第五章 天に吠える狼少女(3/5)
作戦は作戦と言えるほど難しいものではなかった。
ようはユウが無事に肉塊に触ることができればいい。言い換えれば少しの間だけ肉塊の動きを止めることさえできればいい。ただ、言葉にするのは簡単でもあの暴れまわる化物を押さえつけるのは並大抵の労力ではない。
「デイ/オル/エテ/エテ/エファ/ウエル――」
セラの呪文の詠唱が高らかに響く。果たして、あの肉塊に魔法がどれほど有効か。
「〈雷槍よ、顕現せよ〉!」
陽光の下でもはっきりと見える白光が一直線に迸った。晴天に大地を這う雷。出力はほぼ手加減していない。人間ならば即死しかねない威力。
ビクンッと肉塊が痙攣するように跳ねた。体内に入った電流が行き場を求めて炸裂し、内から肉を破って大地へと還る。裂けた肉の傷口から肉の灼ける不快な臭気が漂った。が、その傷跡も一瞬のうちに左右の肉の膨張によって塞がれる。ダメージを与えた、とは言い難い。
だが、化物に成り果てているにしてもそれが生物という体裁を保っているのなら、身体は脳から発せられる電気信号で動いているはずだ。大量の電流を浴びせられれば筋肉の動きは制限される。
「ウオオォォッ!」
魔法によって動きが鈍った肉塊に向けてレイとディナが走った。その後ろを一定の距離を空けてユウが追従する。
二人がかりで両腕を抱え込み、肉塊を大地に張り付ける。体液で滑るその巨体を筋力と体重で無理矢理押さえ込む。
が、
グルアアアアアア――!!
肉塊が吠え、ただ無造作にその肉膨れした腕に力を込める。ただそれだけで、まず体重の軽いディナの身体が宙に浮いた。
「クソがッ!」
なんとか踏ん張ろうとディナが力を込めるが、腕の振りによって振り回され、しまいには弾き飛ばされてしまう。接地する際の衝撃を逃がすためにごろごろと転がったディナは即座に立ち上がりつつも、険しい表情で肉塊を睨んだ。
もともと体格があり、狼人族の中でも力は強い方だったテヴォだが、肉塊になってさらに筋力が増している。まるで練魔行で常に全身の筋肉を強化しているようだ。そんなことをすれば本来ならすぐに身体にガタがくるはずだが、そのガタもすぐに再生する、ということか。
「ぬぅ……!」
一瞬遅れてレイも無理矢理剥がされた。外部からの刺激を受けたことで余計暴走に拍車がかかる肉塊の腕の振りに巻き込まれない距離まで後退する。
「なんて馬鹿力だよ、クソッ!」
生き物としての形を失ってしまったが故の圧倒的な膂力。あれでは無造作に振られた腕に当たっただけで骨が砕かれかねない。たとえユウが触れることができたとしても、それで彼女がやられてしまっては元も子もないのだ。完全に動きを封じるまでユウを近づけることはできない。
「……少々手荒になるが」
そう言ってレイは再び突撃を敢行。だが、今度はその左手に陽の光を鈍く反射する鋼の刃が握られている。
ガアアァッ!
動くものに反応してその巨腕が振るわれた。まだ視力は機能しているのか、それとも他の感覚器官か。いずれにせよそれが何かを認識することはできていまい。
「セヤッ!」
一閃。レイの超人的な技量によって凄まじい切れ味となった長剣が肉塊の右の肘から先を一撃で切断した。切り離された肘から先がボトリと地に落ちて血溜まりを作る。あまりテヴォの身体を傷つけたくはなかったが、仕方ない。
だが――
「――やはり、無駄か」
レイが呟くより早く、その右腕がボコボコと泡立ち肉膨れする。そうして肉を突き破って骨が生え、それを肉が覆い、瞬く間に腕が元に戻ってしまった。多少形が歪なのは元の形を忘れかけているからなのか。
この肉塊は治癒魔法が肉体を再生し過ぎているが故の姿。過剰なまでの回復力は腕を斬り落とした程度すぐに再生させてしまう。部位を落すことに意味はない。効果があるとすれば頭だ。治癒魔法の核にして肉体の運動を司る脳を破壊すればさしもの肉塊も再生せずに崩壊する。だが崩壊させないために今レイ達は尽力しているのだ。
「クソ親父!目ぇ覚ましやがれッ!」
ディナが躍りかかり、技術も何もない正面からの突撃でその拳を肉塊の胸ぐらに叩き込んだ。自分の親に対してとは思えないような、練魔行で硬化された鉄の拳。肋が粉砕する感触が素手を通して伝わってくる。が、すぐにそれを押し返す怖気を誘う肉の感触を感じて飛び退く。
グルアッ!
飛び退いたディナを追撃せんと歪な右腕が振るわれた。無造作なその一撃もその膂力を持ってすれば必殺の一撃である。
即座に硬化した両腕を交差させてブロック、突き抜けるような重い衝撃に再びディナの身体が吹っ飛ぶ。
「ッ!?」
その吹っ飛んだ先を予想し、ディナは青ざめた。そこには間合いをとって機会を窺っていたユウがいる。
(やべッ――)
激突する未来に戦慄したディナと、反応すらできずにいたユウの間に黒い影が割り込んだ。
「よっと!」
引き絞られた細身の身体を黒い体毛に覆われた体躯が受け止める。テヴォと比べれば一回り小さいが、それでも十分にガタイのいい狼人族の一人が飛び込んできたのだ。ディナもよく見知った集落の男衆の一人。
「なんだかよく分からねぇが、その嬢ちゃんに触ってもらえば族長は助かるかもしれねぇんだな?」
気づけば他の男衆達も前へと歩み出ていた。皆一様に暴れ狂う肉塊と化した族長を痛ましく思い、そしてまるで動けなかった自分達の不甲斐なさに憤り拳を握りしめていた。
「ああなっちまったやつは、自分の力量も分からねぇ弱いやつだ。だがよ、ああなっちまうってわかって、てめぇの娘のために上位魔族を殴り飛ばした族長が弱いもんかよ。俺達の族長は強い。族長は俺達の誇りだ!失ってたまるかってんだ!」
応ッ!!
一人の言葉に残りの狼人族達が声を合わせた。
「ここは俺らに任せてくれや!いくぞォッ!!」
狼人族達が一斉に肉塊に向けて殺到した。その威容、戦鬼族にも劣らぬ勇猛なる戦士達。全ての狼人族が魔族陣営に加わっていれば、人間はとうの昔に滅ぼされていたかもしれない。
振るわれた肉で膨張した巨腕を一人が正面から受け止めた。練魔行で強化しているにも関わらず、ずざざと後退する身体の両脇を二つの影が走り抜ける。
「「どぉりゃあッ!!」」
二人同時の体当たりにたまらず巨体が揺らいだ。とどめとばかりに跳びかかったもう一人が肉塊の肩を掴んで勢いのまま後ろに押し倒す。
「押さえこめえええ!」
その掛け声で残りの狼人族達も一斉に肉塊を押さえつけにかかる。
グアアアアアアッ!!
無理矢理押し倒された肉塊が吠えた。ただ刺激に対して反射的に反発しようとその両腕両足に力を込める。その度に数人分の体重が宙に浮いては地に叩きつけられた。血が混じった砂埃が舞い上がり、周囲を紅い狭霧が包む。
「斬り落としても再生するというのならば――!」
騎士の長剣が閃いた。数人の狼人族が覆いかぶさってもなお暴れる肉塊の腕、それが見えた瞬間、大地さえも貫く勢いでその刃が手の平の中心を貫いた。どれほどの力が込められていたのか、刀身の半分までもが地に埋まった長剣は刀身で肉塊の片腕を大地に磔にした。
「今だユウ!急げ!長くはもたんッ――!」
自らも体重をかけて長剣を押さえつつ、レイが叫んだ。引き抜かれるか、刀身が折れるか。いや、それ以上にこの膂力では自身の手を引き千切りかねない。
「ッ!!」
ユウが走った。目指すはレイによって地に押さえつけられる左手。その指先。
「勇者の嬢ちゃん!族長を、頼む――!」
身体全体で肉塊を抑え込もうとしている狼人族の一人が叫ぶ。
もう何もできないセラも、固唾を飲んで走る小さな背中を見守っていた。
勇者、〈世界を救う者〉。人間を救う者でも魔族を滅ぼす者でもない。その二つが融和することによって世界が救われると信じる者だ。
人間であるディナと、狼人族であるテヴォ。二人の関係性は、二人の間にある絆は勇者の目指す未来そのものだ。無くしたくない。守りたい。その一心がユウの脚を動かす。化物に触れようとすることに対する恐怖など最初からない。たとえ押さえつけられていなかったとしてもユウはその手を伸ばしただろう。誰かのためならば、自分の命などなんら惜しくはない。それが勇者、それがユウという少女。
(うちに勇者の力があるなら!今、この瞬間に使えなきゃ意味がない!今、この人を救えずに、勇者なんて言えるかっ!)
その時、初めてユウは、自分から力を使うことを望んだ。
人間を、魔族を、そして世界を救う勇者の力を――!
「頼む……親父いぃぃッ!!」
自身の右手首を掴んだディナの叫びを背に受けて。
勇者の小さな手の平が、肉塊の指先に触れた。