第三章 自然と共に生きる者達(6/8)
「おっちゃんの言う自由は、自分達だけが生きていく話やんか。そうやなくて、他の種族のためになんかして、自分達が困った時は相手にも助けてもらう。めっちゃ困るようなことが起きたら、皆でそれに立ち向かう。自分らだけやなくて、皆で生きていく。うちが作りたいのはそういう場所や。そのために協力してくれんかって頼みに来とんねん。あんたらのこと守ったりますよって、そんな偉そうなこと言いにきてへんよ!」
話すうちに次第にユウの言葉に熱が籠る。
勇者だから、それだけではこんな言葉は出まい。世界を救うため、そんな大層なことのためでもない。これはユウの、彼女自身の願い。この世界に来て芽生えた彼女自身の望みだ。全ての種族が手を取り合って生きていく世界。お互いを傷つけあうことのない、争いのない世界。それが当たり前の世界。
「そんなてめぇ勝手な願いで、俺達に生まれ持った生き方を変えろってのかい」
「せや」
「てめぇみたいな考えの人間は多くねぇだろ。俺達魔族を目の仇にしてるやつはごまんといるはずだ。つまり森の外に出れば人間共にいつ殺されるか分からねぇ。俺達に命を賭けろってことだ。その意味をちゃんと分かってんだろうな?」
「そんな人らが来たら、うちが説得する。やから大丈夫」
あまりにも楽観視が過ぎる。例え勇者といえど、こんな少女の説得にいったいいかほどの効力があるというのか。魔族を憎む者の多くは魔族に何かを奪われた者達だ。そういった者たちにとって狼人族だ小鬼族だなどという区別などあるまい。魔族は魔族。すべからく斃すべく存在。そんな深く苛烈な憎しみをこんな少女がどうにかできるものか。
だがその黒瞳は、一切の不安も迷いもない。
「――話にならねぇ。俺はこの森から出ていくつもりはねぇ」
「親父!」
叫んで、ディナははたと気付く。場に満ちていた緊張感が消えていた。
「だが、行きたいやつを連れていく分にゃあかまわねぇ。若ぇのの中にはそれでも行きたいやつはいるだろう。ディナ、この嬢ちゃんを連れてきたのはオメェだ。オメェがそいつらの面倒を見てやれ。族長の娘としてな」
そう言って、ニッと歯茎を見せる。人間の子供が見れば泣いてしまいそうな笑顔。
一瞬あっけにとられた様子のディナだったが、やがて何か苦い物でも食べたかのように顔を顰める。
「このクソ親父……最初からそう言うつもりだったな?」
その言葉にはユウもぽかんとしてテヴォを見やる。
「若いのが何人か森を出たことで、このままじゃいられねぇってのは分かってた。この場所もいずれ教皇以外の人間に知られるだろうしな。そうなりゃいやがおうにも変わらにゃならん。どのみちこのままじゃいられねぇのさ。そんな時に誰でもねぇ、てめぇの娘が持ってきた話だ。乗るしかねぇだろ」
なんということはない。父は娘を信用しているのだ。その提案を最初から無下にするつもりなどなかった。
「だが分かったと言う前に訊くべきところはある。俺ぁそれを訊いただけだ。正直、皆で生きていく云々はどうなるか分からん。だが、その勇者の嬢ちゃんは本気でそれを為そうとしてるみてぇだ。嘘偽りなくな。だから、任してもいいと思った」
「でも、おっちゃんは行かへんって……」
「俺みてぇな年寄りはもうここじゃねぇどこかになんていけねぇよ。この場所に根が生えちまってる。無理に引っこ抜けば枯れちまうぜ。もうここは俺達にとって故郷なんだよ」
魔族領にいた頃を知る狼人族達は、すでにもうこここそが理想の地なのだ。誰にも支配されることなく、誰も支配することなく自然に生きられる場所。今さらどこかに行こうとは思わない。
「そっか……うん。それでええよ。じゃあ、よろしく頼むわ」
そう言ってユウは再び右手を差し出す。
「おう。こっちこそよろしく頼むぜ」
その手が握られた。小さな手と黒い毛に覆われた大きな手。片方はすっぽり毛に包み込まれて見えなくなってしまう。
「……………」
「ん、どした?」
しばし手を握っていたユウだが、握手が終わるとじーっと自分の手の平を見つめる。
「いや、何も起きひんなって」
ユウはてっきり年老いた母と手を結んだ時のように見えない波が起きるものとばかり思っていたのだ。まだどんな効果なのかすらはっきりしない自分の勇者としての力だが、それは恐らく相手に触れることで起きるものだろうことは経験で分かっていた。しかし、今回はその力、界律魔法が行使された時に発生する見えざる波、“界脈”が発生しない。
何かまだ条件が足りない?いや、あるいはもっと根本的な何かが……。
「まぁともかくだ」
長話で疲れたのか、テヴォはコキコキと首と肩を鳴らす。
「このことを皆に伝えにゃならん。そのために今日の夜は宴を開くぞ!宴の席にゃ皆が集まるからな!準備のために俺はもう行くぜ。宴が始まるまでは集落を自由に見ててくれや。じゃあな」
そう言って一足先に外へと出て行った。
「まったく、とんだクソ親父だぜ」
悪態をつきつつも、ディナのその顔にはホッとしたような苦笑が浮かんでいる。先ほどまでテヴォがいた場所に陣取ってお茶のおかわりを自分で入れて一息で煽る。気づかない内にすっかり口の中の水分がなくなってしまっていた。
「まったく話に入っていけなかったな」
知らず硬くなっていた身体をほぐしつつレイがセラに声をかける。
「ええ……でも、私達はただの護衛だし、これでいいんじゃない」
ホッとしてその場にへたり込む勇者を見やりつつ、護衛の魔法師はかすかに微笑んだ。
よく言えば護衛のしがいがある危なっかしい勇者だが、その小さな身体には強い意思の光を宿している。その光を護ることこそが自分達の役目だ。命の危険がないのなら、その光の進む先を決めるのは彼女自身。それを示すのは護衛の役目ではあるまい。
アー……
さくらもちが鳴く。まるで、自分もその私達の中に入っているぞと主張するかのようだ。
セラはその護衛仲間の頭をぽんぽんと撫でてやり、お茶を一口。首を傾げる。
「おかわりいるか?」
まだたっぷり中身の入った陶器を掲げてディナは一同を見回すが、二杯目を所望する者は誰一人としていなかった。




