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選民思想

 湿った重い音が響き、後に柔らかい物が潰れる嫌な音が聞こえた。


「あ……っ!」


 思わず、といった様子で、フードを目深に被っていた長い髪の女が地面に手を伸ばす。


 手を伸ばした先に、硬そうな白い靴が降ってきた。


「ぎゃあっ!?」


 靴に手を踏まれた痛みに、女が悲鳴をあげた。運が良かったのか悪かったのか、石畳の道の上に落ちて潰れた黄色の果物の上に手を伸ばしており、女の手は直接石畳と靴に挟まれた訳ではなかった為、潰れてはいない。


 しかし、蹲った女の側頭部に白い靴の爪先が勢いよく叩きつけられた。


 声も出せずに、女が地面を転がる。飛び散った血が石畳の道の上に落ちて染み込む。


 白い靴の主、二十歳そこそこの見た目の青年が鼻を鳴らし、目だけで周りを見た。周囲に集まり遠巻きに様子を窺っていた人々は、青年の姿を認めた瞬間膝を折って地面に跪いている。


 それをゆっくりと確認し、青年は口の端をあげて吹き出すように笑った。


 周りの者達の多くが単色の質の悪い布を数枚使った安っぽい衣服に身を包んでいるのに対し、青年の衣装は見るからに豪奢な代物である。鮮やかな青色の上下に、何かの紋様のような刺繍が施された真っ白なマントを羽織り、腰には長い剣が差してあり、刀身は見えないが柄も鞘も見事な造りであった。


 明らかに、他の者とは格差のある雰囲気である。そして、青年の周りには付かず離れずの距離に八人の鎧を着た兵士が立っている。


 その兵士達が怖いのか、青年が怖いのか、周囲の者達は倒れた女を気にしつつも動けない様子だった。


「どんくさい女だ。まさか、俺を知らないわけじゃないだろうな?」


 青年は鼻を鳴らしてそう口にすると、倒れた女のフードを掴み、顔を露出させる。


「ほう?」


 青年は目を細めて息を漏らすと、目を伏せて震える女の横顔を眺めた。明るい茶色の髪が顔にかかっているのを、青年は靴を履いたままの足で退けた。


 その顔に青年は笑みを深める。


「泥臭いが、嫌いでは無い。おい、連れて行け」


 青年がそう告げると、二人の兵士が前に出て倒れた女の肩を掴み、無理やり立たせた。


 薄汚れたローブのような服を着ていたが、服の上からでも分かるほど良いプロポーションをしており、兵士の一人が厭らしい表情で小さく口笛を吹く。


「へぇ、流石はダレム様。中々唆られる女ですねぇ」


 兵士がそう呟くと、ダレムと呼ばれた青年は息を吐くように笑った。


「飽きたらくれてやる。ほら、行くぞ」


 ダレムが答え、兵士達が下卑た笑みと共に歓声を上げる。そうして引き返そうと踵を返した瞬間、一人の男が立ち上がった。


「ま、待っていただきたい!」


 大きな声で呼び止められて、ダレムは不機嫌そうに振り返る。


「……まさかとは思うが、俺に言ったのか?」


 言われ、男は怯んだように体を強張らせた。男は筋肉質な四十歳ほどの見た目だったが、若いダレム相手に明らかに怯えている。


 だが、それでもダレムから視線は逸らさなかった。


 男の目が縫い付けたように自分から離れないことに舌打ちし、ダレムが身体ごと向き直る。


「……まさか、見るからに平民のお前が、直接俺に声をかけたのか? この俺に? 馬鹿か、貴様。冗談だとしても死罪は免れないと思えよ?」


 怒りが滲むその声音に、男は冷や汗を流しながら跪く。


「た、頼みます! 娘は、たまたま今日この街に来ましたが、村に帰れば婚約者がいる身です! 婚約者とは来月にも式をし、夫婦となるのです! もし、ご温情を頂けるなら、俺が奴隷にでも何でも……!」


 男は大きな体を小さくして頭を下げ、願い出た。神に祈るように額を石畳の上に押し当て、必死に訴える。


 しかし、ダレムの怒りは収まらなかった。


「本当の馬鹿か、貴様。どこの村か知らんが、この街にいる時点で俺に逆らえるなどと思うな。娘も貴様も奴隷にしてやる。ありがたく思え。婚約者がいると言ったな? ならば、二人とも裸にして貴様の村まで赴いてやろう。そこで逆らう者がもしいたなら、全員反逆罪で奴隷堕ちだ。どうだ? そろそろ自分がどれだけ馬鹿なことをしたのか理解出来たか?」


 早口に捲したてるような言い方でそう告げられ、男の顔は顔面蒼白となる。一方、兵士に拘束された格好の女は、顔を上げて叫んだ。


「だ、誰か……! 助けて……! 私のせいで、お父さんが……村の皆が……! お願い、助けてよぉっ!」


 悲鳴のようなその叫びに、何人かが反応する。しかし、立ち上がることは出来なかった。


「この、クソ女が!」


 ダレムが血走った目で睨み、兵士に拘束された女の顔を拳で殴る。鈍い音がして、また血が石畳の上に落ちた。


「この俺を悪人のように言いやがって……馬鹿な親の子は屑な娘か。救えないな」


 そう呟き、ダレムはまた女の顔を殴る。兵士達はへらへらと笑いながら眺めており、周囲の人々の中には怒りに顔を赤く染める者もいた。


 そして、娘を想う男が立ち上がる。


「誰が立って良いと言った」


 ダレムが手を止めてそう口にすると、男は口や鼻から血を流す娘を見て、覚悟したように顎を引く。


「……すまん。恨むなら、俺を恨んでくれ。俺は」


 懺悔のような言葉に、女は涙を流しながら頷き、そして首を左右に振った。


 それを見た後、男は腰に手を当てる。何処から出したのか、次の瞬間には抜き身のナイフが握られていた。


「……ここまで愚かだとはな。お前ら」


 ダレムが端的に指示を出すと、兵士達はそれぞれが剣を抜き、男に剣先を向ける。だが、男の目にはもう迷いはなかった。ダレムへの怯えもなく、ただ、ナイフを握る手に力を込める。


「あの、ちょっとすみません」


 そこへ、間の抜けた声がした。張り詰めた緊張感の中で、まるで場違いな呑気な声である。


 皆が自然と声のした方向に顔を向ける。


 そこにいたのは、黒い衣服とコートに身を包んだ男だった。髪も黒く、目にかかるほどの長さがある為、印象としては少し不気味なものがある。良く見れば中々整った顔立ちだったが、年齢は推測しづらい。


 男は困ったような笑い方をしつつ、周りを確認して軽く頭を下げる。


「通りがかっただけの身で恐縮ですが、少しあんまりではないかと思いまして……」


 そんなことを言う男に、ダレムの目は一気に吊り上がった。


「……何者だ。まさか……」


 見た目で地位が分からなかったからか、ダレムはかなり慎重に正体を尋ねる。すると、男はゆるりと一礼し、苦笑した。


「いや、誰と答えるのも烏滸がましいですが、聞かれたからには名乗らせていただきましょうか。名を、神明春馬と申します」


「シンメイ・ハルマ……知らんな。どこの家の者か。いや、響きが違う。異国の貴族か?」


 ダレムは僅かに警戒心を持ちながら、春馬と名乗る者の周りを確認するように見る。すると、春馬は困り顔のまま返答した。


「あ、いえいえ。私は別に貴族ではありませんよ。ただの旅行者……いや、冒険者、でしたかね」


 そう言って、春馬は上着の胸ポケットに人差し指と親指を入れて銀色の鎖をつまみ出す。小さく金属の擦れる音を立てて引っ張り出された鎖の先には、同じく銀色の板が取り付けられていた。


「……たかが、Bランクの冒険者だと?」


 握れば隠れるほどの小さな銀色の板を見た瞬間、ダレムは憤怒に顔を歪ませ、周りにいた人々は明らかに落胆したような表情で項垂れる。


「地面に寝かせろ」


 ダレムが誰にともなくそう告げると、兵士二人が春馬に向かって剣を向けた。


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