自堕落メイドの朝は早い
(まあ、好きで引き受けた仕事だから……)
洗面台の鏡に映った自分の顔を、セルヴァは寝起きのぼけた頭で眺める。
もう2週間はロクに寝ていないのに、エルフでも珍しい銀髪は月のように輝き、珠のような肌にはシミも隈も見受けられない。エルフ系種特有の、極めて活発な代謝のたまものだった。
(……まだまだ頑張れそう)
本当にダメなら、いくらエルフでも死相が出るだろう。そのように自分を叱咤して、セルヴァはいつものように髪をツインテールに結った。
城下町の鉄工所につくと、セルヴァはまず機材の入念なチェックから始める。
『おう、ルルちゃん。今日も頑張ってるね』
『溶接は魔法でできないもん。その分きちんと道具をメンテしないと』
グリッチは世界のバグを利用する関係上、極端な事象を引き起こすことが多い。すなわち、精密かつ複雑な動作──それこそ溶接作業のような──をすることが難しく、グリッチで楽ができる作業と、そうでない作業では生産性に雲泥の差が出る。
(やっぱり、朝からの仕事はきついなあ。愚痴っても仕方ないんだけど)
リントゥアルエ家に奉公に出されてから2年。午前3時に寝て昼前に起きるような生活習慣はさすがに改善されたものの、本質的には夜型の人間である。いつものように眠気をこらえながら機材の整備を終え、そろそろ今日もタービンディスクに親方がグリッチ鍛造で量産したタービンブレードを溶接しようかと思っていた時だった。
「ル~ルちゃん!」
「ひゃあ!?」
セルヴァは後ろから忍び寄ってきたアジェーナに、両手で目をふさがれる。
「進捗どうですかぁ~?」
「後ろから目隠しされてるのに、前から声が聞こえてきて気持ち悪い~」
アジェーナはグリッチでセルヴァに正面から話しかけつつ、直前まで懐に突っ込んでいた手で彼女の両目を温めた。
「ごめんごめん。最近ずっと溶接してるから、おめめが疲れてると思って」
「……おお、たしかにちょっと目がはっきりする」
アジェーナの温かい手が思ったよりも気持ちよく、セルヴァは改めて自分の疲労を自覚する。
「ハウスの方は大丈夫そうだから、蒸気機関周りをキャッチアップしに来たよ。手伝うから何でも言ってね」
正直戦力になるとは思えなかったが、その気持ちだけでも、今のセルヴァにはありがたいものだった。
結局、製造工程を直接手伝うのはちょっと危ないため、アジェーナは炭化カルシウムからアセチレンを発生させた残りかすである消石灰を、グリッチで炭化カルシウムに戻す作業をすることになった。現代でも中学校の理科室に置かれているように、炭化カルシウムは決して手に入りにくい材料ではない。しかし、安い材料でもなかった。
「そういえば、ルルちゃんはアルマスさんのいとこって聞いたんですけど、ほんとですか?」
アジェーナが即席のかまどで消石灰と木炭粉が入ったフラスコを加熱しながら、溶接作業中のセルヴァに話しかける。
「うん。イルマタル様はルルの叔母さんなの。アールニ様とは家出先の近衛連隊で出会ったんだって」
まだ過集中に至ってなかったのか、運よくセルヴァから返事が返ってきた。
「あ、返事してくれた。ふつうの人は法術1つ使うのも神経使うって聞くけど、ルルちゃんはすごいね」
「ジェナちゃんはその声も魔法で出してるんでしょ? もっとすごいよ。……ルルには、これしかないから」
アジェーナの称賛に、セルヴァはどこか闇を感じさせる声で答える。
「そうかな、ルルちゃんかわいいし、頑張ってお仕事してくれるし、働き者だと思うけど」
「……だめなの」
ぼそりと、つぶやくようにセルヴァは言った。
「?」
「ルルは、ルルのお世話が、まったくできないの」
「ええ……?」
思わずアジェーナはセルヴァの方を見る。グリッチで揺らして中身を振り混ぜていたフラスコが、制御を失って天井に跳んでいった。
「お部屋の中を片付けるのも、毎日お風呂とサウナに入るのも、消灯時間にきちんと寝るのも、ルルは小さいときからどんなに怒られてもずっとできなくて……それで、淑女にふさわしいふるまいができるようになるまで帰ってくるなって、リントゥアルエ家に奉公に出されたの」
「……! ~! ~!」
きっと深刻な顔でセルヴァは独白してくれたのだろう。しかし、アジェーナは危険物の入ったフラスコを投げ上げてしまったことに気づき、熱々に熱されたそれを素手でキャッチしてしまったため、大騒ぎをしていた。
「自分が気持ちよくお仕事をするためって思えるようになってから、どうにかほかの人のお世話はできるようになったけど、やっぱりルルしか関係ないことはできないままで……ジェナちゃん?」
キリが良いところまで溶接したセルヴァが振り返ると、アジェーナの姿がない。フラスコは竈にかけられていて、ガラス管付きゴム栓からは消石灰が生石灰に変わるときの水蒸気が立ち上っている。
「あれ、どこ行ったんだろう……」
「ごめんごめん、やけどしたから外まで雪取りに行っちゃってた」
そういって鉄工所の外から残雪を一抱え持ってきたアジェーナが戻ってきた。
「あ、うん……大丈夫?」
「たぶん大丈夫。私、頑丈にできてるみたいだから」
持ってきた雪を地面に盛り、その中にやけどした右手を突っ込んだアジェーナは、口でマッチ箱を咥えて左手でマッチを擦ると、フラスコのガラス管に火を近づける。いつの間にか
消石灰⇒生石灰+水
生石灰+炭素⇒炭化カルシウム+一酸化炭素
の反応が再開され、ガラス管から吹き出し始めた一酸化炭素に火が付いた。
「……」
「で、ルルちゃんは将来何になりたいの?」
「何に……なりたい……?」
咥えていたマッチ箱をポケットにしまいながら、アジェーナは問う。
「んー、難しいよね。じゃあ、将来何かしたいことはある?」
「ルルは……ルルは、太陽を見に行きたい」
「太陽! そいつは素敵だ、心が躍る」
セルヴァの答えに対して、アジェーナは洋画の日本語吹き替えのように陽気な返事をした。
「ルルは自分のミドルネームにも入ってる太陽が好き。だからいつか、あの天空に突き進んで、本物の太陽がどうやって燃えているのか、直接この目で確かめたい!」
セルヴァが力強く言葉を続ける。
「そこでもう一度考えてみよう。太陽を自分の目で見るためには、淑女にふさわしい振る舞いができるようになる必要がある?」
さすがにもう一回フラスコを吹っ飛ばすわけにはいかないため、セルヴァの方は振り向けない。それでもいたずらっぽく微笑みながら、アジェーナはセルヴァに質問した。
「……! 必要、なさそう……!」
「そうだね。別に淑女じゃなくても、技術レベルさえ十分ならば太陽まで飛んでいくことはできる。セルフネグレクトがなかなか治らなくても、別に気にしなくていいんじゃない? ルルちゃんはエルフで、理論上は寿命がないんだからなおさらだよ」
そういってアジェーナはいつの間にか内容物が水色の石ころ──不純物の多い炭化カルシウム──に変わったフラスコを、トングで竈から降ろす。
「……そっか。うん、なんか楽になった気がする。ありがとうジェナちゃん」
セルヴァは憑き物が落ちたように安らかに微笑み、その銀色の髪は竈の光を受けて太陽のようにきらめいていた。
この話はとても楽しく書くことができました。あとは、読者に伝わらない独りよがりな話になってないことを祈るばかりです。
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