第一章 深窓の才妃(8/8)
「んー、やっぱ王妃ともなると食ってるもんの質が違うな」
と、感嘆を漏らしつつも、苺のジャムをこれでもかと塗りたくった上質な小麦で作られた白パンに赤毛の少女がかぶりつく。そこに遠慮や上品さなどは欠片もない。
場所は王妃セルフィリアの屋敷一階、大きな長テーブルが置かれた食堂である。貴族などを招いた晩餐会などが行われる部屋であるが、基本的にそれ以外では使用されない。今回はその例外といったところ。
「そんなことが昨日あったんか。夢も見ぃひんぐらい熟睡してたわ」
言いつつ黒髪の勇者もジャムを乗せたパンをかじる。向かいに座るレイから事情を聞いている間も終始食べる手を止めないあたり、なんとも気楽というか食い意地が張っているというか。
とは言っても、最初に少女が呟いたように料理の質が質なので今回ばかりはレイも気持ちは分かる。そもそも朝食を摂ること自体とても贅沢なことなのである。
「……で、貴女誰?」
ユウの隣でパンにジャムを塗っていたセラがようやっとその問いを口にした。三人の分の視線が向くとさすがに少女も食べる手を止める。
「見たところ、ローティス教の関係者のようだが。ただの修道女、なわけないな」
多少改造されていても、その白地に緑の意匠は間違いなくローティス教の象徴である。そこは間違いない。だが、ただの修道女があの手練れの襲撃者を撃退できるはずもない。
「ローティス教ってうちも知っとるで!まぁ、名前ぐらいしか分からんけど、“勇者特区”にもいつか教会作らなならんなって話したもん」
その言葉を聞いて、お、と少女は喜色を浮かべた。
「そりゃいい。いっそ勇者様もローティス教に入信してくれりゃ話が早いんだが」
返答に困ってユウはレイとセラを見る。
「別にそれ自体は悪いことじゃないが、それよりも、だ」
レイが視線を送ると少女がああ、とその意図を察する。
「あたしはディナ。ディナ・グランズ。これでもローティス教の異端審問官でね」
ディナと名乗った少女はそう言ってニッと口の端を上げた。その少年のような笑顔と大層な肩書きが重ならず、セラは首を傾げた。ユウにいたっては何のことやらといったふうだ。
「異端審問官って、あれよね。ローティス教を国教と定めている国で異教徒を摘発したり、ローティスの教えを曲解している連中を取り締まるっていう……」
そうそうと頷いてディナは食べかけだったパンを掴んだ。我慢の限界だったらしい。
「俄かには信じられん話だな……」
異端審問官と言えばその性質上、聖職者の中でもあまりよい印象のない役職の者達だ。異端を取り締まるという一点において彼らは特別な権限を与えられており、激しい抵抗にあった場合や著しく反社会的な行動を行った異教徒に対して超法規的措置を行える。とどのつまり、相手を殺害しても罪に問われない。
異端審問官に異端と断ぜられれば殺されても文句は言えない。故に人々は恐れ、その役職に就く者は限りなく教皇の思想に近い、敬虔な信徒が選ばれるという。それをこんな少女が……というレイの疑いの眼差しにディナはパンを加えたまま懐をごそごそと探り、銀の輝きを放つ装飾品をテーブルの上に乗せた。
「疑われるのは慣れてるが、これで信じてくれると助かる」
その装飾品をレイとセラが覗き込む。手の平に収まるほどの、睡蓮の花があしらわれた銀細工。かなり装飾が細かい。細工師の技量が窺える値打ち物だ。そしてそれは高位の聖職者のみが所持を許される聖印でもある。
「綺麗な花やね」
もくもくと朝食を食べていたユウが呟いたのに合わせて二人も検分を終える。二人に専門的な知識はないが、おそらく本物。二人は一つ顔を見合わせてディナの言葉を信じることにした。その銀細工もそうだが、何より昨日見た彼女の圧倒的な戦闘技術。異端審問官はその職務の最中に抵抗に遭うことも多い、その抵抗に対処できる人材でなければ異端審問官は務まらないのだ。
「――で、その異端審問官がどうしてここに?」
早々に自分の分を食べ終えたディナが指についたジャムを舐る。
「ん、勇者に会いに来たのさ」
「ユウに?」
「ユウって名前なのか。けっこう探したんだぜ」
ここまで道行を振り返り、ディナはうんざりと、
「“勇者特区”にいると思って行ってみりゃ、王都に戻ったっていうじゃねぇか。んで、王都に戻ったら今度は王妃の屋敷ときた。そもそも“勇者特区”の警備兵にしろ王宮の衛兵にしろ、勇者のことに関して口が堅いんだよ。いちいち王の書状を見せねぇと何も話やがらねぇ」
勇者が召喚された、というのはもはや周知の事実だが、その勇者の所在や容姿などはみだりに口外しないように兵達は厳命されている。余計なトラブルを引き込まないためである。
「王の書状……エルガス王にはすでに話は通してあるのか」
「ああ、事が事だったからな。教皇の名代としてじっくり話をさせてもらった。うちの教皇も大概見た目で相手を黙らせるタイプだが、ありゃ別格だな。〈鷹の目の武王〉の通り名は伊達じゃない。睨まれた時、流石のあたしでもちょっと肝が冷えた」
おそらくディナの反応こそが正常な反応。ユウのように武王の前で気の抜けた笑みを浮かべられる者は稀だ。
教皇の名代として、とディナは言った。しかしそうなると、この異端審問官は個人の理由などではなく、ローティス教という大組織として勇者に接触しているということになる。そしてそれによって為そうとしていることは少なからず国王に睨まれるような案件ということだ。
「何が目的?」
単刀直入にセラが問う。ディナの口角が上がって鋭い犬歯が光る。
「まどろっこしいやり取りがないのは楽でいい。だからあたしもそうさせてもらうぜ」
そう言ってディナはセラではなくユウの方に顔を向けた。皿にこぼれたジャムをパンで拭き取っていたユウははてを顔を上げる。
「ユウ、お前、魔族と和解しようとしてるだろ?“勇者特区”はその足掛かり、違うか?」
護衛の二人が硬直した。
いや、そう思われる可能性自体は十分あり得る話だ。何もおかしくはない。だがそう言われた時に、魔族と手を結んでいるわけではないという体裁を保つために“勇者特区”は罪人の収容施設ということになっている。魔族と和解しようとしているなど知られれば、他国にどんな目で見られるか。最悪戦争に発展しかねない。ましてやディナはローティス教の異端審問官、国家を跨いで多くの信者を持つ大陸屈指の宗教組織。神の名の下にという大義名分が成りたてば隣国は喜んで挙兵するだろう。いくら軍事国家であるラドカルミア王国とて、ローティス教徒の国家が徒党を組めば敵うはずもない――。
だと言うのに、この黒髪の勇者は。
「せやで?仲良ぉすんのが一番や」
と、事も何気に言い放った。あまつさえそのまま皿を綺麗にする作業に戻ってしまう。
言葉を失った護衛二人。
そして、静寂に包まれた食堂に気持ちのいい笑い声が響いた。
「く、はっはははは!当然のように言うな!いや恐れ入った!その一言が言えずに、あたし達が一体何年過ごしたのかも知らないで!」
やがて笑いが収まって、目尻に溜まった涙を拭ったディナは言った。
「ユウ!頼みがある!教皇領に来て欲しい!そこに、会って欲しい魔族がいる!」




