過去2 異世界
目が覚めた時、僕は草原の中にいた。
背の高い稲穂に似た草が周りを囲むように揺れており、意味も分からないまま首を横に倒す。
力を込めずとも、首が軽く動いた。それに驚き、僕はそっと上体を起こしてみる。体は素直に動き、そのまま立ち上がることまで出来た。
自分がどこまでも広がる広大な草原の真ん中にいることを知り、無意識に息を吸う。スムーズな呼吸に、違和感を覚えた。深く吸っても苦しくない。
体を伸ばし、深呼吸をする。苦しくなるどころか、晴れ晴れとして気持ちが良いくらいだ。
「……僕は、一体……」
そう呟き、自分の声がいつもと違うことに気がつく。手を顔の前に挙げると、骨っぽい手が肉付きの良いものに変化していた。腕も太くなっているようだ。袖をめくってみると、筋骨隆々というほどではないが、力強い腕があった。
と、そこで自分が見慣れない服装であることに気がつく。何故かは分からないが、黒いスーツとコートを着ていた。
黒いスーツと、黒いコート。革靴。サラリーマンと言えばそれまでだが、どこかで見たことのある服装だなと思う。
そうか、最後にハマっていた漫画の主人公の格好に似ているのだ。
まさか、僕はその主人公になったのだろうか。そんなことを考えて、思わず笑いが出る。
僕……いや、その主人公に倣うなら、私か。
私が、もしも新たな人生を歩めると言うなら、思い切り好きなように生きたい。何処までも遠くに行きたい。自分の体にも、誰にも邪魔されることなく、好きな場所に行きたい。
ここが何処かは分からない。見渡す限りの草原で、もしかしたら何処まで行っても何も無いのかもしれない。
でも、それでも良い。自由に歩けるなら、仮令餓死してしまうとしても、その瞬間まで動き続けてやる。
「……さぁ、何処に行こうか」
私はそう呟き、歩き出した。大地を踏みしめる感覚に笑みを浮かべながら。
丸一日歩いた頃、遠くに町が見えた。建物はそれほど大きく無いが、小さな水路が縦横無尽に流れており、所々に家よりも大きな巨大な木が生えている。
物見櫓代わりなのか、木々の枝の分かれ目には幾つか小屋のようなものもあった。
建物は全体的に明るい茶色で、良く見ればどれも木製の家のようである。
「外国、みたいだね」
そう呟き、歩く速度を早めた。丸一日歩くのは楽しかったが流石に疲れてきた。それに空腹も感じている。
だがなによりも、あの見知らぬ町を近くで見てみたいという欲求があった。
「す、凄い……! 見たことのない景色だ。まるで、現実じゃないみたいな……!」
言葉にならない感想を口から漏らしながら、それを見上げた。
町の入り口にもあの巨大な木があった。だが、一言巨大といっても限度がある。遠くからでは分からなかったのだ。まさか、一つ一つの建物が三階建てのような大きさだとは思わなかった。階を重ねるごとに広がっており、一階の方が狭いという不思議な形である。
良くみると、建物の屋上は隣の建物と殆どくっ付いており、足場のようなものも見受けられる。
「へぇ……! 面白い! 地上も広く使えて、建物の屋上同士をくっ付けることで、建物の上も広く使えるようにしてるのか。そして、あの巨大な木には周囲の建物から橋が……」
ぐるぐると見上げながら歩いていると、不意に気配を感じて立ち止まった。
視線を下げると、目の前には目を細めた美しい青年の姿があった。白いローブのような姿で、頭には金色のリングをはめている。ローブの上から淡い緑色のベルトをしているのだが、どこか中東の衣装のような雰囲気だ。
「……君は、何者だ?」
そう聞かれ、何と答えたら良いか分からずに押し黙ってしまった。
「この国を、害する者か?」
次の問いには、すぐに答えることが出来る。
「違います」
そう答えると、青年は不思議そうに首を傾げる。女と間違えそうな仕草だった。また、青年が艶やかな金色の髪を長く伸ばしていることも原因かと思われる。
と、その時、髪の間から細く尖った耳の先を発見する。
「……耳を見てる? まさか、ここが何処だか分からないのか?」
こちらの視線に気が付いた青年は、面白いものを見つけたような顔になった。その質問にも、正直に答える。
「はい。ここは何処でしょうか……そして、貴方は……?」
尋ねると、青年は静かにこちらを眺め続け、不意に笑みを漏らした。
「この少年は大丈夫だ。まったく悪意が無い。むしろ、透明過ぎるくらいだな」
青年が誰にともなくそう言うと、急に周りに気配が現れた。首を回して周囲を確認すると、驚くべきことに二メートルほど離れた周囲に三人の男の姿があった。皆、青年と同じような金髪の美しい男たちである。
耳も同じように尖っている。
そう思って確認していると、ほかの男たちも口の端を上げた。
「たしかに」
「まさか、エルフを知らないのか?」
そんな言葉を聞きながら、私は最初に話しかけてきた青年に頭を下げる。
「私の名前は、神明春馬といいます。失礼を承知で尋ねますが、この場所は……それと、エルフ、とは……」
聞くと、彼らは揃って顔を見合わせ、頷く。
「この場所はエルフの国、ティアーラ・リンデル・ルク・フィルリアス。そして、この町は通称ハイエルフの里と呼ばれる、エルフの国の最奥部にある町だよ」
「そして、我らはこの町に住むハイエルフだ。まぁ、君たち人間から見れば、エルフとハイエルフの違いなんて分からないだろうがね」
「エルフ……半神半人や半妖精的な存在とも言い伝えられる存在、ですよね?」
そう確認すると、彼らは僅かに目を見開いた。
「……へぇ。何も知らないわけじゃないのか。むしろ、真実に近い。普通、人間は我々を亜人と呼ぶんだよ」
「亜人、ですか」
反芻すると、彼らの中の何人かが眉根を寄せる。
「エルフからすれば、それは侮辱なのだ。亜人とは、人間以外を一括りにした蔑称のようなものだ。最初にそう呼んだ人間が、人間以外の者と我らを下に見たからね。そういう意味でなくとも、亜人と呼ばれるのは好ましくない」
一人がそう言うと、最初に話しかけてきた青年が両手を軽く広げた。
「エルフは半精霊人種であり、ドワーフが半妖精人種、獣人らは魔族の血を引く者達だから、半魔人種とでも言うべきか。そして、ハイエルフはエルフ達の始祖であり、半神人種なのだよ。まぁ、神が直接作った種の生き残りとも言えるかな」
そう言って笑う青年に、私は言葉を失った。嘘を言っているなんてことは無いだろう。
では、本当にそんな多種多様な存在がいる世界に、自分は立っているのか。精霊、妖精、魔族、神……それらは神話の物語でしか無い。
つまり、自分の大好きな物語の住人達だ。
「おや? 何が面白かったのかな? とても、嬉しそうに見えるね?」
そういわれて、無意識に笑っていることに気がついた。
「興味深い話ばかりですから。今聞いた全てを、私は見てみたい。全てに触れ、全てを知りたい。半分神ならば、貴方達は死なないのか? 魔族とは? 神は地上にいるのか? 疑問が次々と頭に湧いてきます」
答えると、彼らは顔を見合わせて笑った。
「君は面白い人間だ。我らも殆ど人間には会ったことが無いが、人間は欲にまみれ、嘘をつき、他者を傷付けて殺してしまうと聞いている。しかし、君は……いや、一つ人間らしいところがあったな。知識欲は、凄そうだね」
そう言って、青年は踵を返す。どうすれば良いか悩んでいると、ほかの者が私の肩に手を置いた。
「ついて来なさい、迷い人よ。貴方の知識欲を満たしてやろう」