアジェーナは考えた。
「え、蒸気機関車は?」
「ないない。私が世界一周を目指して飛ぶちょっと前に、ようやく鉄道路線第1号が開通したんだから」
「運河も作れないし、蒸気機関も最近までなかったんだ……それなら、発展も遅れて当然だよね」
「そういうこと」
正直、神祇官が転生グリッチを開発できなかったら、今頃葦原はどうなっていただろうか。いずれは前世の日本のように旧体制が倒れて、維新が始まっただろう。しかし、今よりもさらに列強との技術格差が広がった状態から追い付くことを迫られたに違いない。
自分もこの面白い体に転生して、面白い世界に生を受けることができたし、今生での故郷も、なかなか運のよい国と言えるんじゃないか。そのようにアジェーナは考えている。
「マルヤーナさん、カヤーニってこっからどのくらいで着きますか?」
セルヴァとの話を切り上げて、アジェーナはリントゥアルエ領からカヤーニまでの所要時間を聞いた。
「ん~、順調にいけば、今日の夕方くらいには港に入れると思いますよ」
横にいたマルヤーナが、いつも通り穏やかな口調で答える。少し離れたところでは、アルマスが指揮官席に座って、水兵たちの働きを監督していた。この水兵たちは今回の旅の間アルマスの指揮下に入っており、滞在中は河川哨戒艇の警備の他、一部は上陸してアルマスたち要人の護衛にもあたることになっている。
「結構かかるんですね」
「あまり喫水を深くできないので、大きくて強力な動力を載せるとひっくり返ってしまいますから」
「ああいえ、船が遅いというより、この川は本当に長いんだなあと思って」
そう言ってアジェーナは、先ほどセルヴァに話したように、葦原の川は全長が短く流れが急で、これほど大規模な運河を見たことがないという話をした。
「そうなんですね。では、いつか帰られた時の思い出話にでもするために、いろいろ見ていってください」
そんな調子で、一行は川を下ってカヤーニの河川港を目指す。きっと良い旅になるだろうと、この時はそう思っていた。
ちょうど日が沈もうとするころ、アジェーナは前方に町明かりのようなものを視認する。そこから川の方に少し視線を動かすと、たくさんの水車が連なってそうな影が見えた。
「……? あれは、もしかして、発電用の水車?」
ルオトラの港湾都市近辺の川岸では、発電用の水車がずらりと並ぶ独特の光景がみられる。近年は都市の拡大とともに必要な水車が増え、河川港への運河船の往来を妨げつつあるとか、そのために電力業者と水運組合の関係が悪化しているとか、道中ではそういった世間話をマルヤーナたちとしていた。
「えーと……うん、それであってると思う。そろそろカヤーニにつくよ、ジェナちゃん」
セルヴァも前方を確認し、アジェーナの認識を肯定する。
「アルマス様の手前、あまり大きな声では言えませんが……今後、葦原皇国から観光客などがルオトラへいらっしゃるようでしたら、ロヴァリンナより、カヤーニの方をお勧めしたいです」
そこにマルヤーナが近づいてきて、周囲をうかがいながら小さい声でアジェーナに言った。
「それは、標高が低くて気候がもうちょっと温暖だから、ですか?」
「それもありますが、単に街が栄えていて、住民も外の方に対して融和的なんですよ」
「あー、他国との貿易で発展した街だから……」
アルマスも「ロヴァリンナよりカヤーニの方が都会だ」と言っていたことをアジェーナは思い出す。今回、彼女たちがカヤーニを訪れるのことにしたのは、水管ボイラーや硝安・硝酸プラントの技術を提供し、見返りに資金を得るためであった。
一見すると、格上の貴族が格下の貴族に金の無心をしているようにも見えるが、カヤーニ子爵の寄り親はエステルボッテン方伯なので辺境伯より格上であるし、そのエステルボッテン方伯領の経済力のうち、かなりの部分がカヤーニ子爵領に由来することは国内では有名なため、意外と不信感は持たれにくいと考えられるのである。
「はい。住民がルオトラ人ではない方を見慣れておりますので、ほかの町よりはよそよそしい態度をとられないかと」
「あはは……まあ、私もそんなに社交的ではないので、ほどほどに来てくれるといいですね」
アジェーナが外を出歩くようになったばかりのころ、彼女がまだルオトラ語を解さなかったこともあって、リントゥアルエ領民は遠慮がちで最低限の事しか話さないような接し方をしていた。とはいえ、あれから半年たった今、住民たちもアジェーナに慣れたし、彼女もルオトラ語が分かるようになってきている。
「……さて、そろそろ上陸する準備をしておいてくれ。子爵邸には、もう今晩から宿泊するからな。必要なものは全部陸揚げしろよ」
「はーい」
アルマスの言葉に従い、各々はいそいそと身支度を始めるのだった。




