使命
大量の黒く濁った水が、大きな金盥の中でひとりでに右へ左へまわっている。水中では大量の洗濯物が水流に従ってもみくちゃにされており、たらいの傍らではアジェーナが目をつぶったまま、水の回転方向が変わるごとに様々なポーズをとっていた。
「うわあ」
「すごい」
その様子を、リントゥアルエ家のメイドたちが驚きながら見守っている。
「朝のお洗濯、メイド全員を総動員してようやく終わるレベルだったのに」
「これ毎日やってくれないかなあ。冬場はお湯で手の脂が落ちて乾燥しちゃって……」
年若い──ように見えるだけで、実は勤続1世紀のベテランもいたりするのだが──娘たちがきゃいきゃい言うのを聞いて、グリッチで桶の石鹼水を撹拌するアジェーナはいい気分になっていた。
「……10分でーす」
「ふぅ……お待たせしました! もう洗濯物を絞って干しても大丈夫ですよ」
横で撹拌時間を計っていたマルヤーナが「洗い」工程の終了を告げると、アジェーナはグリッチの使用をやめてメイドたちに洗濯物を干すようにお願いする。
「ありがとうございました!」
「たすかりますー!」
「またよろしくねー!」
メイドたちはそういってアジェーナにお礼を言うと、金盥に群がっていった。
「おつかれさまでした。すみませんね、こんなの食客にさせる仕事じゃありませんのに」
すっかり恐縮した様子でマルヤーナがアジェーナをねぎらう。まだ実用的な洗濯機も高性能な洗剤もないこの時代、洗濯は重労働であり、女性を家庭に縛り付ける元凶の1つとなっていた。
「いえいえ、このくらいお安い御用ですよ。そういう風に作られてますから」
背負っている外肺の肩ひもを直しながらアジェーナが言う。リントゥアルエ家の中で様々なエルフ系種やヒトと交流してきたが、グリッチの出力、精度、バリエーションなら、今のところだれにも負けていない。であれば、その「性能」を生かしてこの家の人々の役に立つべきだと、彼女は考えていた。
「もしかして、異世界ではこのようなお仕事も、もっと楽にこなせるようになっているのですか?」
「はい。さっき私がやったように、石鹸水の中に洗濯物をいれて、水流で撹拌することで汚れを落とす機械がありますよ」
「それは便利ですねぇ」
前世の洗濯機の事を教えると、マルヤーナは微笑を浮かべながらふわふわと返事をする。それなのに、いつも周囲を警戒しているような様子が見られるので、アジェーナはどちらが本当の彼女なのか測りかねていた。
「洗うだけじゃなくて、今そこでやってるように水ですすいだ後絞るところまで、全部自動でやってくれるんです。ものによっては干す必要がないくらい乾かしてくれるものもありますから、これがない生活なんて前世では考えられませんでしたね」
「あら、それでは現在は並々ならぬご不便をおかけしているのではないですか?」
マルヤーナの顔が曇る。
「いえいえ! 正直ここではお客さん扱いで、葦原にいた時よりも楽させてもらっているくらいです。とはいえ、あんまり何にもしないといろいろなまってしまうので、こうしていろいろお手伝いさせてもらってます」
実際、リントゥアルエ家でのアジェーナはその辺の行儀見習いメイドよりよほど待遇が良い。食事は3食勝手に用意されるし、部屋も外出している間にいつの間にかきれいにされ、隙間風とかも特になく快適に過ごすことができている。
「そうですか?」
「私が快適に過ごせているのは、メイドさんたちの献身のおかげだと思っているので、追加でなにかご用意しようかなと思っているくらいです。それこそ、先ほどの洗濯機とか」
実際、こうして「転生者の手が入っていない国家」で暮らしてみて、初めてわかることがたくさんあった。洗濯もその1つで、葦原では「先輩」が洗濯機と乾燥機を既に設置していたため、この世界の女性たちがいかに洗濯に時間をとられているのかわからなかったのである。
「それは素敵ですね。では、アジェーナさんには図面を書いていただいて、アルマス様とセルヴァに作らせましょう。お洗濯の時間が減らせれば、もっと使用人の皆さんに戦闘訓練を課すことができます」
「戦闘訓練……?」
うれしそうなマルヤーナに、アジェーナが怪訝な顔で聞き返した。言葉通りに受け取れば、この家では使用人にも戦闘の手ほどきをしているということになる。
「はい。辺境伯家の一員ならば、敵は刺し違えてでも殺せなければいけません。血縁者のみならず、この家で働く全ての人間の義務ですので」
「おお……覚悟ガンギマリだぁ……」
ニコニコと微笑みながら物騒なことを言うマルヤーナに、やっぱりこちらの苛烈な性格の方が彼女の本性なのではないかとアジェーナは思い始めた。
「そういえば、体がなまって困っていらっしゃるんでしたね? よろしければ、ご一緒しませんか?」
「ええと、何を……?」
「戦闘訓練です」
嫌な予感がしてあえてとぼけてみたが、やっぱりマルヤーナはこちらを戦闘訓練に誘ってきている。
「いや、私は生身で戦うようにはできていなくて……」
「じゃあ飛行器か何かに乗って戦うのですか? たとえそうだとして、撃墜された後はどうするおつもりで? 味方がすぐ回収に来てくれればよいですが、敵地に不時着した場合はおひとりでその身を守らないといけませんよ?」
いつもの調子は崩さないまま、マルヤーナはアジェーナの至近距離まで迫って圧をかけた。
「アッハイ、ソウデスネ。ワカリマシタ。サンカサセテイタダキマ……」
アジェーナもやっぱりNoと言えない日本人である。マルヤーナの圧力に屈し、今日の戦闘訓練に参加することになってしまったのだった。