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宥和の勇者 ―結ばれた手と手―  作者: noyuki
結ばれた手と手(ハンズアンドハンズ)
16/58

第三章 掲げられたもの(4/6)

 棍棒(こんぼう)がユウの顔面を打ち()えることはなかった。


 もはや見慣(みな)れた薄桃色(うすももいろ)寸前(すんぜん)小鬼族(ゴブリン)を突き飛ばしたのだ。その痛みを(ともな)わない体当たりが見た目以上の重量と衝撃(しょうげき)内包(ないほう)していることをユウはよく知っている。


 砂埃(すなぼこり)を上げて小鬼族が地面にごろごろと転がった。まるで初めてユウとそれが邂逅(かいこう)したあの時のように。


「さくらもち……」


 小鬼族を突き飛ばしたそのスライムの名をユウが(つぶや)く。昨日宿で留守番(るすばん)をさせて以降(いこう)、目に入ってはいたが気にしている余裕(よゆう)もなく意識の外へと追いやってしまっていた。


 しかしたとえユウが(かま)ってくれなくとも、このスライムはずっとユウの(そば)にいた。今朝(けさ)ユウが宿を抜け出した時も、当然のように彼女の後を付いてきていたのだ。


 困惑(こんわく)したのは小鬼族だった。突き飛ばされた一匹は派手(はで)に吹っ飛びはしたものの大きな怪我(けが)はない。だが、地面に座り込んだ状態のまま、突然現れた小さな魔物に目を白黒させている。


 それは彼らにとってもあり得ない光景だった。


 魔族達にとってさえ何を考えているか、どういう行動原理をしているか分かっていないスライムが明らかに人間に味方するような素振(そぶ)りを見せている。


 このスライムはいったいなんなんだ?


 この人間はいったいなんなんだ?


 二つの疑問が小鬼族達の動きを止めた。彼らの言語が頭上を飛び()い、騒然(そうぜん)とする場の中心にいて、ユウは遠くの方から草木を()き分け走ってくる足音を()いた。


「ユウーーーーッ!!」


 次いで響いた声に小鬼族達は(しゃべ)るのをやめて一斉(いっせい)に声のした方向に振り向いた。


 ユウと同じように血の(あと)辿(たど)り、勇者の護衛がやってきたのだ。


 洞穴(ほらあな)前の広場へと進み出たレイはそこにユウがいることに一瞬安堵(あんど)しつつも、すぐに怒りに眉根(まゆね)を寄せた。地面に()いつくばった状態のユウを見て、何があったのかある程度(ていど)()したのだ。


 レイから遅れること数秒、セラもそこへと辿り着く。少し息の上がった様子の彼女も小鬼族へと怒りを隠そうとしなかった。呼吸が乱れていなければすぐにでも呪文を口にしかねない。


「――説教(せっきょう)は後だ。今はこいつらの首を落す」


 恐ろしく無機質(むきしつ)で冷たいその声色が小鬼族達の背筋(せすじ)を凍らせた。その一言だけで付近一帯(ふきんいったい)の温度が数度下がったかのような錯覚(さっかく)を受ける。


 背中からスラリと抜き放たれた長剣(ロングソード)曇天(どんてん)(もと)(にぶ)い輝きを放った。その輝きに今までどれほどの数の魔族が飲み込まれたのだろうか。


「や、めて……!レイ君……!まだ、ちゃんと話せてないからッ……」


 (かす)れ、途切(とぎ)れがちの声。叫ぶというにはあまりに弱々しく。血こそ見える範囲(はんい)では流れていないが、(ひたい)には脂汗(あぶらあせ)が浮かび、時折(ときおり)引き()ったように(ほほ)痙攣(けいれん)している。


 (くわ)えて地面に()いつくばったその体勢、ユウが負傷(ふしょう)していることは明らかだった。そしてその原因が小鬼族だろうということも。


 騎士が噛みしめた奥歯(おくば)がギリッと音を立てた。


「――どうして、どうしてそんなになってまでこいつらをかばう!?こいつらは魔族だぞ!俺達人間の敵だ!それは昨日と今日で身をもって知ったはずだッ!」


 最初の一回ぐらいなら、魔族のことをよく知っていないということで()ませることもできたかもしれない。だが今は違う。言葉の通じる相手ではないと分かっていたはずだ。いや、たとえ言葉が通じたとしても話し合いに(おう)じるような連中ではない。


 一度武器を振るわれた相手にどうしてこうも無防備(むぼうび)に近寄っていける?こんな醜悪(しゅうあく)な化物に話し合いで和解(わかい)しようなどどうして考えられる?


「なぜだ……ユウッ!」


 騎士の問いかけに、勇者は答えた。


「――だって……喧嘩(けんか)すんのは、アカンことやろ……?」


 そう言って少女は笑った。いつもの(ゆる)んだ頬ととろんとした(まなじり)で。今までレイとセラが見てきたものとまったく同じ笑顔。こんな状況にあってさえ。


 その笑顔にレイは戦慄(せんりつ)した。この少女の愛嬌(あいきょう)のある笑顔に強烈(きょうれつ)な違和感を感じる。あまりの異質(いしつ)さに吐き気すら覚えた。


 同時に、そうか、そういうことだったのかと納得(なっとく)もした。


 度重(たびかさ)なるユウの不可解で自分の命を(かえり)みない言動。その理由が分かった。


 隣のセラが小さく呟いたのがレイの耳に入る。彼女はそれを口にせずにはいられなかったに違いない。優しい彼女だからこそ、そう毒づかなければいられなかったに違いない。


 「――何が勇者召喚、何が世界を救う運命よ。救いが必要なのは、この子じゃないの……!」


 セラは村につく以前からユウの異常性を感じていた。それをレイは考え過ぎだと一蹴(いっしゅう)した。だがそうではなかった。


 ユウの行動はもはや慈愛(じあい)などという精神からかけ離れている。もはや狂気的(きょうきてき)とさえ言っていい。優しさだけでは恐怖心は消えたりしない。根本的な何かが欠けている。


 この笑顔を見て、その瞳に(うつ)った尋常(じんじょう)ならざる光を見て、やっとレイにも分かった。


 この少女は、ユウは、心に大きな怪我を負っている。とても深い傷だ。おそらくこの世界に来る前のもの、もはや血は全て流れ出てしまって痛みは消えてしまっている。


 この世界に来て、親も友達もいない、常識すら通用しないような場所に連れてこられて、(よわい)十四の少女がただの一度も涙を流していないのがその証拠(しょうこ)だ。


「……ユウ。これは喧嘩じゃない。だからいいんだ」


 数多(あまた)。何十、何百もの魔族を(ほうむ)ってきた騎士が歩を進めた。護るべき、勇者へ向けて。 


 小鬼族が身構えた。最初こそレイの気迫(きはく)委縮(いしゅく)した彼らだったが、多勢(たぜい)無勢(ぶぜい)、向かってくる人間は一人に対してこちらは四体だ。背後(はいご)のもう一人は武器を持っていない。考慮(こうりょ)する必要はない。相手が一人なら一斉(いっせい)にかかればなんとかなる。


 彼らは常に複数(ふくすう)で行動する。魔族の種族階級(カースト)最下位に位置する彼らだからこそ、自分達の脆弱(ぜいじゃく)さをよく理解しているからだ。それを数で(おぎな)うということを本能が知っている。その上彼らは多産(たさん)で個体(ごと)の生存本能以上に種としての生存に重きを置く思考形態をしている。一人が犠牲(ぎせい)になろうとも、より大勢が助かればいい。そのためならば仲間でさえたやすく切り捨てる。一体がやられている間に他のものが敵を仕留(しと)めればいい。


 もっともレイとの距離が近かった一体がレイに向けて、棍棒を振り上げ猛然(もうぜん)と襲い掛かった。


「これは喧嘩じゃない。生きるために戦うことは悪いことじゃないんだ。そうやって俺達は命を(つな)いできたんだ。戦わなければ、殺されるんだ」


 銀閃(ぎんせん)が、(はし)った。


 この場にいる誰一人でさえ、その剣筋(けんすじ)を見切れた者はいなかった。斬られた小鬼族でさえ、何が起こったのか理解できなかったろう。


 そして理解する間もなく、彼の意識はその胴体と分かたれた首と共に闇の奥深くへと落ちていった。苦しむ(ひま)などない。


 レイは盾を前に構えてやや重心を落した前傾姿勢(ぜんけいしせい)、長剣を持った左手はぴくりとも動かずに中空に制止している。まるでずっと前からその体勢、その位置で動かず固定されていたかのような印象を受けるが、長剣の腹の(ほり)に溜まった赤い水滴がつぅっと剣先へと流れて、今しがたの出来事がそれによって()されたのだと証明している。


 (なまく)らな刃でも斬ることはできる。だが通常、それは切断以上にその重量でもって強引に叩っ斬るものであって、騎乗(きじょう)時の速度や高低差を利用する。しかし当然ながらレイは馬など乗っていない。純粋(じゅんすい)な肉体が生み出す膂力(りょりょく)のみでそれを為した。腕の筋肉だけではあるまい。大振りな刃を振るってもまったく揺らぐことのない体幹(たいかん)も常人を(はる)かに(しの)ぐ。人間の肉体がもつ潜在能力(ポテンシャル)を出しきっているかのように思えるその身体能力を得るためにどれほどの歳月を(つい)やしたのか、想像することさえできない。


 一の騎士団(ナイツオブザワン)。その盾の紋章(もんしょう)は、彼が魔法を(もち)いない人間の戦力としては最大最強であることを示している。


「……ああ……ああッ!」


 大地に前のめり倒れ込んだ首のない小鬼族を見て、笑みから一転、ユウの表情が悲痛(ひつう)(ゆが)む。口から言葉にならない叫びが()れる。


「どうして……どうしてっ!」


 頭の怪我も忘れて呆然(ぼうぜん)と首を横に振る。


()()()()()()()()()()()()()()やのに、そうやと分かってんのに!なんでみんな、仲良くできへんのや……!うちには……うちには分からへんよッ!!」


 (みずうみ)でセラが魔法でスライムを焼いた時は、こうはならなかった。それはスライムが魔物であり生物と言えるのかすら分からないような外見だったからだ。


 だが小鬼族は違う。頭があり胴、手足がある。基本的な身体特徴(とくちょう)は人間と酷似(こくじ)している。だからこそ醜悪に見える。その上、言語を使って仲間とコミュニケーションをとり、間違いなく物を考える思考能力と感情を持っている。


 それが彼女の琴線(きんせん)に触れた。


「ユウ、こいつらは、人じゃない」


 騎士がそう断じたが、錯乱(さくらん)した勇者には届かない。どうしてどうしてと呟き続ける。尋常(じんじょう)な精神状態ではない。


 小鬼族達は動くに動けなかった。本来は一匹が突撃したのを皮切(かわき)りに同時に雪崩(なだ)れ込む算段(さんだん)だったのだが、あまりに戦闘力の差が違い過ぎた。これでは突撃したところで最初の一匹の二の舞になるだけだ。仲間が命を失ってさえ(すき)の一つも彼らは見出すことができなかった。


 その時、洞穴(ほらあな)の奥から何か声が聴こえたかと思うと()いで地鳴(じな)りのような(うな)り声が反響(はんきょう)し、響いた。


 その声を聞いて小鬼族達が我に(かえ)った。言葉に込められた意味を理解し、我先にと逃亡を開始する。その声は彼らの言葉で逃げろと言っていたのだ。


 何かが洞穴の中から出てこようとしていた。小鬼族ではない。もっと大きな生き物。


 ユウ達は馬の死体を引き()った血の跡を辿ってここまで来た。つまり馬の身体を引き摺って運べるような何かがそこにはいるということだ。馬の死体はかなりの重さである。少なくとも人間程度の膂力では舗装(ほそう)もされていない森の中を引き摺って進むのは難しい。つまりそれ以上の力を持つ何か。


 曇天の元にその巨体が姿を現した。


 全身を覆う赤茶けた体毛。(いか)つく盛り上がった両肩(りょうけん)から大地に降ろされた前肢(ぜんし)はユウの胴体並みに太い。そこから生えた爪もまた太く、頑丈(がんじょう)で鋭い。皮鎧程度ならば紙のように引き裂いてしまうだろう。


 ずんぐりとした体躯(たいく)が四足歩行から二足となって立ち上がった。その高さは人間としては長身のレイの身長よりも頭一つ分高い。不自然なほどの敵意の(こも)った黒瞳(こくどう)がレイ達を睥睨(へいげい)していた。


 グアアアアアッ!


 それが地響(ぢひび)きさえ(ともな)いそうな咆哮(ほうこう)を放った。まるでこの森の主は自分であると誇示(こじ)するように。


 実際に、この森の生態系の頂点にそれは君臨(くんりん)していた。人間もおいそれと手は出せず、森に入る時はそれと遭遇(そうぐう)しないように細心の注意を払う。(はる)かな昔から、そうしてきた。そうやって距離をとりつつも長い歳月を共に暮らしてきた隣人(りんじん)だ。


 もっとも身近で、もっとも大きな脅威(きょうい)と言っていい。少なくともデマリ一帯では魔族や魔物以上に恐ろしいとされている存在。


 一頭の巨大な(くま)がそこにいた。

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