第三章 掲げられたもの(1/6)
「よっしゃー!完、全、復、活っ!」
朝。諸々の支度を済ませて宿屋の玄関前に降り立った勇者は両手を挙げて叫んだ。
朝は弱い方なのか、普段にも増してダルそうなセラは眩しいほどに元気なユウの様子に眉を顰めた。
「……それだけ元気なら後遺症の心配はなさそうね」
魔力欠乏症は魔力さえ回復すればすぐに回復する病だが、発症している最中は身体の防衛機構が弱まるために後に風邪などの病気を発症することが少なくない。が、今回はその心配はなさそうである。持前の若さとセラの魔力供給によって迅速に欠乏症から脱し、十分な睡眠で体力を回復したことが功を奏したようだ。
「今日はどないすんの?」
片側に控える騎士にユウが尋ねる。
「出発のための準備だ。といっても、保存食を買うぐらいか」
食料以外の消耗品は王都から持ってきたものがまだまだ余裕がある。だが食料は保存期間の問題もあってあまり多くは持ってきていないのだ。荷物としての容積も馬鹿にならないので旅先でその都度揃えていった方が都合がいい。
ただ、農村であるデマリには大きな商店といったものは存在しないので、基本的には村人に交渉したりたまたま訪れていた商人と取引するなどして揃える必要がある。十分な量を揃えるにはそれなりに時間がかかると思った方がよいだろう。
「分かった。ほな行こか」
そう言ってユウは足元の塊を抱え上げる。
塊、もとい薄桃色のスライムはされるがままという状態で大人しいものだ。例え抱えなくてもユウが歩けばその後ろを付いてくる。
「――連れてくつもりか」
レイが呆れた様子で尋ねるが、ユウは何を当たり前のことを言うのかといった態度だ。
「部屋でお留守番は寂しいやんか。なぁ、さくらもち」
「……さくらもち?」
聞き慣れない単語にレイが訊き返すと、こくんとユウが頷く。
「これからずっと一緒におるんやから名前いるやろ?」
レイとしてはなし崩し的に連れていくことになってしまったので、そんなこと考えもしなかった。
「それは……まぁ、そうかもしれんが……もっと呼びやすい名前はなかったのか」
「いやだって……桜餅やん?」
「……さくらもちが何かは分からないけど、なんだかおいしそうな響きね」
「ほら、セッちゃんもええ名前やって」
セラがどう言ったかはともかく。ユウがその名前で満足しているならレイとしてもそれ以上口を挟む余地はない。
「まったく……魔物を連れてるやつに物は売れないとか言われないといいけどな。とりあえず行こう」
「なんか甘いもん買っとこ。甘いもん」
「焼き菓子とか譲ってもらえないかしら」
「日持ちするものにしてくれよ」
「日持ちしないなら今食べればいいじゃない」
「セッちゃん頭ええなぁ」
ころころと表情を変えるユウと終始不愛想なセラ。対照的であるようだが、こう見ると姉妹のように見えなくもないなとレイは思った。
ともかく、三人が食料品の調達のためにデマリ村の中を散策し始めてしばし。途中昼食を挟みつつ太陽が頂点を過ぎ、西日が近くなってきた頃。村内が俄かに騒がしくなったのに気づいた。
「なんだ?」
レイが怪訝に思うのとほぼ同じタイミングで、その姿を見とがめた村人が声をかけてきた。
「おお、あんたぁ、確か騎士様だろ!ちょっと話聞いてやってくれねぇか!」
農夫の男にそう言われて、騎士は隣の魔法師と目を見合わせた。
それは疑問から来る動作というよりは、確認のための目配せだった。騎士が必要とされることなど、たいてい決まっているのだ。
「……昨日の今日だからな。さすがに何か運命のようなものを感じないでもない」
「多分あるんじゃない?そういうの。だって勇者召喚は世界の運命を変える魔法、界律魔法だもの」
頭上を飛び交う意味深なやりとりに、ただ一人事態を把握していないユウは首を傾げた。
人だかりが出来ていたのは村の北部。街道へと至る村の北出入り口だった。
交易で立ち寄る商人達の荷馬車を停めておくために広場となっているそこにデマリ村の住人達が深刻な面持ちで集まっていたのだ。
「おうい!騎士様を連れてきたぞ!」
レイ達を連れてきた男がそう声を上げると、人並みが左右に割れた。その中をレイ達が行く。
村人達は皆不安を顔面に張り付かせていたが、レイが現れたことで少しばかりそこに安堵が混ざったように見受けられる。騎士という存在は身を守る術のない民達にとって心の拠り所なのだ。とりわけこのデマリ村のような村には王都のような城壁もない。もし自警団で対応できないような何かが襲ってきた場合、頼れるのは王国の騎士や兵士だけなのである。
「おお、来ていただけましたか!」
昨日も見た白が混ざった頭髪。デマリ村の村長ルッツが人垣の中心にいた。
その姿を見つけたユウはふと思い出して話しかけた。
「村長さん!ちゃんと言えてへんかったけど、さくらもち村に入れてくれてありがとうなぁ」
「さくらもち……?あ、ああ、スライムのことですか。いや、まぁ、湖から他のスライムはいなくなりましたし、それぐらいなら……」
ユウとその胸のさくらもちを交互に見やって、困惑とも苦笑ともつかない微妙な表情を浮かべた村長だが、すぐにそれどころではないと表情を引き締めた。
「何かあったようだな」
レイが尋ねるとルッツは神妙な顔で頷いた。その態度から、起きている事態が昨日までのスライムの比ではないことが伺える。
「詳しくは彼から直接聞いていただい方がよいでしょう」
そういってルッツは身体の向きを変えて視線を下げた。
そこにいたのは土埃にまみれた旅装束に身を包んだ男だった。年齢は三十の前半ほどか、人好きのしそうな丸顔を今は蒼白にして、村の出入り口にかけられているアーチに背を預けて座り込んでいる。
着ている衣服は地面を転げまわったように砂まみれ、その上擦り切れている部分もある。軽く転んだ、ではこうはなるまい。
男を観察していたレイが目を細める。男の左側頭部に血が滲んでいる。あまり大きな出血ではないが、腫れてもいるようだ。
「何があった。話してみろ」
レイが座り込んで男に視線の高さを合わせると、男は地面から視線を上げた。
口を開いて言葉を発しようとするが、唾液が乾ききってしまっていて上手く声が出ない。レイは男が落ち着いて話せるようになるまでジッと待った。やがて落ち着いてきて声が出せるようになると、男は恐怖と、憤りを込めて言った。
「――小鬼族に、襲われました」
事前に聞いていたからこそのこの騒ぎだろうに、改めてその名を聞いた村人達がざわついた。
その名は下級とはいえ人間の敵、紛れもなく魔族を示す名称であったからだ。
「ゴブリン?なんや聞いたことあるな」
ユウが説明を求めてセラを見やった。
「奴らのカーストでは最下位に位置する小柄な魔族よ。あまり賢い種族じゃないけど、言語を理解する程度の知能はあるし悪知恵も働く」
「魔族……でも魔族領ってまだまだ遠くなんとちゃうの?こんなところまで来んの?」
「たまに、カーストが低い魔族が人間領に逃げてくることがあるのよ。なまじ知能があるばかりに他の魔族に虐げられるを嫌がってね。もちろん領境は厳重な警備が敷かれているけど、少数のそういった亡命者まで完全に発見するのは難しい状況よ」
ふむふむと頷いていたユウははっとしたように目を見開く。
「魔族領が嫌で逃げてきたなら、人間と仲よぉできるんちゃうか?」
ユウならばそう言うかもしれない。分かってはいたが、そのあまりにも世界を知らない発言にセラは、その発言が他の村人に聞かれてはいないか周囲を伺う必要があった。
だが、村人はレイと男のやりとりに注視していてこちらに意識が向いている様子はなかった。聞かれないように、ユウの耳元に顔を近づけてセラが答える。
「……魔族ってのはね、人間のことを対等な存在とは思っていないのよ。私達がそうであるように。そんな奴らが人間領に来てどうやって生きていくか、答えは一つよ」
ユウとセラが話している間にも、レイは男から詳しい状況を聞き出していた。
「――私は、主に村間での物資配送を生業にしています。今回は、リユからデマリまでの配送の途中でした。あと僅かで村に着く、というところで奴らに襲われました……」
リユ、というのはここデマリからしばし北上したところにある村の名前だ。
「護衛は?」
レイが問うと男は再び顔を伏せる。
「一人連れていました。ですが、馬車が横転した際に道に投げ出されて……体制を立て直す前に奴らに袋叩きにされているのが見えました。私にも襲い掛かってきて、私は、私はもう、怖くて……襲われながらも必死でここまで、ここまで走って……」
レイは震える男の肩に手を置いてやる。戦う力を持たない者は逃げるしかない。護衛を見殺しにしたからといって責められることはあるまい。護衛もこういったことが起こりうると分かっていてその職業に就いているはずだ。
「馬車が横転したと言ったな?街道に何か罠でも仕掛けられていたのか?」
「そ、それが……」
男は、怯えを振り払うように首を振った。生き残った者には、被害がさらに拡大しないように伝える義務がある。そう自分に言い聞かせるように記憶を手繰る。
「何か、大きな生き物が木々の間から突然飛び出してきて馬を押し倒したんです……」
「なんだと?」
思わず聞き返したレイが詳しい説明を求めて男を促す。だが、男は頭の傷が痛むように頭を抱えて呻く。
「よく、分かりませんでした……何かが目の前に飛び出してきたと思った瞬間に馬車ごと私は吹き飛ばされて……痛む身体を無理やり起こすと護衛が小鬼族に襲われているのが見えて、その後は……」
それ以上の言葉が続かない。察するに自分に襲い掛かってくる小鬼族から逃げようと周囲が見えなくなってしまったのだろう。
「小鬼族以外にも何かいるのか……」
小鬼族の身長は大人でもせいぜいユウより少し低い程度、馬を押し倒せるような体格ではない。
何か別の、小鬼族よりも大きな魔族ないし魔物がいると考えるのが当然の流れだろう。
「騎士様……」
隣で話に耳を傾けていた村長が口を開いた。
「我々デマリの自警団は、これより総力をあげて小鬼族の討伐を行います。ですが、ここは魔族領から遠く離れた地、知ってはいても魔族など見たこともないような者がほとんどです。当然、自警団に魔族退治のノウハウなどありません……」
その後に続く言葉は簡単に察せられる。それはレイとしても願ってもない機会だった。
一瞬だけ振り返って、レイは黒髪の勇者を見た。きょとんとした黒瞳と視線が交錯する。彼女にこの世界を知ってもらうのが旅の目的、その絶好の機会がこうも早く、そして立て続けにやってくるとは。
(運命を変える魔法、それが勇者召喚、それが界律魔法か……)
レイは魔法師の言った言葉を頭の中で反芻した。魔物に次いでユウに魔族を知ってもらう絶好の機会がやってきた。もとより多少の危険は承知の上、そのためにレイとセラがいる。
「分かった。小鬼族は俺達がなんとかしよう」
周囲の村人達から安堵にも似た歓声が上がった。騎士が協力してくれるというのであれば、これ以上の助力はない。
騎士とは、民達の平穏を護る使命を帯びた、崇高な精神を持ち、対魔族を想定した厳しい訓練を乗り越えた精鋭なのである。
「では今すぐ自警団を召集します!討伐隊の編成を……」
勇むルッツをレイは制す。
「いや、まずは俺達だけで様子を見に行く。多くの人員を割いて行動するにはもう時間が遅すぎる。自警団は村の北側の守りを固めろ」
「しかし、それでは騎士様達が危険なのでは……?」
「身を案じてくれて悪いがな、小鬼族程度が数匹集まった程度じゃ準備運動にもならない」
それは決して奢りや油断ではない。敢えて言うのならば誇り。時に魔族の最高位である魔神族とも交戦することのある一の騎士団にとって小鬼族が数匹集まったところで物の数ではない。
他に気がかりなこともある。ただでさえ一人護衛対象がいることが明白な状況で、これ以上護る必要があるものを増やしたくないということもある。自警団の面子の問題もあるのでそれをレイが口にすることはなかったが。
「これは……余計な気づかいをしてしまいました。では、ここで守備に専念しております」
村長の言葉に一つ頷いて、レイは腰を上げた。
「よし、宿に戻って装備を整えたらすぐに現場の様子を見に行くぞ。いいな?」
「――うちも行く!」
置いていかれると思ったのだろう、前のめりでそう訴えるユウの頭に騎士は手を置いた。
「もちろんだ。お前に魔族を見てもらうのは旅の目的の一つだからな」
ユウは珍しく険しい表情を浮かべていた。さすがに人の命が関わっている事態に緊張しているのだろうとレイは思った。
「なら急ぎましょう。日が暮れたら様子を見ることもできないわ」
セラの言葉に従って、一同は装備を整えるべく宿へと走った。
さくらもちを抱えたまま走るユウは終始険しい顔のままだった。
彼女が何を考えていたのか、ほどなくしてレイとセラは思い知ることになる。