第五章 天に吠える狼少女(2/5)
「絶対……今絶対って言ったな!?」
妙な言葉に反応したユウにレイは怪訝な表情を向ける。そしてその夜空のような黒瞳にまだ諦めが映っていないことに驚いた。
「絶対に無理、ありえへん……やったら、勇者であるうちやったらなんとかできるんやないか!?」
「ユウ……あなた何を……」
いまだ肉塊と化したテヴォは苦悶の絶叫をあげながらのたうち回っている。その耳を覆いたくなる絶叫を背景に、ユウは語る。
「うちの勇者としての力は、“界律魔法”を使えること。そして、“界律魔法”は“可能性”を生み出す魔法。さくらもちをかばった時、小鬼族の婆ちゃんと手を結んだ時、うちはどんな“可能性”を願ったのか。リンちゃんママに言われてからずっと考えとった」
望んでなったわけではないが、ユウは彼女なりに勇者というものに真剣に向き合おうとしていた。今では世界を救うこと、それを人間と魔族の融和によって為すことはこの世界にやってきた自分の使命だと心から思っている。だからこそ、自分に秘められた力についても正しく理解しようと努めた。
そして、辿り着いたのだ。
「――うちは、人間と姿形の違うスライムと小鬼族が、共に手を取り合って生きていければと願った。そんな世界にこれからなってくれればって思った。やから、うちが生み出した可能性は、“人間と共に生きていく可能性”なんやないやろか」
それが彼女の行きついた答え。それが彼女の魔法。
世界を救う、無限の可能性――
それが本当だとしても。
「……もし本当にそうだとして、族長を元に戻せるわけじゃない。セルフィリア殿下が言っていたでしょう。界律魔法は目に見えるような効力がある魔法じゃない」
セラの指摘にユウは神妙に頷く。
「分かっとる。でも、あの暴れるのを止められたら元に戻す方法を探せるんやないか。少なくとも、多少の時間稼ぎはできる。あのまま暴れ続ければ、きっと……」
彼女の懸念は正しい。圧倒的な再生能力によって膨張する肉塊だが、それが物質である以上限界はある。放っておいてもいずれは再生に必要な質量がなくなり、ぐずぐずに崩れ落ちてしまうのだ。当然、暴れれば暴れるほどエネルギーを消耗し、崩壊までの時間は早まる。ジッとしていればその分延命はできるかもしれない。
「暴走を止められたとして、いつかは必ず肉体は崩壊する。それまでに元に戻す方法が見つかる可能性は限りなく低いわ。無闇に苦痛を長引かせることになるかもしれない」
低い、ではなく無理だろうとセラは思った。確かに暴走していない状態でその身体を研究できれば元に戻す方法の手掛かりを得られるかもしれない。今までそんなことに成功した事例は存在しないのだから。だがそれはそういった研究の専門家ならばの話だろう。今ここにいる魔法師は戦いの専門家である戦術魔法師のセラだけだ。そういった研究は専門外である。
「そうかもしれん。そうかもしれんけど……!このまま何もせんと諦めるなんてッ!!」
できるかできないか、ではない。全てを諦める前にやれることが残っているのならば。
「――あたしからも、頼む」
不意に聴こえた声の方向に一同の視線が向いた。
静かな寝息を漏らすシェサをそっと地面に横たえ、ディナが立ち上がろうとしていた。
「まだあのクソ親父には言いたいことが山ほどあるんだ。なのに、これで終わりなんてあんまりだろうが……!せめて最後に一言言ってやらねぇと気が済まねぇ……!」
祈るように、右の手首を触る。そこに結ばれた組紐。ディナとテヴォを結ぶ、親子の絆。
血の繋がりなど、種族の違いなど、その深い絆の前では何ら障害にもなりはしない。
信頼と愛情。勇者はそこに自分の目指す一つの理想形を見た。
「なぁに、多少苦しかろうが、あのクソ親父は頑丈さだけが取り柄なんだ。ちょっとやそっとの痛みじゃ参ったりしねぇさ。だから、少しでも可能性があるのなら、頼む……」
娘は、レイ、セラ、そしてユウと順に見た。もうその瞳は自分を見失ってはいない。
父親と同じ、その黄色の眼光に決意を湛えて娘は父の救済を願った。
「……よし、分かった。ユウ、どうすればいいか分かるか」
意外にも、真っ先にそう答えたのは殺すのが一番の救いだと明言したレイだった。
「正気?あの肉塊に“人間と共に生きていく可能性”を与えられたとして、それで大人しくなるとも自我を取り戻すとも分からないのよ?ユウを危険に晒して、やるだけ無駄かもしれないのよ」
それは形だけの否定。優しい魔法師の顔にはすでに苦笑が浮かんでいる。
「正気、じゃないのかもな。そもそも、“勇者特区”を作ってもらうためにエルガス王を説得しにいった時から。ユウに全てを賭けると誓ったあの時から。俺達はちっぽけな可能性にずっと手を伸ばし続けてる」
こんな幼い少女が世界を救うなど。そしてそれを心から信じているなど。これが正気の沙汰と言えようか。
けれども確かにレイは、セラは、この少女の行く末に確かな可能性を見たのだ。そのあまりにも小さな可能性に命を賭けようと誓ったのだ。
ならば、この少女が少しでも可能性があると言うのなら。自分達はその可能性を少女が掴み取る手助けをしよう。
「そう……そうね。やれるだけやってみましょう」
そしてセラは、その物憂げな瞳を勇者に向けた。
「どうすればいいの?勇者様」
「二人共……ありがとう」
気の抜けるような、どんな時であっても緩んだあの笑顔が浮かんだのは一瞬。すぐにその表情は険しく引き締まり地面をのたうつ肉塊へと向いた。
「リンちゃんママが言っとったけど、たぶんうちが界律魔法を発動するには条件がある。一つは相手に触れることやと思うけど、もう一つは……」
自分の手の平を見つめて考える。かつて二度起きた、界律魔法が発動した時に発生する“界脈”。あれが起きた時、相手に触れた以外にどんな要素があったか。
アー……
ユウの足元でさくらもちがぴょんぴょん跳ねた。この薄桃色の塊をかばった時、触れた以外にどんな条件が満たされていたのか。他のスライムに触れても何も起きなかった。さくらもちだったから界律魔法は発動した。その差はいったいなんだ。
「……相手も、うちと同じ事を想ってくれてること、かな」
手を結び合う。宥和し、融和する。それは一方的な感情では為しえない。
そんな当たり前のこと。
「でも、昨日族長と握手した時には何も起きなかったじゃない」
その指摘にはレイがいや、と頭を振る。
「それは必要なかったからじゃないか?もともとここの狼人族は、隠れながらではあるが教皇の庇護下で人間と共に生きていた。可能性を生み出すまでもなかったということだろう」
であるならば、肉塊と成り果て破壊を撒き散らすことしかできなくなった今ならば。可能性が皆無になった今だからこそ。
「なら条件は満たしてるはずや。親父さんは人間と仲良ぉしたいと思ってくれてる。あとはうちが触ればええだけや!」
結論は出た。勇者とその護衛二人は顔を見合わせて頷いた。
そしてユウはディナに向き直る。
「正直、ほんまにできるかどうかは分からん。でも、やれるだけやってみよか!」
そうして突き出された小さな拳。その華奢な手が、今はなんと頼もしいことか。
一瞬潤みかけた瞳を隠すようにディナはニッと口の端を吊り上げる。少年のような笑みを浮かべ、小さな拳に自分の拳を合わせた。
「頼んだぜ、勇者!」