第26話少女の記憶と悲しきメロディ⑦
雑貨店の奥から話声が聞こえる。一人は店主であるマルクの声、もう一人の声はクレアの聞き覚えの無い男の声だった。物音をたてないように、クレアは声のする方へ慎重に近づいた。軍服を身に着けた男の大きな背中が見える。男は低く太い声で、マルクに話しかけている。話の内容ははっきりとは聞き取れないが、男の態度からマルクを脅しているのは明らかだ。薄暗い店内でクレアが目を凝らして男を見つめる。小さなランプの明かりが、軍服の肩に刺しゅうされた紋章を照らし出す。
――あれは、エンジーナ魔導機兵団!
クレアが軍服の男を取り押さえようと飛び出した。その瞬間、クレアは何者かに横から飛びつかれて横転した。倒れてきた棚の下敷きになり、クレアが力まかせにそれをはねのけ立ち上がる。クレアの目の前に立ちはだかるのは、人間の骨格に似せて作られた魔導機兵であった。しかし、その外観はクレアが大陸戦争の時目にしたものとはずいぶん異なっていた。
――分厚い甲冑の全身装備ではない。ほとんど機械の骨格がむき出し状態になっている。それに先ほどの俊敏性……まさか新型か!?
クレアがサーベルを構える。
「これはこれは、聖教騎士団元団長のクレア・モンフォールではないか。再会できて嬉しいぞ」
「貴様はロッカ・ベルコフ!」
魔導機兵の後ろで不敵な笑みを浮かべるロッカをクレアがにらみつける。
「大陸戦争ではご子息にずいぶんと世話になった。ぜひともその礼がしたくてな」
「礼の贈り物を探しに、わざわざ雑貨店に立ち寄るとは、貴様がそこまで律儀な性格とは知らなかったぞ」
「フン、小癪な女だ。軽口がきけるのもいまのうちだ。やれい!」
ロッカの合図で魔導機兵が鞘からグラディウスを抜いて構えた。
――従来の魔導機兵は対魔術加工が施されている。半端な魔術ではダメージを与えられない。かといって、この場で強力な魔術を使うわけにもいかない。ならば剣技で押し通すのみ!
クレアが素早く踏み込み間合いを詰める。防具の無いむき出し状態のボディに向かってサーベルを振り下ろす。魔導機兵が剣でクレアの一撃を防いだ。
――反応速度が速い!
クレアが間を開けずに攻撃を続ける。足、胴、首への連続攻撃を魔導機兵がすべて剣で受け止める。クレアのサーベルと魔導機兵のグラディウスが衝突するたびに火花が飛び散る。
「ずいぶんと苦戦しているじゃないか。王国最速の剣士ともあろうクレア団長が情けない。年で体力もスピードも衰えたか?」
ロッカが皮肉を口にしながら笑みを浮かべた。
「クレア様っ、私のことは構わずお逃げください!」
マルクが大声で叫ぶ。
「ああ、いよいよ危ない時はそうさせてもらおう。だが、逃げる時はマルク殿も一緒だ!」
クレアが答えながら後方へ飛びのく。その動きに魔導機兵がついていく。魔導機兵の剣がクレアめがけて振り下ろされる。グラディウスよりも細く薄いサーベルをしなやかに使い、クレアは攻撃を受け流す。同時に隙をついて、魔導機兵の頸部に一撃を与える。首を断ち切ることはかなわなかったが、確実にダメージを受けた魔導機兵がバランスを崩して後退した。
「何をしている! ひるむなっ。攻撃を続けよ!」
ロッカの命令に反応した魔導機兵が体勢を立て直し、再びクレアに襲い掛かる。クレアは冷静な目で敵の動きを観察し、瞬時に剣の軌道を見極めて攻撃を回避していく。魔導機兵の突きを受け流したクレアの剣が、今度は胴体に命中した。魔導機兵は、まるでしびれたかのように体を痙攣させ、先ほどまでの俊敏さが嘘のようにぎこちない動きへ変わった。このチャンスをクレアが見逃すはずもない。嵐のような斬撃が魔導機兵を襲う。甲冑をまとっていないボディがクレアの攻撃に耐えられるはずも無く、魔導機兵の体は削りそがれ、カバーから歯車、小さなネジに至る機械部品がバラバラに飛び散った。
「立てい! このポンコツがっ」
ロッカが顔を真っ赤にして声を張り上げるが、すでに魔導機兵はピクリとも動かなくなっていた。
「新型魔導機兵、俊敏性と反応速度には驚かされたが、パターンが単調すぎるな。カウンターから切り崩されているようでは、まだまだ人間の兵士には遠く及ばぬぞ。なんなら、私がアドバイザーになってやってもよいが?」
クレアがサーベルの切っ先をロッカに向け、皮肉を言う。
「クッ……」
「さあ、マルク殿から離れよ! おとなしく投降すれば命までは奪わぬ」
「クックックックッ」
「何が可笑しい? 自信作の新型魔導機兵が壊されて気がふれたか?」
肩を揺らしながら不気味に笑うロッカに、クレアが剣を構えたまま眉をひそめた。
突然、店の天井が破れて黒い甲冑をまとった魔導機兵が現れた。魔導機兵がロッカとマルクをわきに抱えてゆっくり浮き上がる。クレアが迷いなく魔導機兵に飛び掛かった。甲冑のつなぎ目である肘の関節部分にサーベルを突き立てる。魔導機兵の腕がだらりと下がり、拘束されたマルクが解放される。そのまま浮上を続ける魔導機兵にしがみつき、クレアが首に狙いを定めて鋭い突きを放った。魔導機兵の首に当たった剣先がはじかれ、金属音が響いた。
「さすがはクレア・モンフォール。だが、その体勢から魔導機兵の首を貫くのは不可能だ」
「ウッ……」
魔導機兵の固い腕がクレアの脇腹を締め付ける。クレアは痛みを必死にこらえながら、サーベルを離すまいと強く握りしめた。気を失いそうになるのを懸命に耐えるクレアの目に飛び込んできたのは、空に浮かぶ一層の船だった。
――な、なんだあれは!?
魔導機兵が船内の甲板に静かに着地した。
「さすがのクレア・モンフォールも言葉がでないか。ううん?」
「……これも貴様らの技術で作ったのか?」
「まさしく、技術大国エンジーナの集大成の一つ、飛空船ターシャだ! フハハハハハッ」
魔導機兵に拘束されたクレアに話しながらロッカが高笑いする。
「団長、お戻りになられましたか。マルクは?」
副団長ドリアン・ゲルトが走ってきた。
「邪魔が入った。マルクは次の機会にする。そのかわりほれ、良い土産を持って帰ったぞ」
「これは驚きました。まさか、あのクレア・モンフォールを捕えられるとは!」
ロッカの指さした相手を見て、ドリアンは目を大きくした。
「この女の利用価値は高いぞ。こいつを人質に使えば、クロエやレオンも手出しは出来まい。ユーシー王国最強の聖教騎士団をせん滅するのも、赤子の手をひねるようなもの」
「……ふっ」
突然鼻で笑ったクレアをロッカがにらむ。
「何がおかしい?」
「つくづく間抜けな男だと、つい笑いがこみ上げてしまった。失敬」
「強がりもその辺にしておけ。年を取って腕は落ちたようだが、美しさはまだまだ健在。おとなしくしていれば悪いようにはせんぞ」
ロッカが今にも触れそうな距離に顔を近づけ、クレアの顎を人差し指で持ち上げる。
「口説き文句のセンスの無さに脱帽だ。貴様は私を笑い死にさせるつもりなのか?」
「クッ、小癪な女め。自分の立場というものを理解していないようだな。素直な女になれるよう、私が教育してやろう」
魔導機兵の両腕が、クレアの胸部を締め付けた。
クレアが声を押し殺して痛みに耐える。
「……風よ、我が剣に宿れ……意志のままに、我が体を舞い上がらせよ!」
つぶやくようにクレアが詠唱すると、彼女の体は魔導機兵と共に舞い上がった。
「ば、バカな! 風の魔術で魔導機兵ごと浮上するだと! 戻れ! 今すぐこの場に戻れ!」
ロッカがすごい剣幕でまくしたてる。
彼の命令は伝わっていたが、魔導機兵はクレアの魔術で制御不能となっていた。
――風のある上空で良かった。私の魔力でも、地上であれば魔導機兵を持ち上げて飛ぶことはできなかった。
クレアが意識を集中し、最大速度で飛空船から離れていく。小さくなる飛空船の甲板から身を乗り出し、悔しそうに怒鳴り声を上げるロッカがかすかに見えた。
飛行して数分後、胸部の激痛にクレアが顔を歪める。意識がそがれて、大きくバランスを崩し、高度が急激に低下する。
――こ、これは、あばらが数本折れているな……このままだと地面に直撃してしまう。
クレアが呼吸を整え、もう一度集中力を高める。これ以上高度を落とさないように気を付け、海の方向へ軌道を変えた。
「アアアッ!」
魔導機兵の両腕がクレアの胸部を圧迫した。ずっと我慢していたクレアが苦痛のあまり叫び声を上げた。
高度がすごい勢いで下がっていく。クレアの視界に大地がぐんぐん迫ってくる。
――あと、少し……
クレアが魔力をふりしぼり、空に向かって飛行角度を修正する。
海岸の岩肌に直撃するところを間一髪で回避したクレアは、海面に向かって魔導機兵と共に落下した。クレアが魔導機兵の腕を振りほどこうと試みるが、胸の痛みで体に力が入らない。水深はそれほど深くはないが、魔導機兵の重みで浮かび上がることができない。
――ううっ。もう息が続かない。岸はすぐそばだというのに……
海水を呑み込んでしまったクレアの意識が遠のいていく。
クレアの脳裏に、まだ幼い日の息子と娘の笑顔が浮かんだ――。