第三章 自然と共に生きる者達(1/8)
「なぁにぃ!?失敗しただと!?」
勇者一行が向かっている教皇領。そこに存在する豪華絢爛な調度品の数々に彩られた大豪邸の一室。ローティス教の枢機卿の一人、アムディールが部下からの報告に憤慨して、その贅肉まみれのはち切れそうな体躯を震わせた。いくらローティス教が人間の文化的な建築や芸術を否定していないとはいえ、自然を敬愛するローティス教の聖職者であるにも関わらずここまで装飾過多な屋敷に住めるのはその面の皮の厚さ故か。
「そ、それで、失敗した暗殺者はどうなった!?」
勢いのあまり跳び散らかされた唾液に顔を汚されながらも、司祭を示す衣装に身を包んだ中年男性の部下、オドムントは顔色一つ変えない。慣れたものなのである。それに、日頃この太った枢機卿から受けている金銭的な補助と便宜を考えればこの程度はなんら気にならない。部下からの信頼を得るためにこの枢機卿は金を惜しんだりしない。しかも金銭で言う事を聞く者とそうでない者をその肉に埋まった鼻で的確にかぎ分けて、必要な相手に必要なだけ金をばら撒くのだ。宗教屋よりも商人の方がよっぽど向いていると彼を知る全ての者は思っている。
「はい、その後拘束された暗殺者ですが、意識が戻るなり奥歯に仕込んだ毒で自害したようです。さすがはプロ、といったところですな」
二人が交わしている話は紛れもなく先日、勇者を狙ってラドカルミア王妃セルフィリアの屋敷に忍び込んだ襲撃者の話だった。
結果としてのその襲撃は失敗し、襲撃者はディナによって捕らえられた。その後、その身柄はセルフィリアへと引き渡されたのだが。あとはオドムントの語った通りである。依頼主や所属組織についての情報を吐き出させる前に自らその命を絶ってしまった。職業的暗殺者、人の命を奪うことを生業とする彼らは自分の命を奪うことにも躊躇がない。
オドムントの報告を聞いたアムディールはホッとしたように胸を撫で降ろし、深く椅子に身を沈めた。その肉の重さに高級品の椅子がぎしりと悲鳴を上げる。近いうちにまた新しい椅子を発注する必要がありそうだと手ぬぐいで顔を拭いながらオドムントは思った。
「もし儂が王妃の館に暗殺者を差し向けたなどと知れれば、今の立場どころか命すら危うい……。まったく、とんでもないタイミングで仕掛けおってからに……」
アムディールは確かに勇者の暗殺を依頼した。だが、そのタイミングまでは指定していなかった。おそらく通常ならば王族の住居などという危険な場所に目標がいるタイミングを狙ったりなどしなかったのだろう。しかしアムディールは知る由もないが、王族の住まいとは思えないほどにそこは警備が薄かった。だからこそチャンスだと暗殺者は忍び込んだのだ。そこが薔薇の城塞とも知らずに。
「勇者暗殺などもうお止めになっては。リスクを負ってまで枢機卿殿がやるべきこととは思えません」
オドムントが苦言を呈した。彼としては、甘い汁を吸わせてくれるアムディールに失墜して欲しくなかったし、有事の際にはその部下である自分も芋蔓式に処罰されかねない。
しかし、アムディールはテーブルに置かれた杯から上質な葡萄酒を味わいもせず嚥下すると、手の甲で口を拭いながら言う。
「……どうにも気にかかる」
「は?」
「“勇者特区”のことを話した時、教皇の様子が妙だった。あれほど饒舌な姿は見たことがない」
教皇、セムジ二世は他の信徒からあまり評判のよくないアムディールを高く評価している節がある。それは、アムディールのこのような一面を知っているからなのかも知れなかった。金銭への嗅覚然り、今のように他人の内心を読み取る術に長けている点然り。しかし、今ばかりはそれが裏目に出ようとしていた。
ふと、オドムントは思い出す。
「ああ、教皇で思い出しましたが、ラドカルミア王妃の館にて暗殺者を撃退したのは異端審問官だと観測者から報告を受けておりました」
「なぁ!?なぜそれを最初に言わんッ!」
「聞かれませんでしたので……」
アムディールは行き場のない感情を持て余すかのように中空で握りしめた肉団子のような拳を震わせた。
彼が今回手配した暗殺者は個人ではなく組織に所属する職業的暗殺者だ。そういった組織での暗殺が個人で行われることはほぼない。実行するのが一人であったとしても、事前の情報収集や仕事を終えた後の脱出経路の確保などいわば後方支援を担う者が同行するのが普通であり、それこそが組織の強みである。また、これにより万が一失敗した場合でも失敗した理由やそれがもたらした変化などを精確に依頼主へと伝えることができる。
例え悪い報告だったとしても、それを正確に、包み隠さず報告するかどうかで顧客との信頼関係が左右される。犯罪組織であったとしても、商売である以上信頼関係の構築は必須だ。アムディールのような太い客は組織としても手放したくない。
「ぬうぅぅッ!儂には介入するなと言っておきながらぁ!」
もっとも、秘密裏に勇者を始末しようとしたアムディールには教皇を糾弾する資格はない。
「紅髪の女の異端審問官だと聞いておりますね」
「女ぁ?教皇の秘蔵っ子か……あいつはどうにも分からぬところが多い……」
異端審問官は信徒の中でも特に教皇と同じ思想を持った者が選ばれると言われ教皇の指示のみで動く、いわば教皇の私兵である。その素性や動向などは例え枢機卿といえど知る由もない。しかし異端審問官も人の子である以上、必要とあれば調べることはできる。それこそ金に糸目をつけなければ大抵のことは。
不正を摘発するのが彼らの仕事である以上、狡賢いアムディールがそういった下調べを怠るわけがない。
しかし、まだ少女の身の上でありながら圧倒的な戦闘能力を持ち、異端審問官という地位に就くディナ・グランズという人物についてはロクな情報を得ることができなかった。
分かっているのは、教皇自らがどこからか連れてきてローティス教運営の孤児院に入り、そこで数年神学を学んだあとはそのまま異端審問官として働き始めたということだけだ。血縁関係やどうやってその戦闘能力を身に着けたのか、そういった事柄は一切判然としなかった。
「しかし……儂のすることを読んで勇者を護衛するために異端審問官を差し向けたとすると、教皇は勇者に死んでほしくない理由があるのか……」
太った枢機卿は窮屈そうに腕を組んで思案する。
「それで、その後その異端審問官はどうしている?」
「現在、勇者を連れ立ってこの教皇領へと向かっているとのことです。現在も観測者は対象に気取られない位置から監視を続けているとのこと」
まだ一般には普及していないが、魔法式を用いた遠距離通信はすでに実用段階にある。それを用いればこういった情報をリアルタイムに伝達することが可能だ。魔法式の開発者といえば真っ先に名のあがる〈深窓の才妃〉などは民衆にも使えるように式の簡略化に努めているようだが、こういった最新技術というものはえてしてまず悪用しようとする無法者に伝わるものだ。
「ここへ……?教皇自ら勇者に会うつもりか?いや、教皇は儂にはラドカルミアに介入するなと言った。それで自ら勇者に会うなど、儂に反目の機会を与えるようなもの、そんな愚を犯すような男ではない」
思考が回る。その教皇の見立て通り、このアムディールという男は間違いなく頭の回る男だ。問題はそれが誤った方へと回ること。正しき方へと回っていれば、次期教皇の座も夢ではないということに本人が気づくことは一生ないだろう。
「いかがいたしましょう」
オドムントの問いにうむと頷きつつ、
「正確な目的地が分かるまでは監視を続行させろ。暗殺が失敗したのだから、それぐらいはやってもらわねばな」
「かしこまりました」
一礼してオドムントが退室する。その背中を見やりつつ、アムディールは、
「何かある……教皇め、何が目的だ?何を隠している?暴いてやるぞぉ、やつの弱みを握れば、次期教皇の座は儂のものだ。儂ならば大陸全土をローティスの名の下に統一できるのだ……」
それを当の教皇が聞けば、強制された信仰に意味などないと一蹴されるであろうことは明白だろうに、努力の方向性を誤っている枢機卿は一人ほくそ笑む。
抗議するかのように、また椅子がギシリと悲鳴をあげた




