第二章 邂逅、そして(3/6)
農村であるデマリ村だが、交易のための商人が頻繁に訪れるために宿屋探しに困ることはない。適当な宿屋を見繕って二階の部屋を借りた後、一同は荷物を置いて一階へ。
こういった宿屋は酒場も経営していることが多い。そこで宿泊している商人達は酒を酌み交わし情報を交換し、村の男達は日々の疲れを癒すのだ。
幸いあまり混雑はしておらず、三人は適当なテーブル席につく。
物珍し気にユウの黒髪をチラチラと見る給仕の女性に注文を告げ、しばらくすると運ばれてきた湯気を立てる料理に舌鼓を打つ。豆のスープなどそこまで高価なものではないが香辛料などをケチらず使われている分、野営時の食事とは雲泥の差がある。
「さて……これからどうするかだが」
食事が一段落ついてきたのでレイが話を切り出した。
「あ~久しぶりの甘味やぁ~」
生のままカットされた林檎を頬張りながらユウがとろけている。王都で買い込んだ携帯食は堅焼きパンと干し肉が中心だったので甘味のあるものはなかったのだ。
「――甘味は必要よね。村を出る前にジャムを買っておきましょう」
セラは黙々と林檎を口に運んでいる。表情が相変わらずの仏頂面から変わらないので美味しそうに食べているようには見えないのだが、手が止まらないあたり甘い物は好きらしい。
「話、聞いてるか?」
「聞いとるよ」
相変わらずシャクシャクと音を立てながらだがユウが答える。セラにしても皿の中身がなくなるまでは食べるのを止める気はないようだ。
仕方なくそのままレイは話を続ける。
「具体的に何をするかって目的がある旅じゃないが、当面の目的は遠目からでも魔族領を見ることにしようと思う。その道中で人々の暮らしも見れるし魔族と遭遇することもあるだろうしな。護るべきものと戦うべき相手をユウに知ってもらう」
そうすることでユウの勇者としての力の覚醒を促す。それが旅の目的。
「なぁなぁ、うち気になんねんけどやぁ」
手についた林檎の果汁を舐めとりながらユウがふと疑問に思ったことを尋ねる。
「ここに来るまでに魔物っていうのは分かったよ。でも魔族ってなんなんや?魔族領ってのもよぉ分からん」
「王宮で教えてもらわなかったのか」
「もろたよ。でも、あの時はこっちに来てすぐやったさかい、頭がわーってなっててあんま覚えてへんねん」
確かに、こちらの世界に来た直後では混乱していて記憶に残っていないのも無理はなかろう。
今一度ユウに理解してもらうため、レイはエールを一口煽ってから話を続けた。
「魔族、というのは人間に敵対している知的種族の総称だ。魔族領というのはそいつらが統治していて人間が住んでいない土地を指す」
黒髪の頭上に疑問符が浮かんでいるのが見えた。少し難しく言い過ぎたらしい。
「人間の敵で、言葉を話したら魔族、話さなかったら魔物。魔族領は魔族の国だ」
疑問符が晴れる。理解してもらえたらしい。
「だから魔族といってもいろいろな種族がいる。もっとも下級なものが小鬼族、魔法に長けた長指族やそれらを従える魔神族……やつらは魔神族を頂点にした絶対的な種族階級制度の元で生きている。全員が全員、自分より格下の種族の命なんて道端の石ころ程度にしか思っていない残虐で非情な連中だ」
魔族は自分より格下の種族を簡単に使い捨てる。格下の種族は格上からの命令ならどんな命令でも、実行する。例え自身の命が失われることが目に見えている命令だとしても。逆らえば待っているのは確実な死だからだ。種族的な優劣はどうあがいたところで覆すことはできない。
「そして支配階級の魔神族の中でもっとも地位の高い者が、魔族の頂点。いわば魔族の王。魔王と呼ばれている。そいつを倒せばやつらは統率を失い瓦解する。人間の最大の敵だ。勇者召喚が行われた最大の目的は、単体としても強力無比な力を持つその魔王に対抗するためだ。つまり、ユウにはその魔王を倒してもらいたいわけだが……」
そこでレイが言葉を止めた。いつになくユウの眼差しが真剣味を帯びていたからだ。
「――セッちゃん。最後の一切れはじゃんけんでどっちが食べるか決めよか」
「じゃんけん?なにそれ。そんなことしなくてもあげるわよ」
「やたっ」
皿に残った最後の一欠けらを頬張る勇者の満足気な顔を見るに、彼女が魔王を打倒しうる日は果たしてくるのだろうかと疑わざるをえない騎士であった。
だがユウは話はしっかり聞いていたらしく、口の中の林檎を飲み込むと今一度レイに尋ねる。
「そもそもやで。勇者の力ってなんなん?そんな目覚めたら急に強くなるようなもんなん?」
「それは俺達にも分からない」
「なるほどなぁ……って分からんのかい!」
普段のユウからしてみれば勢いのある返しに面食らっているレイに代わってセラが話を引き継ぐ。
「勇者召喚……っていうのは、ただ強い人を召喚するって魔法じゃないのよ。具体的に言えば、魔力で運命を予測、変化させて〈世界を救う者〉を召喚する魔法なの。運命、ひいては世界そのものに干渉することから界律魔法とも呼ばれているわ」
そこまで話を聞いたところで何か引っかかるところがあったのか、その〈世界を救う者〉は首を傾げる。
「なぁ、でもその言い方やと勇者の力ってのは戦いの力じゃないかもしれんって言うとるように聞こえるけど。そもそも魔族を倒すことが世界を救うことになんのかもよう分からんし」
「たしかに、理屈的にはそうね」
理屈的にはユウの言葉は正しい。ただ、目下この世界で人間が直面している危機を考慮すると話は変わってくる。
「人間と魔族という境が生まれた時から二つは争い続けてきた。侵略し侵略されを何度も繰り返してきた。だが近年になって魔族の勢いが人間を越えつつある。このままでは、人間は奴らに滅ぼされてしまう。そうなれば、世界の終わりだ。奴らは壊すことは得意だが創造することは不得手だ。魔族だけの世界になればいずれ奴らは全てを壊し尽して自滅する。だからそうならないように人間がこの世界の主とならねばならない」
レイの言葉は決して彼個人の意見ではなく、この世界に暮らす全ての人間が持つ統一見解だ。当然セラもそう思っているから口を挟まない。
だがユウはそこに何か言いようのない違和感のようなものを感じた。口を開けるが上手く言葉にできずに音にならなかった息が漏れる。
伝えたい言葉があるのにそれを形にすることができず、歯に物が挟まったようにユウが口をもにょもにょさせていると、三人に話しかける者が現れた。
「少し、よろしいですか?」
髪に白が混じる初老の男、店で食事をしにきた客、ということではないらしく入店するなりまっすぐにユウ達の元へと向かってきた。
「何か用か?もう食事も終わったことだし、そろそろ部屋に戻ろうかと思っていたんだが」
少しばかり距離を置くようにレイが言う。ただ単に物珍しさからくる雑談であるのなら言葉通りに部屋に退散するつもりであるからだ。
「できれば少しだけでもお時間をいただけないでしょうか。貴方が一の騎士団の騎士様であると見込んでお話がしたいのです」
今、レイの盾は自室に保管してある。つまりこの男は行き当たりばったりではなく、どこかでレイ達が訪れたのを知り、わざわざ訪ねてきたというわけだ。
レイが向かいのセラに視線を送ると、一瞬交差した視線がテーブルに下げられる。席を立つ様子はないので判断は任せるということらしい。
「……話を聞くぐらいなら」
「ありがとうございます」
丁寧な物腰の男は店員に声をかけ、椅子を持ってこさせてそれに腰掛けた。
「失礼、老骨に立ち話は堪えるもので」
構わない、とレイが手で話を続けるように促す。ユウは突然の来訪者をきょとんとして眺めている。
「まだ名乗っていませんでしたね。私はルッツという者です。このデマリの村長という立場にあります」
「レイ・ルーチス。一の騎士団の末席に身を置いている。今は任務の最中でこの村に立ち寄らせてもらった」
任務の詳しい内容は語らない。勇者が召喚されたというのはラドカルミア全土に知れ渡っているが、その勇者がまだ若い少女であるというのは公布されていないのだ。知れればよからぬ輩が目をつけないとも限らない。
自らを村長だと言ったルッツという男もそれについては深く言及するつもりはないようで、それ以上踏み込んだことは聞かなかった。
「それでお話というのはですね、少しばかり、そのお力をお借りしたいのですよ。もし私の記憶違いではなければ、お連れの女性の方は魔法師なのではありませんか?」
ルッツの視線が自分に向いたので、仕方ないといったふうにセラが答える。
「……どうしてそれを?」
「村にいらっしゃった時に着ておられた外套ですよ。あれは魔法師協会に所属した際に支給されるものでしょう?律儀に使っておられる方はあまり多くないと聞きますが」
確かに、セラが普段使っている濃い紺の外套は魔法師協会から支給されたものだ。機能的にはいたって普通の物なのでセラは着用しているのだが、いかんせん飾りっけがなく地味なので若い魔法師にはあまり好まれない。セラとしては、だからこそいくら汚れても構わないから旅先で着用しているというわけだ。
「魔法師が必要というと、近くに魔物でも出たのか」
村長が頷く。
「とは言っても、そこまで危険な相手ではありません。場所は近くの湖なのですが、そこに最近スライムが大量に発生しているのですよ。ここデマリではその湖から水を引いてきて農業に用いているのですが、そろそろ用水路の補修の時期なのです。ですがスライムが邪魔で工事ができず……困っているのです」
用水路を用いた農業は用いない場合と比べて飛躍的な収穫の増加を見込めるが、そもそもそれを作るためには莫大な費用と時間がかかり、そのうえ頻繁に補修整備をする必要がある。王都からほど近いが故に技術者の召集が容易で、領主と領民が全面的に協力しているからこそ可能な農業と言えよう。
「スライムがいっぱい……なんやおもろそうやな」
スライムと聞いてユウが食いつく。だがデマリの人々からすれば切実な問題だろう。
しかし疑問に思ったことをレイが尋ねる。
「スライムなら、俺達に頼まずとも自分達でなんとかできそうなものだが」
「もちろん最初は自分達でどうにかしようと思いました。ですが、あいつら斬ったら分裂しかねませんし、殴っても意味がない。火を焚いて追い払おうにも水が近くにあるせいかあまり効果がなく……森で一、二匹と出会った時は蹴っ飛ばして追い払っておりましたが、群れるとこうまで厄介とは……」
スライムという魔物は危険度で言えば間違いなく魔物の中で最底辺だ。だが生命力……生きている生物だと仮定しての話だが……においてはそうではない。
ゼリー状の身体は斬り込みを入れた程度では簡単にくっついてしまうし、半分に切断するとその両方が別々の個体として活動を開始する場合がある。分かれた部分が小さすぎればさすがに分裂せずに壊死するが、それでも生物とは思えないほどのしぶとさと言えるだろう。当然、殴った程度では何の損傷も与えることはできない。内部から身体が破裂するほどの強い衝撃なら話は別だが。
倒せないなら追い払うしかないが、一匹二匹ならともかく、そうでないのなら他の個体を追い払っているうちに最初に追い払った個体が戻ってくるといった堂々巡りになりかねない。
だから村長は魔法で一網打尽に、と考えたわけだ。魔法ならば一度に複数を、しかも確実に駆除することができる。
「もちろん報酬はご用意いたします。ですので、どうか部下の魔法師の方のお力を貸してはいただけませんか」
どうやらルッツはセラのことをレイの部下だと思っているらしい。レイに向かって懇願するので、騎士は残り僅かとなったエールの入ったジョッキを傾けて言った。
「悪いがこいつは俺の部下ってわけじゃないんでな。頼み事なら直接言ってやってくれないか」
「おお、そうでしたか。これは大変失礼しました」
村長は申訳なさそうにセラの方に向き直る。
魔法師に別段気にした素振りはない。とはいっても彼女の場合、常日頃から表情があまり変わらないので機嫌を損ねたとしても表情からそれを推し量ることは難しいだろうが。
「……めんどくさいわね」
にべもないセラの言葉にルッツはそこをなんとか、と食い下がる。魔法師というものは数が多くなく、正規の手段で魔法師協会から雇うにはかなり費用がかかる上に到着まで時間がかかる。その点、個人に依頼する形なら費用は安く済む。現状のデマリにとってセラの来訪は渡りに船というわけだ。
「なぁなぁ、駆除するかどうかはともかくや、うちその湖見に行きたいな」
答えたのはセラではなくユウだった。
「スライムがいっぱい……撫で甲斐がありそうやなぁ……」
何を想像しているのか、頬を緩ませて虚空を撫で回している黒髪の少女の様子を見て村長が困惑の視線を騎士に送る。レイは気にしないでくれという思いを込めて明後日の方向を向きながらほとんど空のジョッキを煽った。
「……そう。じゃあ明日見に行くには行ってみましょう。駆除するかどうかはその時の気分で決めるわ。とりあえずはそれでいいわね?」
「もちろん!前向きな返答をいただけて感謝します」
「ほんま?やったぁ!」
完全に拒否されなかったことを喜ぶ村長と、大量のスライムと戯れることを想像して喜ぶ勇者。
めんどくさいと言ったわりには行動的な答えにレイが怪訝な表情を向けると、セラはその物憂げな瞳を無邪気な勇者に向けて小さく囁いた。
「――いい機会よ。ユウに魔物という存在を理解してもらうには……」
「ん?セッちゃん今なんて?」
ユウが聞き返したがセラは首を横に振って同じ言葉を繰り返すことはなかった。