第二章 邂逅、そして(2/6)
また野営を挟み、旅に出て三日目の昼頃。目的地が近づいてきた。
村が近づいてきたために街道で人とすれ違う回数も増えてくる。近隣の森に狩りに向かう狩人、村々を回って交易をする護衛付きの商隊。そのすれ違う全ての者がまずユウの黒髪に興味を示し、ついでその後ろをぴょんぴょんとついてくる魔物に目を丸くする。
「そろそろどうにかしたほうがいいんじゃないか」
街道の先にとうとう村を囲う木の柵が見えてきたので辟易した様子のレイが言った。いくらなんでも村の中にスライムを連れて入るわけにはいかない。
「というかそいつ、もともとそんな色だったか?」
レイの記憶が確かなら、昨日出会った当初スライムは薄い青をしていたはずだ。
だが今ユウの足元に寄り添うそれはどう見ても青ではなく、恥じらう乙女の頬のような淡いピンク色に色づいていた。生息域によってスライムの色が違うことは知られているが、色が変化したという話は聞いたことがない。
「なんかな、ごはんあげる度にちょっとづつ色ついてきてん」
ユウが薄桃色のスライムを抱き上げて頬ずりする。もはやスライム以上に彼女がスライムを溺愛していた。
「やっぱり魔力供給が原因かしら。私がやってたらまた別の色になったのかしらね」
食べ物によって生き物の体色が変化するのはままあること。ここまで急激な変化は珍しいだろうが、魔力が関与している事案ならば大抵のことは起こりうる。魔力の探求者であるところの魔法師であるセラの口振りには少しばかりの好奇心が覗いていた。
「……連れてったらアカン?」
薄桃色の塊越しに上目遣いでねだる勇者。
「駄目だ」
騎士はきっぱりと断言した。そもそもレイが許す許さないに関わらず、村内に魔物が入ることを村民達が許しはしないだろう。
ユウもその点は理解しているのかそれ以上ダダをこねることはなかった。だがあからさまにシュンとしょげた様子を見てレイは少しばかり心が痛んだ。しかしこればかりはどうしようもない。
「アカンねんて……」
別れを惜しむようにもう一度スライムを顔をうずめたユウはその魔物をゆっくりと地面に降ろす。
ぷるぷる――
言葉の意味が分かっているのかいないのか、スライムは小刻みに身体を震わせている。
「元気でな……ばいばい……」
消え入りそうな声で別れを告げ、一歩二歩と後ろ歩きで距離をとる。その後をスライムが付いてこようとするが、ユウは苦し気に首を横に振る。
ぷる、ぷるる――
するとスライムはそれ以上付いてこなくなった。街道に一匹ポツンと残されたスライムとユウ達の距離が少しづつ離れていく。
「付いてこないわね……お別れだってちゃんと分かったってこと……?」
たった一日程度の関わりだったが、ずいぶんスライムに対する認識が変わったようにセラは思った。以前まではスライムなど魔物とも呼べないような自然発生的事象と思っていた。そこに意思や感情はなく、ただただ決められた反射行動を行うだけの生き物とも呼べないような現象なのだと。
だがあの薄桃色のスライムは感情があるかどうかは別にしろ実に動物的な反応を多く見せた。今だってそう、ユウの言葉に従っているようなそぶり。
もしかしたらスライムにも意思というものが存在するのかもしれない。そんな考えが頭をよぎったセラは一人苦笑した。
「うう……」
歩を進めつつも未練がましく何度も黒髪が翻る。今にも駆け戻って抱きしめたいといった様子だが、その欲求をなんとか理性で押さえつけている。表情にいたってはもはや半べそをかいていた。
「何も泣くことはないだろう……」
きっぱり別れるように言ったのが自分であるがゆえ、少しばかりばつの悪いレイが困ったように頭を掻く。
「泣いてへんもん……」
確かに泣いてはいないが、今にも雨が降り出しそうな曇り空を表情に浮かべて、ユウ達はデマリ村の入り口である木製のアーチをくぐった。
デマリ村は王都からほど近いが故に比較的裕福な農村である。北東にある湖を水源とした農作が盛んで、農作物の余剰分を取引することで他の村や王都との交易も盛んだ。
点々と立ち並ぶ木造の家屋、住民のほとんどは土地を持つ自由農民と彼らの元で働く農奴である。野盗などの襲撃から村を護るための自警団も組織されているが、彼らが忙しく働いていたことはない。
長閑で、平和で。一帯を治める領主が善政を敷いているのも大きい。支配する側とされる側に軋轢がないことが村の最大の自慢である。
「ええところやねぇ……」
田畑を耕す人々の仕事ぶりを見物していたユウが呟いた。
村に入ってすぐ、見慣れない来訪者の周りにはすぐさま人だかりができた。最初に前に立ちふさがったのは警備の自警団だが、彼らはレイの持つ盾に描かれた一の騎士団の紋章を見てすぐさま警戒を解いた。
紋章を偽装することは法律で厳しく禁止されている。破れば極めて重い罰を受けることになるのだ。そもそも国から資格を得た専門の紋章師が描くその紋章は他人が早々模倣できるものではない。故にその盾はレイ達の身分を証明する証拠にもなる。レイが鎧以外の一の騎士団の装備をそのまま旅に持ってきているのは、使い慣れた装備であるということ以上にこういった特権を得るためなのだ。
次いで取り囲んだのは家事に勤しんでいた女達。裕福な村とはいえ農村にはあまり娯楽といえるものは存在しない。そんな中に現れたいかにもワケがありそうな男女と子供、興味を抱くなというほうが間違いだろう。
そんな女達の質問攻めをやんわりとはぐらかしつつ、ユウ達は逃げるように人気の少ない農道の端へとやってきた。期せずして村の中を広く散策した形となる。
日が少しづつ傾いてきた。男達は今日の分の仕事をさっさと終わらせるべく、気合いを入れて農作業に勤しんでいる。ユウ達の姿は目に入っていないようだ。
「ここはかなり恵まれている方だ。北へ行くほど、魔族領が近づくほど警備や防衛設備が物々しくなって暮している村人達も殺伐としてくる」
記憶を探っているのか、ここではないどこかを見てレイは言った。
収穫には今しばらく時間がかかるであろう、作物の頭上を一陣の風が撫でる。実りの季節にはさぞ鮮やかな宝石達が輝くに違いない。
この景色を護るためにレイは戦ってきた。そしてそれを恒久的に続くものにするために勇者の力が必要なのだ。
「なんか、この村の人達は……ううん、この世界の人達はちゃんと生きてるって感じがするなぁ……」
ぽつりと漏れたユウの言葉の意味が分からずに、レイは黙ってその先を促す。セラも物憂げな視線は遠くを見ているが耳を傾けている。二人はユウの暮していた世界がどのようなものであるのかをまったく知らない。彼女がどんな世界で生き、どんなふうに暮らしていたのか、興味がないと言えば嘘になる。
「うちのいた世界の人達は皆仕方なく生きてるって感じやったから……豊かではあったやけど、どうにも心に余裕がなくてなぁ。些細なことですぐ喧嘩なるし、やから人と距離を置こうする。人と関わるのが怖くて閉じこもる人や自分から生きるのをやめてまう人も結構いてな。皆このままじゃアカンって思ってんねんけど、どうすればええかも分からんし」
もしユウの言うことが彼女の思い込みなのではなく本当のことなのだとしたら、彼女はきっと来るべくしてこの世界に来たのだろうレイは思った。
救い、と言ってもいいだろう。このような少女に、こうまで言われる世界なら、きっとそこはこの世界よりも……。
そこまで考えてレイはそれ以上考えるのをやめた。きっとその先はその世界の住人でないと結論づけてはいけない。何より答えを出せるようなものではない。それはそこに住まう者によっていかようにでも変容しうるのだから。
「――どうだ?少しは勇者としての自覚は出てきたか?何か内から力が沸きあがってきたりとか……」
ユウはふるふると首を振る。やはりそう都合よくはいかない。
「まぁ、ここに来るまでに成果はあったじゃない。少なくともユウは訓練しだいで魔法が使えるということが分かったわ。三日でそれなら上出来じゃない」
元の世界のことを思い出したのか、少しばかりしんみりした様子のユウの頭をセラが撫でる。
セラの言う通り、まだ旅は始まったばかり。何も焦る必要はない。
「そうだな。よし、まずは宿探しだ。その後夕食を食べながらこれからどうするか考えよう」