第四章 結ばれた手と手(2/3)
魔族を保護する、というのは言葉にするほど簡単なことではない。
国家としてそのようなことをするとなれば民衆の反発は避けられない。例え少数と言えど、王の立場が揺らぎかねない事案だ。その上、魔族を保護している国家、ひいては魔族と結託している国家として他国から侵略戦争を仕掛ける動機を与えてしまう。
皮肉なことに、魔族という大きな脅威にさらされている現状でさえ人間側は一枚岩になれずにいる。直接魔族領に接していない南方の諸国家はラドカルミア王国を都合のいい防波堤程度にしか思っていまい。魔族の脅威に直接さらされていないからこそ、その脅威さが分からない。ラドカルミアが危機の際に援軍を出すのかすら怪しいところだ。そんな状況だからこそラドカルミアは軍事的に発達したと言えなくもないのもまた皮肉な話である。
とは言っても、小鬼族四匹程度なら秘密裏に保護することも不可能ではない。しかし露見した際のリスクを考えるとそれも避けたいところだ。
宰相ケイネスは勇者ユウとの話し合いの末、魔族の命を守りつつ、対外的に魔族と結託したと思われない方法を模索した。
その結果生まれたのが、“勇者特区”と呼ばれる収容地区の設立である。
収容地区、つまりそれは罪人を収容し、強制的に労働させる監獄であった。魔族領から逃亡してきた魔族を捕獲し、労働力として利用する、という体裁をとったのである。
まず小鬼族達の移動が行われた。王都から派遣された数人の兵士を引き連れ、ユウ達は年老いた母の待つ洞穴へと向かった。彼女達が本当にユウ達を信じ、待っているか、そこがまず問題であった。
果たして、小鬼族達はそこにいた。
人を襲うことをせず、森の木の実と熊の肉を喰らって彼女らは凌いでいた。ユウ達が連れてきた兵士を見て、彼女らはやはり人間など信用ならなかったと交戦する構えを見せたが、その兵士らが複雑な表情ではあったものの食料を小鬼族達に投げ渡したので、その場は収まった。もし、そこに至るまでに小鬼族達が一度でも人間を襲っていたという報告を聞いていたのならば、兵士は剣を抜いていた。そうならなかったのは、一重に小鬼族達が慣れない自給自足によって疲弊し、やつれていたからである。
一カ月。決して短い期間ではない。その期間の間、彼女らはレイとの約束を守った。例えそれ以外に生き残る道がなかったからだとしても、その懸命さが兵士達に剣を抜かせなかったのだ。
小鬼族達が連れて行かれたのはローダ鉱山を中心とした未開拓地区だった。諸事情によって開拓が途中で断念された森林地帯であり、鉱山の麓にはその名残として木を切り倒されて確保された空間と、無人の山小屋がある。逆に言えばそれぐらいしかない場所だ。近隣の村からは距離があり、狩人などが迷い込むこともない。小鬼族達はそこで坑夫として強制労働させられることになる。
とはいっても、鉱山での採掘作業は小鬼族達だけでできるような仕事ではない。別途人間の労働者が必要だ。そこで送り込まれたのが罪人達である。
魔族と共に働かされると聞いていた罪人達の怯えようは尋常ではないものがあった。魔族を収容するような施設なのだから、きっと自分達は人間以下の生活をさせられるに違いないと思っていたからだ。しかし、いざ働き始めると彼らの予想は裏切られることになる。
まず問題の魔族達だが、よく人間の監督官の言う事を聞き、その指示に従った。もともと魔族領でも虐げれてきた彼らは何者かに従属することに先天的な慣れがあるのかもしれない。言葉の壁は年老いた母が通訳となることで解決した。なお監督官は勤務中、常に鞘から抜いた短刀を手に持ち、年老いた母に突き付ける。もし年老いた母が呪文など唱えようならすぐに刺し殺せるようにだ。他の小鬼族達が暴走しないようにするための人質という意味もある。だが、少なくとも今のところはその短刀が血に濡れたことはない。寧ろ年老いた母が常に監督官と共に働いている者を見ているという事態は人間の罪人達に効果的だったようで、罪人達が小鬼族達に暴力を振るうという事態の抑止に繋がっていた。小鬼族達に危害を加えれば年老いた母に殺されるのでは、と思ったからだ。
その短刀が不要になるのはそう遠くない話なのかもしれない。
そして労働環境だが、連れて来られた罪人達をもっとも驚かせたのはそこである。食事にしろ、労働時間にしろ、居住環境にしろ、罪人というよりは一般労働者に近い待遇だったからだ。それもそのはず、ここは収容地区である以上に“勇者特区”、つまりユウが管理する地区なのだから。彼女が提案する労働時間や労働内容などを監督官やレイ達がそれでは一般労働者より好待遇だと訂正した結果が今の労働環境だ。
つまり罪人達は魔族と共存するという条件さえ飲み込めば、通常の強制労働と比べて破格の待遇で刑期を過ごすことができたのだ。それに文句など出ようはずもなく、小鬼族達が温厚なのもあって暴力的な諍いが発生することはほとんどなかった。
もっとも、それは実際に“勇者特区”に収容されている者達のみが知っていることだ。対外的には魔族と鉱山で働かされる恐ろしい収容所を勇者が作ったともっぱらの噂で、以降犯罪の発生件数が抑制された。ケイネスとしてはそれも見越して情報統制を行わなかったので、彼の思惑通りに事が運んだと言える。
しかし切れ者のケイネスの思惑に反する事態も起こった。それは鉱山の収益である。
このローダ鉱山は廃坑だ。廃坑になったがゆえにこの地域一帯の開拓は早期に中断されることになったのだ。
廃坑になった原因は資源の枯渇ではなく、その作業の困難さだった。ローダ鉱山では魔硝石と呼ばれる希少な鉱石が発掘される。これは太古の昔の魔力が長い年月をかけ地中で結晶化したものだと考えられており、魔力に反応して特殊な反応を示す鉱石として知られている。
代表的な特徴は魔力に反応して光と熱を発すること。魔力そのものも伝導しやすく、主に粉末にして魔法式を描くことに使われる。その性質故、魔硝石が発掘される採掘場では魔法による発破作業ができない。誘爆の危険が伴うからだ。
だが完全な手作業になるにしてもその手間暇をかけて発掘する価値が魔硝石にはある。にも関わらずローダ鉱山が廃坑になったのは、坑道内に大量のスライムが発生してしまったからだ。もともと鉱山の周囲はスライムが多く生息する地域だったのだが、人間が鉱山を作り、そこから魔硝石を出土させたことで坑道内の魔力密度が増大、付近のスライムがそれに寄ってくる事態となった。
スライムを通常の武器で退治するのは難しい。しかし坑道内で魔法を使えば坑道そのものを吹っ飛ばしかねない。結果、労力に見合わない、と廃坑になったのだ。
それを承知でケイネスがそこを“勇者特区”に選んだのは、端から収益など期待していなかったからだ。だったのだが。
相変わらずローダ鉱山の坑道内には多くのスライムが居座っていた。まともに進入すれば体当たりの応酬で作業になどならない、と思われていのだが、奇妙なことにその大量のスライムが労働者にまったく体当たりしてこなかったのだ。原因は不明。ちなみにユウもさくらもちを連れて坑道内の様子を見に行ったが、そもそもユウ達が訪れる前からスライム達はそのような状態だったという。
体当たりさえしてこないのであれば、邪魔なところにいるスライムを脇にどかすだけで作業ができる。手間には変わりないが、一匹一匹外に放り出す必要がないので通常の鉱山並みの作業が可能だ。その結果、ローダ鉱山は自身の生み出す利益で運営できる程度には収益を出すにいたった。
坑道に満ちた魔力で満腹になったが故にスライムは体当たりしてこない、と考えることもできるが、それならば廃坑になどならなかったはず。この完全に無害になったスライムの様子は彼らの生態が変わったとしか思えない状態だった。
鉱山での労働が順調に行くようになると、ユウの指示により周囲一帯の開墾作業も行われるようになった。森を切り拓き、得た木材から家屋を造り、空いた場所に畑を耕す。ユウはこの場所をもっと多くの魔族を受け入れることのできる場所にしようとしていたのだ。収容施設ではなく、さながら開拓村である。しかしこちらは廃坑故にもともとある程度基盤が整っていた鉱山労働とは違い、即座に成果がでるような事業ではない。おいおいどうなっていくかはまだ分からない。特に畑などは成果が出る頃には今いる小鬼族達は寿命を全うしているかもしれない。
しかしユウは、この“勇者特区”が魔族との和解への大きな一歩になると信じていた。だからこそ長期的目線でのその開墾だった。