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宥和の勇者 ―結ばれた手と手―  作者: noyuki
天に吠える狼少女(ウルフガール)
26/58

第一章 深窓の才妃(2/8)

「――ということやねんけど、ばあちゃん、うちと手をつないだ時、どうなったん?」


 質問に年老いた母(オールド・ゴブリン)は首をかしげた。


「分カラヌ」


「どんな些細ささいなことでもええんやけど……」


 年老いた母(オールド・ゴブリン)おとがいを上げて目をつむる。記憶を思い起こし、しばらくして何か思い当たることがあったようで目を開く。


「……アレ以降、人間ノ感情ガ分カルヨウニナッタ……ヨウナ、気ガ、スル」


 彼女にしては珍しい曖昧あいまいな物言いに今度はユウが首をかしげる。


 年老いた母(オールド・ゴブリン)はどう説明していいのか分かりかねるようにもごもごと口を動かした。


「コノ人間ハ喜ンデイルノカ、ソレトモ、悲シンデイルノカ。怒ッテイルノカ、何ヲシテ欲シイノカ……分カル、ハ少シ違ウカ。想像デキルヨウニナッタ……想像シヨウト思ウヨウニナッタ……」


「それまではそうは思わんかったんか?」


 相手が何を思っているか。それを考えることはコミュニケーションをとる上で不可欠な事柄ことがらだ。不可欠で、いつだって上手うまくできないこととも言える。コミュニケーションが下手な者は相手の心理を理解できていない。あるいは理解しようとせず、自分の価値観かちかんのみで相手の考えを断定だんていしてしまっているのだ。


 自分は自分、他人は他人。どうしたって同一にはなれないのだから、少しでも近づくために言葉をわし、考える。それこそがコミュニケーション。その極めて難解な問題に立ち向かうのが知性である。


「娘、オ前ハ虫ノ心ガ分カルカ?」


「は?いや、分からんというか……」


 分からない、というよりはおそらく精神の構造からして違う。あまりにも異質過ぎて想像することさえ難しい。異質過ぎるがゆえに、どうしても人間の価値観を当てはめて仮定せざるをえない。言葉も通じないのだから答え合わせもできない。


「私ハ、人間ノ考エナドマルデ理解デキナカッタ。()()()()()()()()()()。言葉ガ分カルダケ、マッタク違ウ生キ物、ソウ、思ッテイタ」


 つまり、今はそうではないということ。


「今ハ、笑ッテイル人間ガ、喜ンデイルト、分カル。対話デ想イヲ伝エル事モ出来ルノダト、分カル」


 理解できない存在から、理解できるかも知れない存在へと。それはまぎれもなく友好の第一歩。融和ゆうわの可能性の芽生めばえ。


 言葉が通じるのならば全ての者と意思疎通(そつう)ができるというわけではない。価値観や思考形態の違い、どうしたって越えられない壁は存在する。


 その壁が、取り払われていた。


「……俺にも分かるように説明してくれないか」


 いまいち理解できなかった様子の騎士が説明を求めるが、年老いた母(オールド・ゴブリン)はそれきり口を閉ざしてしまった。これ以上の説明は彼女自身にも難しいらしい。レイはセラに視線を移す。


「私だってよく分からないわよ。ただ、その心境しんきょうの変化、みたいなのはこのおばあさん以外の小鬼族ゴブリンにも起こっているのね?」


 年老いた母(オールド・ゴブリン)うなづく。彼女の子らの小鬼族ゴブリンにも同じような感覚があり、だからこそ人間と共に労働ろうどうすることができているのだという。


 魔法師はあご先に手を当てて考え込む。


「新しく連れてこられた小鬼族ゴブリンも大人しかった。つまり、ユウの力というのは個体ではなく、()()()()()()()()()()()ということ……?それならばスライムが大人しいことにも説明がつく……。そうなるとその規模きぼは明らかに界律かいりつ魔法クラス……でも肝心かんじんの効果がさっぱり分からない……罪人と小鬼族ゴブリン喧嘩けんかすることもないわけじゃないし……」


 ぶつぶつと、彼女はつぶやきながら思考する。どうにもすぐに答えは出そうにない。


 次いでレイの視線は勇者へ。


「なんにせよ、仲よぉなれるようなったいうことやなぁ」


 気の抜けるようなゆるんだ笑み。ユウに答えを期待することが間違っていたと、レイは肩をすくめて考えることをやめた。直接影響を受けたわけでも、魔法にもくわしくないレイが考えたところで答えは出まい。そういうことの専門家にまかせるに限る。


 ユウの持つ勇者の力とは、どのようなものなのか。


 と、一同にけ寄る人影があった。


「あ、皆さまこちらでしたか。少しよろしいでしょうか」


 革鎧かわよろいに身を包み、武装は片手剣と丸盾。ラドカルミア王国の兵士の標準装備であり、この“勇者特区”の警備兵けいびへいである。看守かんしゅ、とも言うか。


 警備兵は一旦いったん立ち止まり、敬礼けいれい。話を続ける。


「勇者様御一行(ごいっこう)に王都のリンシア姫より言伝ことづてがございます!」


「リンちゃんが?」


 ユウがはてと首をかしげる。


 リンちゃんことリンシア姫はこの“勇者特区”が存在するラドカルミア王国の王女である。ユウととしが近く、友人でもある。


「はっ、リンシア姫のお母上……王妃おうひセルフィリア殿下でんかがぜひ勇者様と話をしたいとのこと。なのでリンシア姫と共に会いに行ってほしい、とのことです」


「王妃……リンちゃんのママか」


 そこでふとユウは思い出したように、


「そういえば王宮にいたころ、王様には会ってるけどお妃様きさきさまには会ってないな」


「王宮とは別に、王都の外れのお屋敷に住んでおられるのよ。あまりお身体からだ丈夫じょうぶではない方なの」


 セラの説明にユウはなるほどなぁ、と納得なったくする。


「話って、なんやろ」


「さぁ……具体的な内容まではお聞きしておりません。あ、それとリンシア姫から追加の言伝が」


 人のさそうな警備兵の男が優しく微笑ほほえみながら、言う。


さみしいのでなるべく早く来てほしい、とのことです」


 その一言でユウが破顔はがんした。ユウより二歳年下の姫は勇者を唯一無二ゆいいつむにの親友としている。


「そういえばしばらく戻ってなかったな」


 “勇者特区”を設立した初期は王宮にいる宰相さいしょうといろいろと相談するために“勇者特区”と王都を行ったり来たりしていたユウ達だが、“勇者特区”の運営がある程度ていど自立し始めてからはその場にとどまって現場指揮(しき)を行っていた。思えばそれきり宰相とは伝令を用いてやりとりすることが多くなり、王都には戻っていない。


「ほな、ちょっくら戻るか!」


 勇者の決定に護衛二人がうなづいた。


「ばあちゃん、うちらがいいひん間、ここの事(たの)むわ。あの新しい子らも馴染なじんでくれるとええけど」


 年老いた母(オールド・ゴブリン)が頷く。


 勇者がいなくなったとしても、もはや彼女らが人間に反旗はんきひるがえすことはないだろう。人間の感情を理解できるようになった彼女らが、何の理由もなく人間に危害きがいを加えることはもうありえない。


 こうしてユウ達は、久方ひさかたぶりに“勇者特区”を後にし、王都へと帰還きかんしたのである。

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