第二章 邂逅、そして(6/6)
「よく寝てるわ。欠乏症の症状も朝になったら治ってるでしょ」
二階から階段を降りてきたセラはそう言って、レイの対面の席の椅子を引く。
宿泊している宿屋の一階、酒場にて。ユウを寝かしつけたセラはレイと落ち合った。まだ日が落ちて間もない時刻、食事も必要だがそれ以上に今朝の出来事について話し合う時間が必要だった。
スライムの大移動の後、目的を失った一同は湖を後にした。
ありのままを村長に報告しても信じてもらえないと思ったので、数匹駆除したら他の個体は逃げていったと説明した。間違いではなかろう。
完全な駆除はしておらず、戻ってくる可能性がまったくないというわけではなかったのでセラは報酬は受け取らなかった。
その代わり、というほどのことでもないが特例として完全な監視下であれば村内へ魔物を連れ入ることを許可してもらった。
あの薄桃色のスライムはユウにべったりで、もはや村が近くなっても彼女の側を離れようとしなかったのだ。
ユウは村に戻ると早々に宿屋のベッドに放り込まれた。魔力の回復は大人よりも子供の方が早いとされ、村に着く頃にはずいぶん顔色は良くなっていたが、失った体力はすぐに回復とはいかない。
大丈夫だと言うユウをセラは無理やり寝かしつけ、その頭をスライムにしていたのと同じように魔力を込めて撫でた。
人間の魔力には適性、相性があるのでスライムのように完全に吸収することは無理だが、まったく効果がないわけではない。
「気持ちええなぁ……スライムもこんな気持ちなんかなぁ……」
そう幸せそうに呟いて、彼女は深い眠りへと落ちていった。あの分では朝まで目を覚まさないだろう。
「あのスライムは?」
そう尋ねるレイを後目に、セラは店員の女性を呼び止めて葡萄酒を一杯注文する。
「ベッドの脇でジッとしてるわ。あんなに聞き分けのいいスライムは初めて」
運ばれてきた葡萄酒を舐める。口に合わなかったのか形の良い眉が少し顰められた。
レイもそれに続いてすでに注文していたエールで喉を潤してから、話始める。
「それで……どう思う?」
「どうって?」
「今朝のあれは……なんだと思う?」
「貴方はどう思うのよ」
質問に質問で返され、レイはジョッキを置いて椅子の背もたれに身体を預けた。
「俺は……あれがユウの、勇者としての力の一端なんじゃないかと思う」
セラも葡萄酒の入った木のカップをテーブルに置いてレイの話に耳を傾ける。
「ユウの力は、もしかしたら魔物を操る力なんじゃないか?」
それがレイの至った考えだった。
「どうしてそう思うの?」
セラは質問を繰り返す。彼女自身はまだ自分の考えがまとまっていないのかもしれない。
「スライムは魔物だが、ほとんどただの自然現象に近い存在だ。魔力の多い所に集まる、人に体当たりする、火を嫌がる……この三つ以外に生態らしい生態は観察されていない。だけど、あれは明らかに意思を持った行動だった。奴らはあの場から逃げたんだ。魔法で仲間が燃やされても動じなかった奴らが、ユウが何かした直後に蜘蛛の子を散らすように……ユウのスライムを殺して欲しくないという願いに従うように……」
あの魔物について詳しい研究が為されているわけではないし、レイも彼らの生態についてほとんど知識はない。だが、あれは明らかに異常な行動。そしてそれはユウの願いに則した行動だった。
「あのピンクのスライムもそうだ。ユウに懐いているように見えるが……本当はユウが無自覚に言うことをきかせているんじゃないか?そうでもないと……」
給仕の女性が事前に注文しておいた料理を運んできたのでレイは言葉を途切れさせた。
客の数はあまり多くなく、馬鹿騒ぎしている客もいないため、大きな声で喋っているわけではなくもレイ達の会話は他の者に筒抜けだろう。だが、さすがに間近に第三者がいる状況で話すことは憚られた。
こんな荒唐無稽で笑い話にもならないような話を。
「……もしそうなら、ユウの力が完全に覚醒すれば戦局が変わる。人間は勝利に大きく近づく。ユウは文字通り一騎当千の勇者となる」
例えば、魔族は人間でいう馬のように魔物を飼い慣らして騎乗する。その魔物が戦場で唐突に反旗を翻し、騎手に襲い掛かったとすれば。そうやって指揮権を奪った魔物を従えて攻め入ることができるのだとしたら。
敵の戦力を削りつつ、兵力の増強もできる。これほど強力な力もそうはあるまい。ユウ自身が無力なのも当然と言えるだろう。
「そう……それが貴方の考え、いえ、希望なのね」
しかしセラは、レイの考えにあまり賛同していないようだった。少なくともレイにはそう見えた。
テーブルに置かれた蝋燭の灯りが、少しでも光量を増やすために置かれた金属の反射板に跳ね返って二人の横顔を照らす。カップの中、紫紺の鏡面に物憂げな瞳が映っていた。
「あの時、確かにユウは何かをした。それは間違いないと思う。でも、それは魔物を従わせるような、他者を屈服させるような、そんな力じゃなかったと思う。だってそんな力、あの子が欲しがるわけないもの」
「ユウの意思と、勇者の力が噛み合ったものになるとは限らない。それに、もしそうならあのスライムの大移動はどう説明する」
セラはまた葡萄酒を一口。あまり質が良いとはいえないそれを舌先で転がしつつ、自分の考えを纏めていく。
葡萄酒を嚥下して、一拍、魔法師は口を開く。
「私には……あのピンクのスライムが他の仲間を説得して逃がしたように見えたわ」
あの薄桃色のスライムから端を発した振動の共鳴、セラはそれが彼らの言葉だったのではないかと思ったのだ。ユウ自身も、あの薄桃色のスライムが他の子を説得してくれたと言っている。
「じゃあ、あのユウが発した波みたいなのはなんだったんだ?あれがきっかけで異変は起きた。お前の言う事が正しかったのだとしても、ユウがあの力でピンクのスライムにそうさせたとは考えられないか?」
「……どうしてもユウに魔物を操る力を持っていてほしいのね」
「当然だろう。お前はその逆みたいだが」
セラはもう一度カップを傾ける。今度は味わうことはなく、一息に飲み込む。
後味だけならばそう悪い酒ではなかった。
「あの波がなんだったのかは、検討もつかない。でも……」
そう言ってから美貌の魔法師は一瞬だけ騎士に視線を送り、すぐにまた視線を落す。
寝る前に聞いた話だが、ユウ自身は何かしたという自覚はまったくなかった。ただあのスライムを助けたかっただけなのだと言う。
だからこそ、セラは思うことがある。
少しばかり言いづらいように口の端を動かして、やがて観念したかのように重い口を開いた。
「柄にもないことなのは、分かってるんだけどね……。あの波は、魔物を支配するような、そんな高圧的な感じじゃなかった。寧ろ……その反対、とても優しい感じがしたのよ」
その様子が少しだけ可笑しくて騎士が笑いを漏らすと、射貫くという表現が実によく合う鋭い視線が向けられた。
「……なるほど。だがまぁ、結局の所どちらの意見も確証を得るにはまだ判断材料が少な過ぎるわけだ」
肩を竦めてレイはエールを一口、料理に手をつけるべく匙を手に取る。
「ユウの体調が回復しだい早々に村を出よう。なんにせよ、ユウにもっと様々な経験をしてもらう必要がある。最初の村でこれだ、意外とちゃんと結果が出るのにそう時間はかからないかもしれんな」
「……そうね」
少なくとも、今回の件でユウが何かしらの力を持っていることは証明されてしまった。セラの、ユウに勇者の力などなければいいという願いはもはや叶うまい。
ユウが勇者としての力を持っているのかという旅の目的は、旅に出てわずか四日ばかりで半分は達成された。ユウには何らかの力がある。
次なる残り半分の目的は、その力が何なのか、だ。
「でも、あまり危険なものは駄目よ。あの子、目を離せばすぐ危険な目に遭いそう。ユウが死んだら私達もあのお姫様に首を刎ねられるんだからね」
最後の一文は明らかな照れ隠しだった。
素直に心配だと言えばいいのに、そう言えない魔法師にレイは少なくない好感を持っている。
「そうだな。そうならないように全力を尽くそう」
だがそれを指摘すれば彼女が機嫌を損ねるだろうことは明白だったので、騎士は食事に専念することにした。
虫の鳴き声も聴こえない、静かな夜だった。