第二章 紅髪の異端審問官(4/7)
「でもやぁ」
と、今まで話が小難しくて会話に割り込めなかったユウが口を開く。
「教皇さんって偉い人なんやろ?やったら、そんなこそこそせんと皆仲良ぉしなさい!って言えばえーやん」
「そうしたいのは山々なんだけどな……」
ユウの素朴で純粋な疑問にディナがその赤髪をぽりぽりと掻く。
「いくら教皇の言葉でも、信者が皆言う事を聞くわけじゃない。魔族は敵、分かり合うことはできない。そういう認識があまりにも深く人々の心に根差しちまってる。教皇がこの魔族とは仲良くできるって言っても他に賛同してくる者がいなけりゃ乱心したと思われるのがオチだ。枢機卿の中には魔族を従える勇者に刺客を放つような輩もいるぐらいだしな」
もっともやつの場合、魔族への憎しみ以上に勇者を亡き者にした後、ローティスの教えに背いた者に天罰が下った、ラドカルミア王国は悔い改めるべきであるとか難癖をつけて布施を巻き上げるのが目的だろうが。と、ディナは内心付け加える。
ディナはもう一度脚を組み、両手を頭の後ろへ。体重を背もたれに預ける。
「あたし達異端審問官は教皇と志を共にしてるが、なんせ嫌われ者でね。こういうところじゃ教皇の助力にはなれない。歯がゆいねぇ」
まだ十四の少女に苦労してるんやな……という憐憫の籠った視線を向けられてうら若き異端審問官は苦笑を漏らした。
「――でも、〈世界を救う者〉である勇者が声を揃えてくれりゃ、話は変わってくるかもしれない」
体勢はそのままに、声の調子だけが切実な色を帯びる。本当に、心からその魔族の行く末を憂いでいる声色。それを勇者は敏感に感じ取る。
「ディナさん、その保護してる魔族と仲良えんか?」
ユウの言葉にディナは再び視線を自分の右腕に。つられてユウもその組紐を見る。あまり見栄えの良いアクセサリーとは言えない。
「まぁ、な。あいつらが他の人間に見つかって殺されちまう前に、なんとかしたいと思ってる。そのためにあいつら自身の協力も必要だ。それをユウに、小鬼族を手懐けた勇者に頼みたい」
手懐けた、という表現にむっとその細い眉を寄せた少女を見て、
「小鬼族と“和解した”勇者に頼みたい」
言い直したディナにユウがうむと頷く。
「まずは狼人族が無闇に人に危害を加えない種族だと証明する必要がある。そのためにまずあいつらを“勇者特区”に連れて行って、人間と共に生きていけるんだと示したい。ある程度それが周知できれば、教皇は勇者と共に“魔族”という総称を撤廃する宣言をしたいそうだ」
「魔族を、撤廃……?」
その言葉にはユウのみならず他の二人も怪訝に思い、視線を集中させた。
「魔族つってもいろいろいるだろ。狼人族、小鬼族、長指族、魔神族……それぞれ姿形も違うし生き方も違う。なのにあたしたちは人間以外の種族を全部魔族で一括り。それって、おかしいだろ?」
考えてみれば、いや、考えなくともそれがおかしいということは分かるはずなのだ。だが、今まで人間はそれをおかしいとは思わなかった。自分達と違う姿をした者達はすべからく恐ろしい。そこに区別などない。全て排斥してしまうのがもっとも安全で確実だ。動物的本能に根差した防衛行動。人間が本能のみで生きていたのならばそれでなんら問題はない。
だが人は考える力を得た。理性の光が頼りなく前方を照らし、他の生き物が通ることのできない暗闇の中の細い道が見えている。その道の先には、他の生き物では辿り着けないような繁栄と調和があるはずだ。そここそがローティス教の目指す精神的な理想郷である。
「もちろん、どうしたって分かり合えないやつらはいる。狼と羊は友人にゃあなれない。だけどあたし達は羊じゃないはずだ。争わず、平和的にこの世界で共に生きていくことができる方法がきっとある。あって欲しい。教皇は……あたしはそう思ってる」
最後の一言が少し照れくさかったのか、ディナはそっぽを向いて頬を指先で掻いた。
「ともかく、魔族だから敵って認識は改めて、仲良くできるやつとは仲良くしていけば争いは減る。人間はもっと自由に、自然に生きられる。そのために、勇者の力が必要だ」
感心した様子でディナの言葉に耳を傾けていたユウ。やがて、感極まったように立ち上がって異端審問官の手をとる。立ち上がった拍子に膝の上のさくらもちが転がって横のセラの膝の上へ。ガタンと馬車が揺れてバランスを崩したユウを筋肉質な両腕が受け止めた。
「おっと!おいおい移動中に立つなよ。危ねぇぞ」
「――今の話、感動した!うち、“勇者特区”に帰ったらローティス教の教会を造る!もっとその教えを広く伝えていこ!」
すぐ間近で満点の星空のように煌めく黒瞳に見つめられて、ディナは一瞬たじろいだが、すぐにその口元に笑みが浮かぶ。少年のようにあけすけで、爽やかな微笑。
「そりゃいい!援助するぜ!管理運営する人材はこっちから派遣しよう!」
物憂げな視線を膝の上に落しつつ、セラは大人しい魔物を一撫で。すぐ側で異端審問官の語るローティス教の教えとそれに相槌を打つ勇者のやりとりを聞き流す。セラ自身もローティス教徒ではあるのだが、あまり熱心な方ではなかった。ラドカルミアの多くの民と同じように冠婚葬祭をローティスの名の下に行う程度、細かい教義などに興味はない。故に別のことに考えを巡らしていた。
大陸全土に信者を持つローティス教、その教皇の知られざる思想。魔族を滅ぼして得られる平和ではなく、融和によって平和を得ようとするその姿勢。それは荒唐無稽に思えた勇者の思想と合致する。この世界にもそのような思想を持つ者がいたのだ。誰にも知られてはならぬとその想いを深く胸の内に隠して。勇者が召喚されなければその想いはそのまま墓標の下に埋まっていたのだろう。誰にも継承されることもなく。
勇者がその想いを陽の光の下に連れていこうとしている。ただ彼女が現れたという、ただそれだけの理由で人々が動き始めている。世界が大きく変わろうとしている。
〈世界を救う者〉。その運命を背負う者。運命というあまりにも曖昧で、巨大な流れ。その奔流をセラは感じずにはいられなかった。召喚されたのがユウでなければ、あの時、あの道を通ってスライムに出会わなければ、デマリという農村に行かなければ、小鬼族が襲ってこなければ。全ての偶然が必然に見える。これが勇者召喚という界律魔法によって為されたというのならば、文字通り世界を律する魔法だ。あまりにも遠大過ぎて恐れすら感じる。
だが、それのもたらす未来は決して恐ろしいものではないはずだ。ならばその流れに身を任せて、否、自分自身の意思で自分が正しいと思うことを為せばそれが流れとなるはずだ。セラが勇者の護衛に選ばれたのもまた、必然だったのであろうから。
膝の上のスライムが何か言いたそうに身じろぎする。そこそこの期間を共に過ごして、セラも少しばかりこのさくらもちという名の薄桃色の塊の思考が分かるようになってきていた。
右手に魔力を集中、それをゆっくりと放出しながらさくらもちを撫でる。勇者の奇妙な友人は満足気にその身を弛緩させた。
先ほどまで考えていたことはそれですっかりと霧散して、餌やりを続けながらセラは首を捻って外の景色に視線をやった。そろそろ王都を囲う城壁に辿り着く。果たして一週間の馬車旅に勇者の尻が耐えれるだろうかとぼんやり考えているとふと、思い出したことがあった。
「……朝食、食べ損ねたわね」