第二章 紅髪の異端審問官(7/7)
「あんたにだったらこのまま抱かれてもいい」
「お前そんなでも聖職者だろう。しかも若い女がそんなことを気安く言うんじゃない」
生真面目な騎士らしい返答。
「別に処女じゃなきゃ神に仕えられないわけじゃないさ。でも、その時はしっかり中てるつもりで頼むぜ?」
ローティス教が男女の自然な営みに関してあまりとやかく言う事はない。が、あまりに生産的でない行為に関しては人間を堕落させるとして否定的だし、行為の結果としてどのような責任が生まれるかについては厳格に教えを説いている。ようは双方合意の上で子孫を残すという目的ならば何もおとがめはないということだ。
「……朝っぱらから何話とんねん。レイ君のスケベ」
横から投げかけれた、まだそういった事柄とは縁遠い幼い少女の侮蔑混じりの視線。
「俺か?俺が悪いのか?」
「やって思いっきり抱きしめとるし……」
言われてはたと思い至りレイはディナの拘束を解いた。今回の組手で彼女に余計な傷を負わせず、かつ彼女に負けを認めさせるにはこうやって動きを封じる他なかった。
残念そうに、ということもなくレイから離れたディナはふと思いつき、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「よかったよ。激しくて。またやろうぜ」
「一回だけと言っただろう……」
余人が聞けば妙な意味に捉えられかねないような言い回しに、レイはうんざりと肩を落とす。朝の鍛錬にしてはハードワークが過ぎた。
「……で、終わったみたいやけど、セッちゃん起きた?」
恐る恐るユウが隣に視線を向けると寝起きの魔法師はいまだ不機嫌そうではあるが、
「……それなりに」
そう言って立ち上がって出発の準備を始めた。身体を動かせる程度には目は覚めたらしい。少しばかり安堵しつつも、一同は教皇領への道行を再開すべく準備を始めた。なお、御者に雇った男性はとっくの昔に準備を終えて馬に餌をやっている。ある程度の素性は話してあるとはいえ、レイとディナの組手には度肝を抜かれていたようだったが。
焚火の始末など野営の後始末を一通り終え、さぁ馬車に乗り込もうという、その時。
「……え、ちょ、えええええっ!?」
突然張り上げられた大声に一同が振り返ると、何やら足元を見ながらわなわなと振るえるユウの姿があった。
「どうした?」
怪訝に思いレイが声をかけると同時、ユウがしゃがみ込む。その視線の先にはいつも彼女の後を付いてくる友人がいる。
「さ、さ、さくらもちが……!さくらもちに……!!」
「さくらもちがどうかしたの?」
目が覚めて機嫌も直ったセラがユウの視線の先を覗き込む。そこには――
「さくらもちに穴空いてもうたッ!?」
ユウの絶叫通りに、その薄桃色の楕円に奇妙な穴が開いていた。大きさはユウの拳よりも少し小さいほど。それが楕円の半分ほどまでを貫いている。ナイフか何かを突き刺してぐりぐりと抉ればこんな痕が残るかもしれない。だが、普通はスライムにそんなことをしてもこのように痕が残ったりはしない。ゼリー状の彼らの身体は分断でもしない限りすぐにくっついてしまうからだ。
ぷるぷる――ぷるぷる――
しかもその穴、何やらもぞもぞと蠢いている。
「ど、ど、どうしよ!?昨日うちがお尻に敷いとったからかな!?」
昨日の段階で、さくらもちには重大な任務が与えられていた。それはこの旅の間、馬車の振動から勇者のお尻を守るという重大な任務である。
思い起こせばここ数日、ユウは馬車に乗りっぱなしだった。ユウでなくともそろそろ臀部が痛くなってくる頃である。それに耐えかねたユウは申訳ないとは思いつつもさくらもちをクッションとしてその上に座っていたのだ。本当にある程度意思が通じているようで、さくらもちはそれに一切抵抗しなかったし、昨日の夜の段階ではユウの体重で身体が変形するといったこともなかったのだが……。
「……いよいよ寿命かしらね」
セラが恐ろしいことを言うのでユウがサァッと青ざめた。
「そ、そんな……」
半分冗談だったのだが、思った以上にユウが絶望を顔面に浮かべているので少しセラは反省した。実際のところスライムの寿命などセラには分かりようもない。ただそれを生物という枠組みに入れるというのなら必ず終わりは存在するはずであるし、自然動物などは些細な病気などで即座に命を失いかねない。逆に自然現象という色合いが強いのならば、そんなもの存在しない、という可能性も十分にあるのだが。
「アカン!さくらもち死んだらアカン!ずっと一緒って約束したやんか……!」
いつそんな約束したのか護衛の二人には分かり兼ねるが、ともかく必死な様子のユウは何とかならないかと薄桃色の塊に両手を当てて魔力を流し込む。
するとそれに反応したのか、穴の先、塊の中心付近にぽこりと空間ができたかと思うとそれが膨らみ、そして――
ぷひぃー
傍から様子を見ていたレイはその間の抜けた音に腰を抜かしそうになった。どうやら中心部分の空間は空気溜まり、身体の伸縮によって穴から空気を吸い込んで、それを鞴のように噴出したようである。
「さくらもちが壊れた……」
ますます絶望に打ちひしがれる勇者に追い打ちをかけるように、穴はもぞもぞと動く。何やら最適な形状を探しているように思えるような試行錯誤の後、とうとう――
アー……
「鳴いた!?」
それは確かに音だった。甲高い、笛の音にも似た音。意図的にそれを出したというのならば、それは紛れもなく鳴き声に相当するものであろう。
「なんていうか……キモいな」
率直な感想を漏らしたディナ。どうやらその言葉が聴こえたらしいスライムは一瞬、ショックを受けたようにびくんと震えると、
「穴なくなってもうた……」
皆の目の前でその声帯に相当するであろう穴はすっと消えて、元のつるりとした楕円がそこにあった。ユウがもにょもにょとその身体を触診するが、特に異常はない。昨日見た姿と同じ、薄桃色の楕円形。
「ちょっとディナちゃん!ディナちゃんがキモいなんて言うから、さくらもちなんかしようとしてたのにやめてもうたやん!」
「ええ……元に戻って欲しいんじゃなかったのかよ……」
絶望から一転、ぷんぷんと頬を膨らませてしょげてしまったスライムを抱える勇者。本当にディナの言葉に反応したのだとしたらこのスライム、実はかなり繊細なのかもしれない。
「……何か、そう、魔力の過剰摂取による変化が起きてるのかもね」
顎先に手を当てて魔法師は思案する。魔力というものは生命を司る力。大気中の魔力が多い場所とそうでない場所では、生息する動植物は同じ種類でも少しばかり装いを変えるという。具体的には身体はより大きく、行動はより活発になる。大気中の魔力量でその変化なのだから、本来あり得ない量の魔力を直接注入されているさくらもちに何かしらの変化が起きても不思議ではない。
「ごはん控えた方がええやろか……?」
不安げにユウがセラに問う。
「別にいいんじゃない?さすがに食べ過ぎで死ぬってことはないだろうし……太りはするかもしれないけど」
「むぅぅ……ちょっと量減らすか……」
ぷるぷるとさくらもちが震える。イヤイヤと言ってるように見えるのは気のせいだろうか。
「どうでもいいが、御者が待ちくたびれてるぞ」
ひとまずさくらもちが元に戻ったのでユウは一安心、とりあえず今日はさくらもちを尻に敷くのは止めようと心に誓い、馬車に乗り込んだ。
騒々しい朝の一幕がやっと降り、ようやっと一同は教皇領への道行を再開したのである。
そこから先の旅路はごく平穏なものとなったが、以降、時折奇妙な鳴き声が馬車の中に響くようになった。