第三章 自然と共に生きる者達(8/8)
セラ達とは少し離れた位置に座るユウ。その姿にちらちらと視線を送る小さな姿があった。
「……………」
ユウが視線の方へ視線を向けると、慌てて大人の陰に隠れる小さな毛玉。小さな、といっても背丈的にはユウと同じほどだろうか。
ふと思いついたユウはわざと顔を逆の方向へ向ける。
「――!」
今がチャンスとばかりに近づいてくる気配。ギリギリまで引き寄せてからユウはその気配の方へ振り向いた。
「――ぅあ!」
間近で交錯する視線。驚いて硬直するその自分と同じぐらいの背丈の狼人族をユウはじっくりと観察する。緊張でピンと張った両耳と尻尾。恐らく集落に入った時にディナがシェサと呼んだ狼人族の子供。炎の明かりに黒い毛が揺らめいている。名前は女の子に思えるが、ユウには外見から性別の判断はつかなかった。
その子供の手はユウのすぐ側、小さな勇者の護衛へと伸ばされていた。あと少しで触れるというところでユウが振り向いたらしい。伸ばした腕が中空で静止している。
「なんや、さくらもち触りたかったんか」
シェサの関心がどこにあるかを知ったユウは、その感心の向くものを抱え上げ、
「はい!」
目の前に差し出されたスライムとそれを差し出すユウをシェサは交互に見やった。さくらもちが小首を傾げるようにぷるりと震える。
「……………」
しばし硬直していたシェサだが、やがて好奇心に突き動かされるまま、その薄桃色に手を伸ばした。指先で何度か突いた後、ユウに促されるまま座った膝の上に乗せる。
「……ぷるぷる」
両手で揉み解すようにさくらもちを押し揉む。
アー
抗議の声なのか心地よいのか、余人には判断ができない鳴き声が聞こえてシェサはまた固まった。
「……スライムが鳴くなんて、知らなかった……」
「さくらもちは特別やさかい。ここら辺にスライムはあんまおらんの?」
「うん……すぐに他の獣に食べられちゃうから……」
このゼリー状の物体にロクな栄養があるようには思えないが、少なくとも水分補給にはなるのかもしれない。齧りとった破片が胃の腑の中で動くさまを想像するととても怖気が走るが。
「なぁなぁ、名前なんていうの?」
ユウが狼人族の顔を覗き込む。近づく自分とはずいぶん違う輪郭の顔、夜空のような黒瞳に見つめられてたじろぎつつも、
「――シェサ」
「シェサちゃんかぁ。うちはユウ。よろしくなぁ」
差し出された白い手を黒い手がおずおずと握り返した。
白い手が、茫と光出す。
「――え?」
握った手をそのままさくらもちの上へ。柔らかい身体を手を握ったまま撫でる。
ぷるぷる――
「スライムはな、魔力がご飯なんよ。だからこうやっていつもうちがあげてんねん」
さくらもちが嬉しそうに身体を震わせている。
「ユウは練魔行が使えるの……?」
ユウが魔力を放出したことでそう思ったシェサが驚いて問う。狼人族といえど誰もが練魔行を使えるわけではない。それは人間であれ魔族であれ、才能と努力によって会得する技術であるからだ。故にそれを会得した戦士達は狼人族の中でも尊敬の対象だ。
「ディナちゃんが使うやつ?まさかぁ。うちができんのは魔力を出すだけ。魔法も使えんよ。魔法どころか剣も振れんし……」
「でも、勇者なんだ」
この黒髪の少女が勇者であることはすでにテヴォから狼人族達に伝えられている。もっとも、勇者という存在そのものが彼らにはいまいち判然としないものであるから、人間のすごい人という認識程度しかないだろうが。
「一応なぁ。最初はうちも信じられんかったけど、どうにもほんまらしいわ」
最初こそ自分自身でも信じられなかった。だが、さくらもちと出会い、小鬼族と出会い、それが真実だと知った。今では〈深窓の才妃〉からのお墨付きだ。界律魔法を行使できるのがユウの勇者の力。それが未だにどんな効果を持つのははっきりとはしないが、漠然と、その力を使って何を為すべきは分かる。
魔族との和解。宥和して、融和する。それによって戦争を終わらせ、世界を救う。それこそが〈世界を救う者〉たる勇者、ユウの使命にして存在理由。
そのためにユウはここにいる。
そこでふと、シェサの視線がさくらもちではなく、自身の頭に向いていることにユウは気付いた。顔、ではない。髪、か。
「どしたん?」
首を傾げた拍子に墨を流したような漆黒の髪がさらりと流れる。艶めくその髪に、炎の明かりが蜃気楼のように揺らめいていた。それを呆けたように見やるシェサはぽつりと溢す。
「――同じ色だ」
その人間ではとても珍しい黒い髪と、シェサ達狼人族の纏う黒い毛皮。微妙な色合いや艶は違うが、黒という点では確かに同じ色だった。
同じ言葉を話し、同じ物を食べ、同じ毛の色をしている。
シェサが今まで知っていた唯一の人間であるディナは外見こそ狼人族とは大きく異なるが、その気質は限りなく狼人族だ。少なくともこの集落の狼人族は皆、ディナのことを同じ集落で育った同族、家族だと思っている。もちろんシェサもそうだ。
そして今日出会ったディナ以外の人間三人。最初はディナとはまた違う容姿をシェサは恐れ、近づくことができなかった。だが今、こうやって言葉を交わし、間近で姿を見て、違いなど些細なものでしかないとシェサは知った。
とりわけこの自分と同じ毛の色をした少女、歳も近いであろうこの少女を恐れる必要などいったいどこにあるだろう?
「……ユウ、この森の外がどんななのか、教えて?」
おずおずとそう口にしたシェサ。その視線の先にある火に照らされて朱を帯びた、毛が少なく、平な異種族の顔がニッと笑った。
「ええで!あ、でも、うちもまだ分からんこと多いけどな」
そう言ってから語られた人間の世界は、この森で生まれ、この森しか知らないシェサにとってはとても遠い地のことのように思えた。だが実際はそうではない。森を出れはすぐそこにユウの語る世界が四方に広がっている。近いどころか、目と鼻の先だ。すぐ側にある未知の世界の話に一匹、いや一人の狼人族の少女は瞳を輝かせていた。
その様子を、彼女の両親含め、多くの狼人族が見ていた。
まだ年若い、二人の少女の交流。次なる世代を担う者達の友好。
閉じられたこの森の中は、その小さな身体には狭すぎるのではないか。いずれ必ずくる破綻、その前に、彼女が進むべき道を示しておくのが自分達の役目ではないか。そしてその道は、この異種族の少女の見据える先にあるのか。
この宴は、“勇者特区”への移住を集落の狼人族に伝える以外にも、ディナ以外の人間との交流という意図が多分に含まれている。行きたいやつを連れていく分にはかまわないと言ったテヴォだが、その実その行きたいやつが増えるようにと手助けをしてくれている。娘の提案を無下にしないための、彼なりの親心。
並べられた皿の中身が全て空になるまで宴は続いた。人間と魔族が隣り合い、同じ皿の食事を食べ、語らった夜が更けていく。界律魔法などなくても、二つの種族はこれほどまで心を通わせられる。この時間は二つの種族が共に生きるという未来はあり得るのだと雄弁に物語っていた。
実際に“勇者特区”に移住するかどうかはともかく、この宴を経て狼人族の多くがそれを選択肢の一つとして真剣に考え始めていた。
いざとなれば、この幼い人間の少女に未来を託すのもありか。そう思っていた。
――誤算だったのは、そのいざがもう吐息のかかるほど近くまで背後に迫っていた、ということだ。




