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宥和の勇者 ―結ばれた手と手―  作者: noyuki
結ばれた手と手(ハンズアンドハンズ)
15/58

第三章 掲げられたもの(3/6)

 閉じた(まぶた)に光を感じ、彼女は目を覚ました。


 鳥の(さえず)りも()こえない(くも)り空。紗幕越(しゃまくご)しの日の光がデマリ村を照らし、そこで暮らす人々にまた新しい一日の始まりを告げる。


 ベッドから上半身を起こしたセラは、しばし(ひたい)に手を当てて動きを止めた。眉間(みけん)には不機嫌(ふきげん)そうな(しわ)が寄っている。寝起きが極めて悪いのだ。


 しばらくその体勢でじっとしていたセラだが、やっと起きる決心がついたのか、(ひとみ)を開く。


 そしてなんとなしに隣のベッドに視線をやり、硬直(こうちょく)


 ――そこにいるはずの人影がない。


 寝ぼけていた頭に急速に血が(まわ)っていく。今まで彼女より早くユウが目覚めていたことなどなかった。考えうる最悪の事態が頭を(よぎ)る。


 ダルさの残る身体(からだ)鞭打(むちう)ち、ベッドから()び降りる。ユウの寝ていたベッドに手をかざすが、熱が(こも)っていない。用を足しに行っているわけではない。そこから起きてしばらく時間が経過している。予感は確信に変わった。


 勢いよく戸を開くと廊下に騎士の姿があった。


「おっと!なんだ、どうした?」


 日課である朝の鍛錬(たんれん)に行くところなのだろう、すっかり朝の支度(したく)も終えている様子のレイが突然開いた扉に目を白黒させている。


 なぜ気付けなかった。


 自責(じせき)の念に押しつぶされそうになりながらも、(のど)から(しぼ)り出すようにセラは叫んだ。


「――ユウがいないッ!!」





 朝靄(あさつゆ)()れた森の中を彼女は歩いていた。湿(しめ)った土の香りと草木の吐息(といき)、深く息を吸い込むとひんやりとした空気が慣れない森歩きで火照(ほて)った身体を冷やしてくれる。


 少し立ち止まって空を見上げる。灰を()いたような空はそれでも確かに光を届けてくれる。そろそろ二人が起きる頃だろうか。


 夜が明ける前に宿を抜け出したユウは、再び横転(おうてん)した馬車までやってきた。ユウが一人で向かうことに村の出入り口を警備していた自警団は少なからず疑問を抱いたようだが、レイの指示だと言うと問題なく通してくれた。


 デマリの人々にとっては騎士と行動を共にしているこの異装(いそう)の少女は得体(えたい)の知れない存在だった。


 見たことのない髪、瞳の色。言葉の不思議な(なま)り。しかも昨日はスライムを連れ歩いていたという。そして何よりも、一の騎士団(ナイツオブザワン)と魔法師を連れ歩いているという護衛の厳重(げんじゅう)さ。村人達が何かしら特別な地位にある人物なのではないかと邪推(じゃすい)するのも無理からぬことだろう。仮にどこかの貴族の令嬢(れいじょう)だった場合、門を通してくれなかったとあとで難癖(なんくせ)をつけられて首を()ねられたらたまったものではない。


 薄明(うすあ)かりの中、馬車までやってきたユウは馬の血の(あと)辿(たど)った。レイが言っていた血の跡を辿ればねぐらの場所が分かるという言葉を覚えていたのだ。


 もっとも、馬を持ち去ったのは小鬼族(ゴブリン)ではないだろうというレイの考えまでは読み取れていない。馬を襲った何かの存在などまったく考慮(こうりょ)していない。


 最初は太く、()いライン。それが距離を()るごとに細くなっていく。次第(しだい)にそれも消えかかってくるが、馬という大きな動物の死骸(しがい)を引き()った跡は早々消えるものではない。


 街道からそれほど離れることなく、ユウは目的の場所まで辿り着いた。


 森の中、不意に(ひら)けた場所。そこにぽっかりと口を開けた洞穴(ほらあな)があった。馬を引き摺った跡がその奥の暗闇へと続いている。


 洞穴の前に広がる拓けた空間には布の切れ(はし)や木くず、破れた革袋(かわぶくろ)などが散らばっている。ここが小鬼族のねぐらだというのは間違いない。


 ユウが洞穴に近づくと、踏みしめた落ち葉が音を鳴らした。その音を聞きつけ、洞穴に入らなくともユウが探していた者達が暗闇の奥から姿を現す。


「――こんな朝早くにごめんなぁ」


 ユウが語り掛けるが、それに返答はない。


 洞穴から出てきた小鬼族は四体。いずれも武器らしい武器は棍棒のみ。微妙な体格差や個体差はあるが、ユウにはその中のどれが昨日あった小鬼族なのかは見分けがつかなかった。


 小鬼族の一体が何やら隣の小鬼族と言葉を交わす。高く、かすれた声。今まで聞いたことのない不思議な言語で、ユウにはさっぱり理解できない。


 ただ小鬼族達が困惑(こんわく)しているのは見てとれた。人間が報復(ほうふく)にくるのは分かる。だが、こんなひ弱そうな子供が来るのは不可解(ふかかい)だ、と。


「昨日はゴメンな。剣向けられてたら、そりゃ怖いよなぁ。でも今日は丸腰(まるごし)やさかい」


 そう言ってユウは両手を上げて見せる。


 その様子を見やった小鬼族達は、武器を構えつつゆっくりと動き始めた。


 全員ユウから視線を外さず、ジリジリと慎重(しんちょう)に。前後左右、完全にユウを包囲(ほうい)する形へ。


 小鬼族達はこの不可解な人間の子供は何かしらの罠なのではないかと警戒(けいかい)していた。


 彼らに包囲されつつも、ユウはまったく動じた様子がなかった。小柄(こがら)とはいえ異形(いけい)の化物に(かこ)まれているにも関わらず、だ。この場に第三者がいたならばこの娘は恐怖を感じないのかと目を疑ったことだろう。


 実際、ユウは恐怖を感じてはいなかった。それは今に限ったことではない。


 野盗に襲われた時もそう、もちろん初めて小鬼族の姿を見た時も。この世界に召喚されて、まだ一度も彼女は恐怖という感情を抱いていない――。


「ほら、今日も持ってきてん。お腹空いてるんやろ?皆の分にはちと足りんかもしれんけど、そやったらまた持ってくるから」


 そう言って、また干し肉を差し出す。


 差し出された小鬼族はそれをまじまじと見やった。


「魔族領からここまでよぉ逃げてきたなぁ。でももう大丈夫。うちが守ってあげる。うちこれでも勇者やさかい、王様に頼んでどっか静かに暮らせるところを用意してもらうわ。リンちゃんのパパやし、それぐらいの我がまま聞いてくれるやろ」


 言葉が通じるかどうか、というのはあまり大きな問題ではない。重要なのは、争うつもりがないということが伝わるかどうか。


 小鬼族はそれが食べ物だと分かると生唾(なまつば)を飲み込んだ。()しくもユウが干し肉を差し出したのは昨日出会った個体と同じ小鬼族だった。彼はまだ若く、獲物(えもの)配当(はいとう)がもっとも最後であり量も少ない。(ゆえ)にいつも空腹だった。


 昨日はそれが食べ物だと認識するような余裕(よゆう)すらなかった。だが今は違う。相手は無力な人間の子供一人。反撃してきてもこんな子供に何ができる?


 物陰(ものかげ)に昨日の騎士が隠れていないとも限らないが、少なくとも今はあの恐ろしい気迫(きはく)は感じない。ならば、この人間の狙いがなんだとしてもこの肉を手にとって問題はないのではないか。


 おずおずと()ばされる枯れ枝のような指先。


 ユウはそれを微笑(ほほえ)んで受け入れた。その刹那(せつな)


 ――気が付くと冷たい地面に横たわっていた。倒れ込んだ拍子(ひょうし)に入り込んだのか、口の中に土が入り込んで不快な異物感(いぶつかん)に吐き気がした。


 同時に、後頭部(こうとうぶ)がカァッと熱くなる。それで自分が後頭部を(なぐ)られたのだと分かった。少しすると自分の鼓動(こどう)に合わせて殴られた場所がズキズキと強く痛みだす。


 暗転(あんてん)した視界に光が戻ってくると、自分を取り囲む小鬼族達の姿が見えた。ユウが渡した干し肉を取り合って喧嘩(けんか)をしているように見える。


(ああ……失敗したんか……)


 少し(もや)がかかった意識の中で、ユウは自分が交渉(こうしょう)に失敗したことを知った。


 血は出ているだろうか。ほとんど無意識に、ユウは自分の頭部を触ろうと腕に力を込めた。だがそれは、小鬼族達には起き上がろうとしているように思えたらしい。喧嘩をやめてユウに向き直る。


 ユウは顔だけ起こして、依然(いぜん)警戒する小鬼族達に弱々しい笑みを見せた。


「そんな、怖がらんでも、ええやんか……うちは、仲よぉしたいだけやねん……」


 彼女の言葉は届かない。その姿は、彼らには命乞(いのちご)いをしているように見えたかもしれない。


 また、棍棒が振り上げられた。例え無力な人間の子供だとしても、それが命乞いをしていようとも、彼らにそれを振り下ろさない道理(どうり)はなかった。


 それが魔族だ。人間の敵だ。彼らに慈悲(じひ)は存在しない。人間が彼らに対してそれを持たないように。


 今度は正面から振るわれようとする棍棒。その軌跡(きせき)を目で追いつつ、ユウは死ぬかもしれないなと思った。


 その瞬間、彼女の脳裏(のうり)に過去の記憶が(よみがえ)る。走馬燈(そうまとう)というものが実在するのかと(おどろ)く間もなく、彼女の意識は本来彼女が生まれた世界へと回帰(かいき)した。





 幼い時分(じぶん)から、どうして皆仲良くできないのか疑問だった。


 どうして誰かを(いじ)めないといけないのか、それが悪いことだと分かっているのに、なぜそういうことをするのか理解できなかった。


 泣いている子がいれば手を差し伸べてあげた。喧嘩をしている子がいれば仲裁(ちゅうさい)に入った。虐められている子がいれば、虐めている子にどうしてそんなことをするのかと詰め寄った。


 それが当然だと思った。


 本当に分からなかったのだ。争うことは良くないことだと皆口を(そろ)えるのに、どうしてその良くないことをするのか。


 誰かが不幸になっているのを見て、どうして笑えるのか、彼女には理解できなかったのだ。


 小学校の低学年頃までは、彼女はただ変わった子、というレッテルが()られるだけで済んだ。


 だがそれ以上になると、彼女の親切心を心底鬱陶(うっとう)しく思う者達が増えていった。イジメというものが激化(げきか)する年代に入ったということもある。


 もちろん、彼女の親切心に救われた者は少なからずいる。だがそれ以上に彼女の存在を(うとま)ましく思う者が増えた。


 ――みんなやってることだから。


 その言葉がなぜ免罪符(めんざいふ)足りえるのか、理解できなかった。


 彼女自身が虐められることも増えた。手を差し伸べた子が彼女を虐める側に回ることもあった。


 悲しくはなかった。怒りも()かなかった。ただただなぜという疑問符が頭の中に浮かんでいた。


 たびたび投げかけられる死ねという言葉。だがそれに対してはさしたる痛痒(つうよう)も感じなかった。なぜならそれは仲の良い人達の間でも頻繁(ひんぱん)に使われている言葉だったから。


 その言葉を投げかけられる度に、その言葉を誰かが使っているのを耳にする度に、彼女の中で何かが変化していったのかもしれない。


 中学生になっても彼女の性格は変わらなかった。彼女の(おこな)いを()くないと否定できる者は、誰一人としていなかったのだから。


 されど、彼女の行いに対する反発は小学生の頃とは比較(ひかく)にならないほどだった。


 苛烈(かれつ)になる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)、自分は間違ったことをしているのかと考えたことも一度や二度ではなかった。だけど何度考えても自分が間違ったことをしているとは思えなかった。


 ならば、なぜ自分はこんな目に()わなければならないのか。理解できない。分からない。


 分からないから彼女は他人をよく見るようになった。他者が何を考えているのか、何を思ってそんな行動をしているのか、よく考えるようになった。


 それはある意味、彼女の防衛本能(ぼうえいほんのう)だったのかもしれない。


 なぜ自分が敵意を向けられるのか、分からないなりにその敵意に理由をつけて納得(なっとく)しないと耐えられなかったのだ。こういう理由があるから自分に向けられている敵意は仕方のないものなのだと無理やり納得しないと心が壊れてしまいそうだったのだ。


 そのおかげか夏休みを(はさ)んでからは彼女に投げかけられる罵声(ばせい)はずいぶん減った。


 それでも彼女が仲裁(ちゅうさい)をやめたわけではない。見て見ぬふりは虐めているのと同じだと教師が教えてくれていたから。


 彼女は素直で、愚直(ぐちょく)で、そしてどこまでも正しかった。


 その素直さが、その愚直さが。(まね)いた出来事だった。


 ――お前が死んだらいじめをやめる。


 それは、冗談(じょうだん)とも言えないような提案(ていあん)だった。言った方はまともな返答が帰ってくるとは思っていまい。


 だけど彼女は、思ってしまったのだ。それは割の良い交換条件なのではないかと。


 自分の命にいったいいかほどの価値があるだろう?あれほど何度も何度も死ねと言われたこの命にどれほどの重さが残っているだろう?


 それは何よりも重いはずのものだった。けれど、あの罵声を受ける(たび)に、誰かが冗談()じりに(つぶや)く度に、彼女の中の天秤(てんびん)徐々(じょじょ)(かたむ)きを(ゆるや)やかにしていった。


 そしてその日、天秤は逆に傾いてしまった。


 それからどうなったのか、彼女はよく覚えていない。覚えているのは強く吹き付ける風ぐらいなものだ。


 ただ確かなのは、彼女の命を高く天秤が掲げた瞬間、何かがそれを皿の上から()(さら)ったということだ。だから彼女はここにいる。


 彼女の命は新しい天秤の上に乗せられた。されどその比重が変わるわけではなく。未だその皿は高く(かか)げられている。


 その皿が(しず)まない以上、彼女が恐怖を感じることはないだろう。


 彼女が自分の命を大切なのものだと思うことはないだろう。


 それが、ユウという少女だった。

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