第五章 天に吠える狼少女(5/5)
「てめぇら……」
族長としての務めを果たすべく、テヴォは他の狼人族に語り掛ける。
「次の族長は、てめぇらで決めな。じ、自分達が、一番信用できると、思うやつを、選べ……ただ、なるべく、人間とよろしくやれるやつを選べ。こ、これからは、人間と共に、生きていくことになる……」
今日、この集落の存在は多くの人間に知られてしまった。知った人間が全滅しているとしても、彼らが帰らなければそれを疑念に思った者がまた人を寄越すだろう。ここまで踏み込まれた時点で、もうここは隠れ里ではなくなったのだ。
狼人族が選べる選択はあまり多くない。戦ってこの場所を死守する、など無謀。逃げるとするならば、女子供にとってキツい道行になるだろう。
だが、今この場には勇者がいる。彼女の手をとることが、おそらく最善の選択肢。
狼人族の男衆達は無言で頷いた。族長の最期の言葉をしかと胸に刻み付ける。もはや多くを語るのは野暮というものだろう。その偉大で誇り高い狼人族と最期に言葉を交わすべきなのは自分達ではない。
「ほんとに……ほんとにもう、どうしようもないんか――!」
俯いた黒髪の少女が、絞り出すように呟いた。歯を食いしばり、その手を真っ白になるまで握りしめて。
「ありがとよ……勇者の嬢ちゃん……おめぇのおかげで、俺は、俺を……取り戻せた……。おかげで、暴れまわる化物としてじゃなく、俺として、逝ける……」
自分がもっと強い力を持っていたなら、救えたのか。だが、それを口にしていったい何の意味があるだろう。無力である悔しさに肩を震わせているのはユウだけではない。だからユウはもう何も言わなかった。
その小さな肩を、立ち上がって側によったセラが抱いた。
「ユウ、行きましょう」
ここから先は、ユウが目にするにはいささか刺激が強すぎる。ただでさえ今日は、すでに何人もの人間が一瞬で殺される様を彼女は見てしまった。しばらくは悪夢にうなされて満足に眠れないかもしれない。
だが今日という日は彼女を大きく成長させるだろう。この世界は、こうも容易く命が奪い奪われる世界なのだと彼女は身を持って知ったに違いない。そして、いつか必ず、今日のように命が容易く奪われる世界でなくしてみせると、今一度強く願うのだろう。
失うことで人は強くなる。悔しさが人を成長させる。今日という日を、救えなかった命を、彼女は決して忘れない。
「ディナ……親父の始末は、娘がつけてくれやぁ……」
「そんなこと……!できねぇよ……!」
「で、できるさ……あの技なら……」
「そういうこと、言ってんじゃねぇよッ!!」
涙で頬を濡らし、両肩を震わす。あの少年のようなあけすな笑顔はない。そこにいるのは、旅立とうする父親に泣きつく一人の少女だ。
「……てめぇは、自分の娘に、親殺しの罪を背負わせようってのかよ……!」
「ばぁか。て……てめぇにゃあ、俺は殺せねぇよ。俺は、上位魔族と戦って、勝って、死ぬんだ……どうだ……最高に、カッコイイ、さい、ご……だろうが……」
肉に埋もれた顔が、不器用に、笑った。
全身を苛む、想像を絶する苦痛に耐えながらも、それでも彼は笑った。
悲嘆に暮れる顔など、らしくない。
――娘に見せる最期の顔は、笑顔でなくては。
「そんなぶくぶくになっちまって……ちっともかっこよくねぇよ……くそ親父が……」
ディナが服の袖で涙を拭った。その袖から組紐が覗く。
例えそれが切れたとしても、二人の絆が切れることはない。絶対に、何があっても。
「ディナ」
レイが声をかける。彼の剣と技量ならば、一息に首を落すことができる。苦痛を感じる暇もない。
だがディナは首を振った。
「――いい。このクソ親父に一発かませられる最期の機会だ。今までの鬱憤、全部ぶつけてやるさ」
「が、がぁはっはっは!そ、そいつぁ……いい。やってみな、馬鹿娘……」
そうして、ディナは構えた。
半身になり、左手を前へ。右手を引き絞るように後方へ。重心を下げ、身体を安定させて全ての力を一点に集める。
「ふぅー……」
細く、長く、息を吐く。乱れた呼吸を落ち着かせていく。体内の魔力を循環させ、高めていく。
グルルルルル――……
獣の唸り声のような音がディナの喉から鳴った。特殊な呼吸法によって体内を循環する魔力がますます高まっていく。その様、まさしく獲物に跳びかからんとする狼のよう。
高めた魔力を、全て右手へ。質量を持たぬエネルギーを十重二十重と重ね密度を臨界まで高めていく。
爆発する、寸前へと。
長時間の集中と、用いる魔力の多さ。これは練魔行の一つの奥義ではあるが、戦闘でまともに使えるようなものではなかった。ディナも会得こそしていながらも、全力でこの技を放つ日が来ようなどとは夢にも思わなかった。
だからこそ、その威力は間違いなく彼女の攻撃手段の中では最強。
苦痛は決して与えない。一撃で、終わらせる。
「悪くねぇ、気分ダ……娘に看取られて逝く……ああ、悪くねぇ……」
「――ッ!」
一瞬、鈍りかけた決心をなんとか繋ぎとめる。
最期の最後まで、本当に、このくそ親父は。
言いたい事が山ほどある。声がデカくてうるさいとか、近寄ると体臭が臭いとか、図体がデカいせいで家が狭いとか、頭を撫でる時、乱暴過ぎて痛いとか。
――今まで育ててくれて、ありがとう、とか。
その全てを、この一撃に込める。
「綿喰らい――!!」
刹那、テヴォは何か呟いた。
突き出された右腕から超高圧の魔力の塊が手の平を通して直接、テヴォの頭部へと押し付けられる。極限にまで圧縮された膨大な魔力は、練り上げたディナの身体を離れてすぐ抑制を失って爆発的に元の比重へと戻ろうとする。
そう、まさしく、爆発だ。
パァンッ
乾いた音、続いて生々しい水音が周囲に響き渡った。内部からテヴォの頭部が爆発し、その破片を周囲にばら撒いたのだ。
綿喰らい。それは鎧貫という技術に属する技である。圧縮した魔力を直接対象の体内に捻じ込み、炸裂させる。密閉された空間で起こる爆発はその全ての破壊力を余すことなく発揮し、内側から対象を破壊する。どれほど堅牢な鎧を着こもうとも、どれほど強固な鱗に包まれようとも、内側から突き立てられる狼の牙を防ぐことはできない。
ぐらりと肉の塊が揺れ、ゆっくりと倒れ伏した。もう表面が泡立つことはない。もう全身を襲う痛みを感じることはない。もう、言葉を話すこともない。
「――“ありがとよ”、だと……?最期に、自分だけ言いたいこと言って逝きやがった」
父親の血液や脳漿でその修道服を真っ赤に染めながら、娘は物言わぬ骸となった父を見下ろしていた。
「……………」
レイは長剣を背中に収納し、ユウの元へ向かうべく踵を返した。ディナにかけてやるべき言葉を、彼は持たなかった。
背後からばしゃりという水音。ディナが父から流れ出た血溜まりに座り込んだ音。
「うう、ああああぁ――」
直後に聴こえてくる嗚咽。
レイは歩いて遠ざかっているというのに、その嗚咽は次第に大きさを増す。
「あああああああぁあああああああッ!!」
慟哭。彼女は今この瞬間、たった一人の父親を、喪ったのだ。
「うあああああああ、あ、ああぁッ!!」
その涙を、その嗚咽を止めることのできる者は、時間ただ一人だけだ。
直に避難していた狼人族にも族長の死が伝わる。そして誰もが彼女の父の死を悼むだろう。
ディナは喉が枯れるまで叫び続けた。父親に伝えられなかった想いを吐き出すように。
彼女の遠吠えにも似た慟哭が、天高く、どこまでも、遠く、遠く響いていった。




