ユメスミレは吹雪の丘に咲く
それはそれはとおい昔のことでした。あるところに、ヴィタという魔法の国がありました。ヴィタの国にはさまざまな魔法がありました。人々は広い野原のまん中でゆたかにくらしておりました。広い野原の向こうには、小さな丘がありました。丘の上にはすみれ色のお城がありました。
ある吹雪の晩のことでした。小さな男の子がひとりで丘を登っておりました。野原に住んでいる、トトと呼ばれる男の子です。本当は、サルヴァドールという立派な名前でした。まだ幼いので、あだ名で呼ばれているのです。
どんぐりまなこをパチリと眼を開けると、真っ白な吹雪が目の前をさえぎっておりました。
「寒いっ!」
トトはお城へお使いに行く途中、丘の中ほどにある木の下で休んでいたはずなのです。いつのまにやら、眠ってしまっていたのでした。
「うわあっ」
トトは思わずまた目をつむりました。冬に凍った湖のような、銀色を帯びた青い眼がすっかりかくれてしまいました。銀灰色の長いまつ毛には、びっしりと氷の粒が張り付きました。
(どうしよう。なんにも見えないや)
背中には、それまでよりかかっていた木のみきがありました。慌てて探ると、お城に届ける包みがありました。この包には魔法の葉っぱが入っております。
(葉っぱ、凍っちゃったかなぁ)
トトは心配になりました。
(お城の人に怒られちゃう)
トトは、魔法の葉っぱをお城で何に使うのかは知りません。この葉っぱには、いくつかの使いみちがありましたから。
(凍っちゃったら、ダメになっちゃう)
この葉っぱは、凍ると魔法の力がなくなってしまうのです。
(それに、お城がぜんぜん見えないぞ)
トトは、初めてひとりでお使いに出たのです。いつもは誰かについて行きました。魔法の草花や魔法がこもった道具を、お城に届けることは、時々あったのです。お城の人は親切で、帰りがけにはいつもお菓子をくれました。
(今日は、ココアをくれたかもしれないのに)
暑い日には冷たいレモネード、寒い日には熱々のココアまで出てくるのです。受け取り係のおじさんは、本当にいい人でした。
(これじゃあ、お城にたどりつけないかもしれないな)
両の目をぎゅっとつむって、トトは少し太めの眉をさげました。
トトは一所懸命に考えました。
(ここにいたら、ぼくも凍っちゃう)
トトはブルブルとふるえておりました。
(でも、お城がどっちかわかんないし)
休もうと思ってここで腰を下ろした時には、お日様がぽかぽかと暖かでした。雪のけはいは、全くなかったのです。
(今のうちに出発しないと動けなくなるのに、困ったなあ)
うたたねをしているうちに降り出した雪は、まだ歩けないほどの深さではありません。ですが、今や激しい氷の嵐となって、目の前で積もって行くのでした。
トトは目をつむったまま、思い切って足を踏み出しました。ここでじっとしていても、雪に埋もれてしまうだけでしたから。
(上に行けばいいよね)
丘の地面は斜めです。お城は丘のてっぺんにありました。そこでトトは、とにかく登ってみようと思いついたのです。
(まっすぐの花を持ってくればよかったなあ)
まっすぐの花というのも、魔法の草でした。そのお花を持っていると、いちばん早く着ける道を通ってどこにでも行かれるのです。
トトは、お城への道をよく知っておりました。ですから、便利な魔法の草花や道具は、ぜんぶ置いて来てしまったのです。
トトは、魔法の葉っぱを入れた包を大事に抱えて進みました。頭を下げて、薄目を開けながら上へ上へと登ったのです。一足ずつ、しっかりと傾きを感じながら、慎重に歩いてゆきました。
薄目を開けても見えるのは逆巻く吹雪だけでした。ゴウゴウという風の音しか聞こえません。
(吹雪の中では、大人の人でも迷子になるっていうからなあ)
先に出した足のつま先に、後から出す足のかかとをくっつけながら、トトは不安とたたかっていました。
(だけど、お城よりほかに、吹雪をさけられる場所もないから)
丘のてっぺんまで登りきれたら、お城は必ずあるのです。
(お城の壁は硬くて高くてずっと続いているから、間違えるなんてことはないよね)
トトは、足が硬い物にぶつかったら、腕や頭も使って確かめてみようと決めました。
そうやってしばらく登っていくと、トトのつま先に硬い物が当たりました。
(あっ)
トトの唇は、ふるえながらも弛みました。
(あれ、でもへんだな)
それは、硬くて高かったのですが、お城の壁よりごつごつと尖っておりました。
(なんだ、岩か)
ですが、この丘には大岩が少しだけしかありません。テーブル岩と呼ばれる平たい岩と、双子岩と言われる2個寄り添った岩は、丘の中ほどにございました。
(それだったら、休んだ木より下のはず)
トトが休んでいた木より上には、砦岩と呼ばれる大岩がひとつありました。大人の男の人が見上げるほどに大きな岩です。砦岩には所々に窪みや段々があるので、上まで登ることが出来ました。
(よかった、砦岩なら)
砦岩の下の方には、穴が空いているのです。少しの間だけなら、休めるかもしれません。そう考えるとトトは、元気が出てきました。
(いっかい雪を払って、ちょっと休もう)
吹雪の中を登っておりますから、小さなトトはだいぶ疲れておりました。
砦岩の穴まで辿り着くと、トトは腰に下げた水筒を外しました。
(やった!凍ってない!)
振ってみると、チャポチャポと愉快な音が致しました。
(お母さんが、温度草を入れておいてくれたんだ!)
トトは凍える指先を、手袋ごとはーっと息で温めました。それから、手袋をはめたまま、水筒の栓を外しました。栓は紐でつながっておりますから、失くなることはございません。
温度草は、入れておくと食べ物や飲み物の温度が変わらないのでした。食べられない草なのですが、毒にもならないので、とても便利なのです。
トトは、ぬるい水をゴクンと一口飲みました。
「ふーっ」
凍えた口には、ぬるい水でも温かく感じました。トトは生き返ったここちがいたしました。
「んっ?」
気持ちが落ち着くと、穴の中に目が行きました。奥の方に、何か花が咲いております。
「スミレ?」
こんな真冬に、スミレのような花が一輪咲いておりました。恥ずかしそうに俯いております。つつましやかなスミレでしたが、白銀の世界に柔らかな紫色はとても鮮やかに映えておりました。
(くるいざき、というやつかな)
トトは、季節外れに咲く花のことを聞いたことがありました。普通の花にもございます。けれども、魔法の花が狂い咲きをしていたら、必ず摘んでおくようにと言われておりました。
(ポケットにいれたら、潰れちゃうかな)
トトはしゃがんでスミレを眺めました。スミレの花は、ぼんやりと銀色の光をまとっておりました。まるで繊細なベールを被ったお姫様のようでした。
(きれいだな)
控えめなスミレを眺めているうちに、気持ちはすっかり落ち着きました。穏やかな気分になったからなのか、トトはなんだか眠くなってしまいました。
(寝ちゃだめだ。吹雪の中で寝ちゃったら、ぼく凍っちゃう)
トトはくっつきそうな目を必死で開けようとしました。
トトがじっと見つめておりますと、スミレははにかむように微かに揺れました。
「あ、じろじろ見ちゃってごめんなさい」
トトは思わず謝りました。するとスミレはふるるとふるえて、銀の光を強くしました。
「あなた、いい子ね」
かわいい声が聞こえて来ました。トトはきょろきょろと辺りを見回しました。
「こっち、わたしよ、ユメスミレ」
「えっ?ユメスミレ?君の名前なの?」
声はスミレの花から出ておりました。
トトは銀青のどんぐりまなこをいっぱいに見開きました。
「そうよ、ユメスミレっていうのよ」
「ふうん。ぼくはトト」
「あらそう。トト、よろしくね」
スミレは精一杯強がっているような口調で答えました。初めて会ったトトと話すのは、まだ少し気後れするのでしょう。
「ユメスミレ、摘んで帰りたいんだけど、いい?」
「あなた、魔法使いなの?」
「うん!わかる?」
トトは胸を張りました。トトは今日から、ひとりでお城にお届け物をするのです。小さくても、もう魔法使いなんだと自信を持って言いました。本当は、まだ教わることばかりでしたが。
「魔法使いじゃなかったら、ユメスミレを持って帰るなんて言い出さないでしょ」
「そうなの?」
「あら?ユメスミレのこと、知らないの?」
スミレはハート型の葉っぱを花まで持ち上げました。驚いたお姫様が手を口に持っていくようなしぐさです。
「うん、知らない」
「あら、そーお」
「教えてくれる?」
トトは素直に聞きました。
「仕方ないわね。よく聞くのよ?」
「うん!よく聞く!」
「ユメスミレを枕元に置いて寝ると、その夜見た夢が本当のことになるの」
「へー、きみ、すごいねえ」
スミレはまた、ふるると震えました。
「そうでもないのよ。なんでも本当になっちゃうんですもの」
「なんでも?すごいと思うけど」
「ばかねえ。怖いことも、嫌なことも、おばけも泥棒も、怪我や病気も、みいんな本当になっちゃうんだから」
ユメスミレは呆れたように、葉っぱを左右に広げました。
「あ、それで魔法使いしか持って帰らないんだね?」
「そうなのよ」
魔法使いなら、本当になってしまった夢を消してしまうことができるでしょう。トトはまだ教わっていませんが。
「ねえ、ユメスミレ。くるいざきした魔法の花は、特別な力があるんでしょう?君は他に何が出来るの?」
トトは期待を込めて聞きました。
「狂い咲き?違うわよ」
スミレは少し花を持ち上げて言いました。
「違うの?」
「違うわ。ユメスミレは、吹雪の丘に咲く花よ」
「吹雪の丘だけ?」
「そうよ。私はこんな岩陰で咲いてしまったけど、みんなは岩や木のないところで咲いてると思うわ」
「へーっ!よくちぎれないねえ」
トトは感心しました。それから、おや?と首を傾げました。
「でも、ここにくるまで一輪も見なかったよ?」
「そんなにたくさんは咲かないもの。見なくても変じゃないわよ」
「そっかぁ」
トトは納得すると、また水筒から一口飲みました。
「ねえねえ、ユメスミレ」
「なによ」
「それで、ぼく、きみを持って帰っていいんだよね?」
「いいわよ」
「ほんと?でもね、入れて帰る袋や箱がないんだ」
トトは銀灰色の少し太い眉を、悲しそうに寄せました。悲しそうではありましたが、太めの眉とどんぐりまなこが丸顔の中でしょんぼりする様子は、どこかユーモラスでもありました。
ユメスミレにも、トトの様子はおかしく映ったようでした。
「あはは、まぬけねえ」
「ひどいや」
トトがぷっとふくれると、ユメスミレは花の茎を揺らして言いました。
「いいわよ、頑張ってみるわ」
「頑張るって、なにを?」
トトはキョトンといたしました。
「クシャクシャにならないようにしてみるわよ」
「できる?」
「きっとできるわ!」
「きみ、やっぱりすごいや」
トトの瞳は、魔法を宿した泉のように輝きました。
「うふふ、ありがとうね」
ユメスミレの周りを包む銀色は、心なしか朱が差したように見えました。
そこでハッと目が覚めました。
(なんだ、夢だったのかぁ)
トトは穴の外を見ました。相変わらずの吹雪です。
(寒いなあ。もう行かなくちゃ)
トトが起き上がると、柔らかなスミレ色が目の端に映りました。
「あれ?」
ユメスミレです。眠ってしまう前と同じように、うっすらと銀色の光で包まれておりました。
「ユメスミレ、ねぇきみ、お話できる?」
トトは話しかけてみました。
「あら、トト。起きたのね。素敵な夢を見てくれてありがとう」
ユメスミレは嬉しそうに答えました。
「おかげで私、お話ができるようになったみたい。それに、クシャクシャにならない魔法まで使えるようになったようだわ」
「わあ。夢が本当になったんだね!」
「そうよ。わたしたちユメスミレは、夢を本当にするだけのお花ですもの。元はお喋りなんかしないのよ」
トトは、心配そうに眉をハの字に下げました。
「お話し、したくなかった?」
「まさか!トトとお話し出来て楽しいわよ」
「ほんと?」
「ほんとよ!」
ユメスミレは眩く光りました。トトの顔も、きらきら笑顔で輝きました。
ユメスミレと友達になって、トトは力が湧いて来ました。
「砦岩まで来てるから、お城まではもうすぐだ」
出かける前に、トトはユメスミレに話しかけました。
「お城があるのね?」
「ユメスミレは知らないの?」
「知らない。見えないもの」
「あはは。吹雪で何も見えないね」
「そうよ。笑うことないでしょ」
ユメスミレが拗ねたので、トトはなんだか温かな気持ちになりました。
(可愛いなあ)
それからお城に着くまでずっと、トトはにこにこしておりました。まだ寒くて震えておりましたけれど、心はほんわか温かいのでした。
お城に着くと、いつものおじさんがトトをだき抱えるようにして入れてくれました。
「さあ、火のそばにお座り。ココアをいれてあげようね」
吹雪はとても激しかったので、お城の小さな部屋に泊めていただくことまでできました。
「よくまあ、この吹雪の中を、無事にひとりで着いたねえ」
「ひとりじゃないよ、ユメスミレがいる」
「こりゃあたまげた。奇跡の花を連れて来たのかい」
「奇跡の花?」
「夢を本当のことにする花だからね。でも見つけることも難しいし、扱いも難しい魔法の花だよ」
おじさんはトトを誉めてくれました。
「ふうん、ぼく、見つけられて嬉しいな」
「怖い夢を見た時には、気をつけるんだよ?」
「帰ったらすぐに、夢から出て来た悪いものを消しちゃう方法を習うよ!」
「そうか。頼もしいな。トトはもうすっかり、一人前の魔法使いだな」
トトが白い歯を見せて笑うと、ユメスミレも誇らしそうに茎を反らしました。
こうしてトトは、無事お使いを終えました。大きくなったトトがユメスミレと一緒に、恋と魔法の冒険に出かけたのは、また別のお話です。
お読みくださりありがとうございます
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