第一章 旅立ちと二人の同行者(2/5)
「旅?うちが?」
少女がこの世界に喚ばれてから数日。再び少女は玉座の間へと呼び出されていた。
この数日の間に少女はこの世界に適応を始めていた。幸いなことに召喚された際に何かしらの魔法が少女に作用していたらしく、言葉の壁は存在しなかったので、世話役の侍女や護衛の兵士たちからこの世界で暮らしていくための最低限の知識を教わることができた。
服の着方、井戸の釣瓶の使い方、通貨単位の数え方などの日常的な知識。少女の知識の乏しさは侍女達には前の世界でどうやって生活していたのか分かりかねるほどで、数名の侍女が少女に付きっきりで生活の仕方を教えることになった。
少女に旅立ちの提案をしたケイネスはええと頷く。
玉座の間にはケイネスの他に玉座に腰掛けたエルガス王、その前に立ち尽くす少女、壁際に数名の兵士の姿がある。
「貴女がどうしてこの世界に喚ばれたのか、その理由はお話しましたね?」
ケイネスの言葉に少女はこくりと頷いた。滑らかな黒髪がさらりと流れる。
「ずぅっと昔から続いとる人間と魔族との戦いを終いにするためにうちは召喚された。うちはこの世界の人間の希望、勇者や!って話やな?」
「ええ、その通りです」
意味は理解できるのだが、少女の話し方には妙な訛りがある。この世界のどの地方の訛りとも合致しないおっとりとした口調。少女が言うにはカンサイベンというらしい。
「正味うちが勇者なんて信じられへんねんけどなぁ、運動音痴やし……」
そういってえへへと少女が鼻先を掻く。
もっとも、そう思っているのは少女だけではないわけで。
「ええ、まぁ、正直我々も貴女が本当に勇者足りうる器なのか計りかねています。こちらが勝手に召喚しておいて大変心苦しくはあるのですが……」
申訳なさそうに視線を落すケイネスに少女はなんとも気楽な様子でええよええよと両手をひらひらさせる。
「そのことはもうええねん。元の世界にまったく未練がないわけやないけど、メイドさんとか兵士さんはよぉしてくれるし、リンちゃんっていう友達もできた。やからそのことはなんも恨んでへんねん」
リンちゃん、とはエルガス王の娘であるリンシア姫の愛称である。そう呼ぶのはこの少女しかいないが。
「そう言っていただけるとこちらとしても助かります」
ケイネスは深々と一礼。
これで少女が元の世界に還せなどと言った日には、ケイネス達は謝ることしかできないのだ。そうならないだけでも本当に少女の適応力には感謝しなくてはならない。
「ですが……」
ただ、それで万事よいと言うわけにはいかない。申し訳なさそうな表情から一転、ケイネスが表情を険しくする。
「貴女は勇者としてこの世界に召喚されました。だと言うのに剣もロクに振れず、魔法理論の講義の最中にはすぐに寝てしまわれる」
うぅと少女が目を逸らす。
「小難しい話は苦手やねん……」
そこで、とケイネスが人差し指を立てた。
「習うより慣れろと言う言葉があります。まずは貴女にこの世界を理解していただきたい。どうやって人々が生活しているのか、戦うべき魔族とはどういう存在か。識らなければ護ろうという気も、立ち向かおうという気も起きないでしょうから」
確かになぁと呟いて少女がうんうんと頷く。
「兄ちゃんええこと言うなぁ。さすがメイドさんにモテモテなだけあるわ。うちあんま好みちゃうけど」
「……………」
ケイネスはゴホンと咳払い。隣のエルガス王の意味深な視線がその横っ面に刺さる。当然だがケイネスは妻子持ちである。
「えー、それで、です。貴女が勇者として召喚されたことには必ず意味があります。意識が変われば、貴女の中に秘められている貴女も知らない力が目覚めるかもしれない」
勇者召喚が正しく成功していたのなら、少女には常人を越える何かしらの力が必ずあるはずなのだ。そしてそれは先天的なものであるとは限らない。
何の能力もないただの少女が、召喚されたことによって後天的に能力を得るということも十分考えられる。勇者召喚は世界の理を変える魔法、因果や運命そのものをあの召喚の際に創り出していたとしても不思議ではない。
「そのための旅っちゅうわけかぁ」
伝えたいことは伝わったようなので、ケイネスは満足して頷く。
概要の説明が終わったところでエルガス王が話を引き継いだ。
「旅といってもそれほど大層なものではない。このラドカルミア王国の領土を散策する物見遊山と思えばよい。資金も出す、護衛もつけよう」
「旅は旅でも旅行みたいなもんか。ええなぁ」
そうはいうものの本当に旅行するだけでは困る。少女がどうにもエルガス王の言葉を真に受けてしまったように見えたので、ケイネスが再び口を開く。
「言っておきますが、このラドカルミア王国内……人間領の中でも下級の魔族や魔物は出没します。そういったものを見かければ退治するのも旅の目的です。実戦の中でこそ力は目覚めるものですから」
「お玉で倒せる?」
「もっとも軽い細剣を支給します……」
当然お玉で倒せるような魔族はいないし、細剣を持ったとしても少女の技量で倒せる魔族はいないだろう。
彼女の身を守る護衛が必要だ。
エルガス王がパンパンと手を叩くと、壁際に控えていた兵士達の中から二人が一歩前に出る。
「この者達がお前の身を守る。いずれも腕に覚えのある者達だ」
王に促されて二人が少女の前へと歩み出る。きょとんとしている少女の前に片膝をつき、恭しく一礼。
「お初にお目にかかります。勇者よ」
一人が口を開いた。
「私はラドカルミア王国騎士団“一の騎士団”所属の騎士、レイ・ルーチス。勇者様の身の安全は私が一命に代えてもお護りいたします」
短く刈り込まれた髪に日焼けした肌。衣服の上からでも分かる鍛え上げられた肉体。それが威圧的に見えないのはその引き締まった顔立ち故か。
歳の頃はまだ二十の前半ほどに見える。口調や礼をする動作の端々に垣間見える几帳面さはよく言えば真面目そうな、悪く言えば堅苦しい印象を受ける。
その青年に続いて隣の人物も口を開く。
「セラ・リグン。ラドカルミア王国魔法師協会所属の魔法師です」
端的、というよりもそっけない自己紹介をしたのは女性だった。歳はレイと名乗った青年と同じほどだろう。
濃緑の髪を後頭部で纏めたポニーテイル、少女の足元に向けられている物憂げな瞳は底の見えないほど深い湖のよう。一度微笑みを浮かべれば男の一人や二人簡単に落とせそうな美人であったが、どこか人生に疲れたような気だるげな表情が顔面に張り付いてしまっている。
とりあえずの自己紹介が終わったところでエルガス王がうむと頷いた。
「この者達には旅のことは事前に伝えてある。行くと言えばすぐにでも出立できよう。して勇者よ、いつ旅立つ?」
王の問いに少女はすぐに返事を返した。
「ほな明日の朝にしよか。善は急げ言うし。今日のうちによぉしてくれたメイドさんとリンちゃんに挨拶しとくわ」
「よかろう。そのように支度させよう」
話がまとまったところで王が玉座から腰を上げた。
金糸の刺繍が施されたガウンを翻し、少しばかり大仰に声を張り上げる。
「では勇者ユウよ!この国を知るため、憎き魔族共を打ち倒す光明を得るため、明日二人の護衛と共に旅立つのだ!」
「おー……まぁうちがこの世界に喚ばれたんも何か意味があるんやと思うし、やれるだけ頑張ってみるわ」
そういってユウと呼ばれた小さな勇者は少しだけ畏まった表情でなぜか右手を額に当てる敬礼をしたのだった。