第三章 自然と共に生きる者達(5/8)
「――なに?」
森の外、すなわち人間の世界。魔族が一度足を踏み入れればたちまち人間に見つかって殺されてしまう場所。つい先日もそれで命を失った者がいる。
「うちな、人間と魔族は、もっと仲良ぉできると思うねん。今はお互いのことを知らな過ぎて、殺し合ってしもうてるけど、もっとお互いのことを知れば、お互いが怖いものじゃなくなれば。手を取り合って一緒に生きていくことができると思うねん」
「ほぉん、妙なことをいう嬢ちゃんだ。だが、俺達は元から争うつもりなんてないんだがな。人間が勝手に怖がって襲ってくるだけだ」
相手が襲ってくるから。どこかで聞いたようなフレーズにレイは不思議な感慨を覚えた。それはレイがここに来る道中の馬車の中でディナに行った台詞であったからだ。
「うん。だから、怖がらんように皆のことを他の人間に知ってもらう必要がある。やから、“勇者特区”に来てほしいねん」
「なんでぃそりゃ」
その問いにはディナが代わりに答える。
「この勇者が作った、人間と魔族が共に生きれる場所さ。すげぇぞ!もうすでに人間と小鬼族が一緒に暮らしてるんだ!」
「ほぅ、小鬼族が」
それがどれほど奇跡的なことか。小鬼族を知る者ならば理解できよう。彼らは人間が組み敷けるような者達ではない。人間の言う事を聞くぐらいなら自滅覚悟で攻撃してくるような者達だ。
「人間と魔族はお互いのことを知らんだけや。お互いを知って、どちらかがまず武器を降ろせば争いは終わるんや。うちは小鬼族の婆ちゃんと話してそれがよぉ分かった」
我が子への愛情。魔族にもそれがあることをあの老小鬼族は教えてくれた。それを知ってしまったが故にレイは武器を降ろした。そして知るきっかけを作り出したのは紛れもなくこの異世界からやってきた少女だ。
「もっと魔族のことについて人間が知ることができたら……きっと争いはなくなっていく。逆もきっとそう。姿や生き方が違うってのは、恐ろしいことやないって皆が分かれば、きっと世界は変わる。争いは、誰かを傷つけることはアカンことなんやから」
〈世界を救う者〉、勇者。彼女の救う世界は人間のみにあらず。人間と魔族、双方の平和をユウは望んでいる。そんな誰もが一笑に付すような世界平和への第一歩が、すでに“勇者特区”という形で成されていた。
「なぁ親父、もう限界なんだろ?集落の若いのは皆外に出たがってる。“勇者特区”で、人間と共に生きる道を探してみないか。今はまだ“勇者特区”から魔族が外に出ることはできないが、いずれは狼人族が人間領のどこを歩いても殺されないような世界になる。そうだろ?」
魔族に育てられた少女の言葉に黒髪の勇者が強く頷く。
「時間はかかるかもしれんけど、必ずそうしてみせる。やから、その手伝いをしてほしい」
そして彼女は前に出てその華奢な右手を差し出した。もう小鬼族に殴られたことによってできた傷はない。
その手をジッと見つめつつ、テヴォは、
「……その“勇者特区”とやらにすでに小鬼族がいるのは分かった。だが、そこにいる人間はどんなやつらなんだ。嬢ちゃんと同じ考えの人間がそんなにたくさんいるのかい」
静観しているセラは内心舌を巻く。流石は族長、目をつける所が鋭い。
「今はうちらと警備の兵士以外は悪いことした人達やけど、いずれは、もっとたくさんの人も……」
「無理矢理魔族と暮らさせてるってわけかい。しかも罪人ときた。俺達魔族は何もしねぇでも罪人と同列ってわけだ。そんな場所に好き好んで行くやつがどこにいる」
「それは……」
差し出された右手が力なく降ろされる。テヴォの言葉がどうしようもなく真実だったからだ。
「親父!」
見かねたディナが割って入る。
「確かに“勇者特区”にいるのは無理矢理連れて来られた罪人だ。だがあたしはこの目で見てきた。罪人でも、小鬼族とよくやってたよ。前にいた収容所よりこっちの方がいいって言うやつがほとんどだ。小鬼族達も自分達の境遇には満足してるように見えた。それに、親父達が来てくれれば教皇は“魔族”という言葉を撤廃するつもりなんだ。小鬼族は小鬼族、狼人族は狼人族。魔族って一纏めにするんじゃなくて、仲良くできるやつはいるってな!そしたら、狼人族と交流するために“勇者特区”にも罪人以外の人が集まり始めるさ!」
最初はただの好奇心でいい。あるいは金儲けのためでもいい。そういった酔狂な者や強欲な者が関わり、狼人族が人間と何ら変わらない精神性を持っていると知ってもらうことができれば徐々に偏見は解けていくはずだ。もちろんそれにはローティス教も全面的に協力するだろう。
「そうはいうがな」
テヴォはその獣の眼光で真っすぐにユウの黒瞳を覗き込む。
「俺達は魔族領から逃げてきた。支配するのもされるのもごめんだ。俺たちゃあ自然に生きてぇんだ。陽と共に目覚め、森の獣を狩り腹を満たし、湧き水で喉を潤し、月明かりの下で踊る。そんな暮しがその“勇者特区”とやらでできるのかい。人間にこうしろああしろだなんて命令されるんじゃねぇのか。罪人への罰のように」
実際、そこですでに暮している小鬼族には鉱山労働が義務付けられている。完全に自由かと問われればそれは否だ。
「意固地になんのも――!」
いい加減にしろとディナが口にしようとして、その言葉がすんでの所で飲み込まれた。
「てめぇは黙ってろ。俺はその“勇者特区”を作った勇者に訊いてんだ」
いつの間にか、場に満たされた空気が変わっていた。ここではテヴォに許可されなくては何一つ喋ってはならない。ピンと糸が張ったような緊張感。族長という肩書きが持つ威厳と重みが生み出した空間。彼の判断一つがこの集落の全ての狼人族の命運を左右するのだ。この場では一切の嘘は許されず、曖昧であることも許されない。
「……何かしらの仕事をしてもらうことにはなる。でも、そのお礼は払う」
その言葉に族長ははんっと鼻で笑う。
「礼だぁ?俺たちゃ森がありゃ何もいらねぇんだ。若いやつが森から出たがるのはただの好奇心さ。それが満たされりゃすぐにまた元の生活が恋しくなる。誰かに言われてしたくもねぇことをさせられるなんざ、魔族領にいるのとなんら変わらねぇ。命令してくるのが上位魔族か人間かって違いだけだ。それなら、多少若ぇのには窮屈でも今のままここで暮らしていく方がいい。今のまま、ここで自由に」
自由。彼らが望むものがそれなら、おそらくそれは人間領の中にはない。もちろん、“勇者特区”にも。
親父がここまで頑固だとは思わなかった。ディナは内心でそう思う。ディナ自身理解が甘かったのかもしれない。この狼人族達がどんな想いでこんな人間領の奥深くへと逃げ延びてきたのか。彼らに育てられ、彼らと志は同じと思っていたディナだが、彼らが魔族領にいた時の事は知らない。
ユウはこれに何と言うだろうか。そう思ってディナが勇者の表情を窺うと、
「――その自由がおっちゃんの求めるもんなら、そんなん“勇者特区”にはあらへんし、これからもないよ。うちが作りたいのはそんな場所やない」
驚くほど真摯で、透き通った瞳が族長の視線を受け止めていた。
「うちは狼人族を匿ってあげるためにここに来たわけやあらへん。一緒に手を取り合って生きていくためにここに来てん。最初にそう言うたやんか」
「なんだと?」
「おっちゃんの言う自由は、自分達だけが生きていく話やんか。そうやなくて、他の種族のためになんかして、自分達が困った時は相手にも助けてもらう。めっちゃ困るようなことが起きたら、皆でそれに立ち向かう。自分らだけやなくて、皆で生きていく。うちが作りたいのはそういう場所や。そのために協力してくれんかって頼みに来とんねん。あんたらのこと守ったりますよって、そんな偉そうなこと言いにきてへんよ!」




