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宥和の勇者 ―結ばれた手と手―  作者: noyuki
結ばれた手と手(ハンズアンドハンズ)
11/58

第二章 邂逅、そして(5/6)

 デマリの農業を支える豊富(ほうふ)な水量を(たた)えた湖。()いだ湖面(こめん)岸辺(きしべ)に並んだ木々が(うつ)り込み、美しい対称風景(シンメトリィ)(えが)き出す。一帯のひんやりとした空気が肺を満たすと心まで湖面のように凪いでいくような気がする。


 だがそれも少し視線を動かし、耳を()ますと別の顔を見せる。


 ぴちゃん、ぴちゃん――


 水辺を何かが()ねる音。時折(ときおり)それなりに大きなモノが水に落ちるドボンという音も()こえてくる。


「うわぁ……こんだけおると……ちょっと引くなぁ……」


 ユウの(ほほ)がひくりと若干引き()る。


 穏やかな湖岸(こがん)の風景はユウ達がやってきた方向の対面のみ、用水路が引かれている方の湖岸にはいくつもの半透明の(かたまり)がひしめいていた。


 数を数えようとしてユウは止めた。十や二十ではあるまい。よく見るとまだ生まれて間もない個体なのか、少し小振りのものもいる。


綺麗(きれい)な湖ね、きっと一帯の魔力も多いんでしょう。それにつられて寄ってきたのか、あるいはここで生まれたのか。いずれにせよ水気もあるしスライムには最適な環境ね」


 冷静に分析する魔法師の言葉を聞きながらユウは気合いを入れて腕まくり。


「本当にやる気なのか……?この数だぞ……?」


 (あき)れ半分、心配半分といった割合の表情を浮かべている騎士にユウは不適(ふてき)に笑って見せる。


「やってみなどうなるか分からんしな」


 そう言って意味があるのかないのか分からないが、両手をぷらぷらとさせて準備運動。だがふと問題に気づいたユウは、両手の指を合わせて上目(づか)いにレイを見上げた。


「せやレイ君……ちょっとお願いがあるんやけど……」


 申訳なさそうな、あるいは()びるような声色に特に何か感じ入るでもなく、レイがなんだと答える。


「うちが()でとる間、他の子が邪魔してこぉへんように盾になって欲しいねん」


 今はまだ距離があるためスライムがユウ達に近づいてくる気配はないが、もう少し近づいて餌やりを始めればその魔力に反応して多くのスライムが近寄ってくるだろう。


 これだけの数のスライムに一斉(いっせい)に体当たりされれば例えユウじゃなくとも危険を(ともな)う。下手をして顔を(ふさ)がれれば窒息(ちっそく)しかねない。


「それは別にかまわんが……」


「ほんま?ありがとぉ」


 もとよりレイの仕事は勇者の護衛だ。多少勇者が無茶をしようとも盾になるのは当然のことであるし、感謝されるほどのことでもない。


 スライムを受け止めるのにたいした苦労はないが、念のためレイは背中の盾を右手に装備した。

 

「セッちゃんは……」


 ついでユウは恐る恐るというふうに美貌(びぼう)の魔法師に視線を送った。


 もとよりスライムを駆除(くじょ)するという依頼を、あくまで様子見を約束しただけではあるが受けたのはセラである。そして彼女はスライムを駆除することに肯定的(こうていてき)だ。


 ユウの行為(こうい)は少なからず彼女の目的を妨害(ぼうがい)する。(ゆえ)にやれるだけやってみればいいとは言ってくれたものの、その顔色を(うかが)わずにはいられなかったのだ。


「――数が多いわね。私もユウが頑張(がんば)っている間は餌やりを手伝ってあげる」


 まったく想定しなかった手助けの申し出にユウは一瞬(いっしゅん)目をぱちくりさせたものの、次の瞬間にはぱぁっと雲間(くもま)隙間(すきま)から(のぞ)く太陽のような笑顔を顔いっぱいに浮かべた。


「ありがとぉ!やっぱセッちゃんめっちゃ優しいなぁ!」


 ユウがセラに抱き着いて感謝の言葉を伝える。


 されるがままのセラは相変わらずの気だるげな表情だが、その瞳の奥に少しばかりの罪悪感(ざいあくかん)という感情が映っていることにユウは気付かなかった。


「ほなやるぞー!」


 そしてユウは大量のスライム達への餌やりを開始したのだった。


 少し近づいてスライムの方から寄ってきたところをキャッチ、少し距離をとってから地面に座り込んで撫でる。しばらく撫でてスライムが満足したら(わき)にどかして別の個体を(つか)まえに行く。


 撫でている間に近づいてくる他のスライムはレイが(つか)んでなるべく遠くに放り投げる。数が多くなれば()っ飛ばして距離を離す。


 ユウが魔力の注入を開始すると一定範囲内の全てのスライムが彼女に向けて移動を開始するので、レイはなかなかハードな護衛作業を行うことになった。(おけ)一杯分の水と同じ重量の物を持ち上げて放り投げるという動作を何十回も繰り返すのだから、その様子は採石場(さいせきじょう)で切り出した石を運ぶ労働者(ろうどうしゃ)彷彿(ほうふつ)とさせた。途中からレイは護衛作業ではなく新しい筋力トレーニングだと思って作業に従事(じゅうじ)していたほどである。


 ユウが真剣な面持ちで餌やりを行う(かたわ)ら、セラも同じようにスライムを撫でる。(となり)のユウとは違い、つまらなさそうに無表情であったが、撫でているスライムの様子以上に隣の勇者の顔色を頻繁(ひんぱん)に伺っているようであった。


「――よし、次!」


 満足げにぷるぷる震えているスライムをユウが脇に置く。これで湖に来てから三匹目。


 別の個体を捕まえようとユウが立ち上がった瞬間、その小さな身体が横にふらついた。


「――おっと……」


 転倒(てんとう)することはなかったが、その額からじんわりと汗が(にじ)んでいた。魔力の放出は文字通り自分の中のエネルギーを外に出している行為(こうい)(ほか)ならない。手の平から放出するだけでも体力的な負荷(ふか)全力疾走(ぜんりょくしっそう)している状態に近い。


「ユウ」


 その様子を見てセラが声をかけた。ユウとまったく同じ量の魔力の放出を行っている彼女だが、その表情は終始(しゅうし)変わらず汗もかいていない。()れによる魔力の(あつか)いの精密(せいみつ)さもあるが、それ以上にユウとは魔力の容量(キャパシティ)がまったく違うのだ。


 自分の名を呼ぶ声色(こわいろ)に心配と、もうやめようという意思を感じてユウは無理やり口の(はし)を持ち上げる。


「まだまだ、これからやって!むしろこっからがうちの本気やさかい」


「……そう」


 足元をふらつかせながらも新たなスライムを捕獲(ほかく)しにいくユウをセラは止めなかった。


 どのみちもう少しで限界が来ることが彼女には手にとるように分かっていたからだ。


「――ッ!」


 スライムを撫でるユウの手に宿(やど)った光が細かく明滅(めいめつ)を始めた。小さく(うめ)いた拍子(ひょうし)()れた頭から汗の(しずく)がスライムに()りかかって、スライムはぷるぷると身を(ふる)わせた。


 呼吸も(あら)くなってくる。ユウの限界が近くなってきたのは誰の目から見ても明らかだった。


 満足させたスライムを横に置いて、また新たなスライムを(つか)まえに行く。


 いい加減(かげん)にやめさせようとしたレイをセラの無言の視線が押しとどめた。


「――うぁ!?」


 スライムの体当たりの勢いを受け止めきれず、仰向(あおむ)けに転がったユウの腹にスライムが飛び乗る。その重量でユウが苦し気に呻いた。


「ユウッ!おい、しっかりしろ!」


 もう見ていられなくなったレイが手近なスライムを蹴っ飛ばしたあと、ユウに駆け寄ってその腹に乗ったスライムを放り投げた。


 そのまま小さなユウの頭の下に腕を通して上体を起こさせる。近くで見るとユウの状態はただの肉体疲労とは様子が違った。


 荒い呼吸、額に滲む汗。しかし身体の体温が下がってきており、唇が紫に変色している。


「おいセラッ!どうなってる!?」


 騎士はこうなることを予想していただろう魔法師の名を叫んだ。


 その魔法師は抱きかかえられたユウの側に(かが)みこんで、体温や瞳孔(どうこう)を確認するとその物憂(ものう)げな双眸(そうぼう)を地面へと下げた。


「……魔力欠乏症(けつぼうしょう)よ。なりたての魔法師がよくなる病気、というか現象(げんしょう)。自分の限界ギリギリまで魔力を使い過ぎて健康状態を維持(いじ)できない状態。魔力は生き物に必要なエネルギーだから、それが枯渇(こかつ)しかければこうなるのは当然よね」


 淡々(たんたん)と、魔法師は言った。当然という言葉通り、彼女はこうなることを随分(ずいぶん)前から予期(よき)していたのだ。


「こうなると分かっていて、なぜ止めなかった?」


 (いきどお)りの(こも)った騎士の視線をまるで意にも(かい)さず彼女は手を()ばす。


 キメの細かい肌の指先が自分の頬を撫でるのをユウは感じた。汗が出るのにやけに寒い。体温調節がうまくできない。血液に(なまり)が混ざったかのように身体(からだ)が重かった。


 生きていくために必要な何かが足りない、というよりも、生きるために必要な意思のようなものが身体から失われてしまったような喪失感(そうしつかん)


「ユウ、()こえる?聴こえるなら目を開けなさい」


 すぐ近くで自分の名前を呼ぶ声が聴こえて、重い(まぶた)を開く。いつもの無表情が少しだけ(つら)そうに(ゆが)んでいるのが見えた。


「安心して。命に関わるようなものじゃないから。時間が()てば楽になるわ」


 その言葉を聞いて、ユウ以上にその身体を支えている騎士が安堵(あんど)したのが分かった。


 それが可笑(おか)しくてユウは弱々しく笑う。だが、セラがその笑顔につられて表情を(ゆる)めることはなかった。


「ユウ、貴女(あなた)は文字通り自分の全てを振り(しぼ)って、スライムを助けようとしたわ。その優しさは素晴らしいものだと思う。でもね、相手がそれに(こた)えてくれるとは限らない。ほら、見なさい」


 セラに(うなが)されてユウは視線を動かす。


 すると周囲のスライム達がいまだにこちらに向けて近寄ってきているのが見えた。一匹がユウに向けて跳躍(ちょうやく)したのをレイが(たた)き落す。地面に叩きつけられたスライムはしばし驚いたように身を震わせながらも、またユウ達に向けてゆっくりとにじり寄る。倒れる寸前(すんぜん)まで魔力を与えていたスライムもまだもの足りないのか近づいてきている。距離が()まればまた体当たりしてくるだろう。


 彼らはユウの状態などまるで考慮(こうりょ)しない。思考(しこう)する能力があるかすら疑問(ぎもん)なのだから当然である。ただ魔力のある方に近寄って、体当たりする。火を嫌がるなどの最低限の生物的本能はあるが、それでも生物よりも自然現象に近い存在だ。


一見(いっけん)(なつ)いたように見えたとしても、それはそう見えるだけで人間と魔物が心を(かよ)わせることはないの。だから動物と魔物というのは区別されてるの。こいつらは人間の敵なのよ。これ以上、魔物に肩入(かたい)れするのはやめなさい。貴女のために……」


 セラが湖に来ることを決めたのも、ユウがスライムを助けるべく行動することを止めなかったのも、全てはこの事を伝えたかったからだった。


 セラはユウがスライムに対して少なくない好感を抱いていたのを危惧(きぐ)していた。魔物に心を許せばいつか必ず後悔(こうかい)すると分かっていたからこそ、スライムというもっとも安全な魔物で身をもって知ってもらうことにしたのだ。


 その後悔する相手がもっと危険な魔物だった場合、差し伸べた手が食いちぎられるかもしれないのだから。


「……………」


 ユウは何も言い返せなかった。自分にもっと魔力があれば、という問題ではないであろうことは容易(ようい)に想像がついたからだ。そうであったなら彼らはその全てを求めてユウに寄ってくる。ただそれだけだ。そこに信頼や愛情といった感情は存在しない。セラが言いたいのはそういうことなのだ。


 ここまでユウが全力を()して疲れ果てていても、満足していないスライム達は近寄ってくることをやめないのだから。


「もう止めないわね?」


 そう言ってセラは立ち上がり、スライムの群れに向けて手を伸ばした。


「ファル/エファ/ウラ/エファ/ウエル――」


 呪文。体内の魔力を特定の形にするための命令符丁(ふちょう)。それによってただの生命力に過ぎないエネルギーは万象(ばんしょう)へと(いた)る。


「〈炎刃(えんじん)よ、顕現(けんげん)せよ〉!」


 彼女の右手が(はら)われると同時、湖岸の冷えた大気を灼熱(しゃくねつ)の火炎が切り裂いた。


 (あか)い斬撃にも見える炎が(むち)のようにしなり、セラの指先からスライムの群れ、湖面までの大地を打ち()える。一瞬にして燃え上がった炎はしかし燃え広がることはなく、高熱でもってその軌跡(きせき)を切り裂いた。大地に黒い()げ目がつき、ジュッと音を立ててそこにあったモノを蒸発(じょうはつ)させた。


 少しばかりの焦げ(くさ)さ、だがそれは生き物の焼けるような(にお)いではない。スライムの体組織はそのほぼ全てがただの水分。蒸発はするが焦げることはない。


 炎の鞭の一振りで、四、五体のスライムが文字通り消滅(しょうめつ)した。


「ああ……」


 一瞬にしてこの世から消滅してしまったスライムにユウが手を伸ばす。


 仕方のないことだと分かっていても、どうしても(おさ)えきれない感情が身体を動かしたのだ。感情を理性で抑え込むにはまだユウは幼すぎた。


 人の生活のためには仕方ない。だが、それでも、共存という道は本当にありえないのか。共に生きるという選択肢は本当に存在しないのか、そう考えてしまう。


 (たと)え魔物だとしても、意思を持たないのだとしても、一個の命ではないのか、と。


「もっと広範囲に()ぎ払うように()たないとね。危ないからユウを連れて下がってくれる?」


 後ろは振り向かずに魔法師は言った。その表情はユウ達からは見えなかったが、いつもの物憂げな眼差(まなざ)しをしているのだろうということは明らかだった。


 ユウと同じ数スライムに魔力を供給(きょうきゅう)しており、さらに今魔法を一発撃ったにも関わらずその声色に疲労は一切ない。それどころか、今程度の魔法ならばあと十数発撃ったところで彼女が疲労することはないだろう。


 圧倒的な魔力の容量、それをコントロールする卓越(たくえつ)した魔法技術。レイの一の騎士団(ナイツオブザワン)のような明確(めいかく)な肩書きこそないが、彼女もレイと同じく人々の命運を左右する勇者の護衛を任された超一流。戦術魔法師という範囲の中ならば五指(ごし)の中に入る実力者だった。


「ユウ、どうだ。立てそうか?」


 優し気な声色で(たず)ねられ、ユウは屈強(くっきょう)な騎士の肉体に体重を(あず)けながら立ち上がった。


 まだ身体は重い。だが倒れた直後ほどの虚脱感(きょだつかん)はない。湖についた時、セラはこの一帯が魔力の多い、スライムにとって最適な環境だと言った。()しくもそれは、魔力が枯渇(こかつ)した人間が身体を休めるのにもっとも(てき)した場所でもあるということだった。


「……ごめんな。二人に、心配かけてもうた……」


 まだ少したどたどしく、ユウは二人に謝った。


「セッちゃん……」


 その名を呼ばれた時、魔法師の背中が少しだけ緊張(きんちょう)するように強張(こわば)ったのが分かった。


「セッちゃんは、やっぱ優しいなぁ……。ごめんなぁ、うちのために、(にく)まれ役みたいなことさせてもうて……」


 ことここに至って、ユウはセラの考えを理解した。


 ユウに魔物というものと人間は相容(あいい)れないのだと教えるため、あえてこの無謀(むぼう)な行動を放置(ほうち)した。こうでもしないとユウが聞き分けないと分かっていたからだ。


 全てはユウの今後を(あん)じてのこと。これが優しさでなくてなんと言おう。


「――それが分かるなら、そんなになるまで無茶しないで。(まも)る方の身にもなってよね、勇者様」


 少しばかり冗談(じょうだん)めかした言葉に、ユウはただ無言。しばし、重苦しい沈黙が満ちる。


「……さて、それじゃ悪いけど、ここにいるスライムは全て駆除するわ」


 ユウとレイがゆっくりと距離をとるのを確認して、セラは再び呪文の詠唱(えいしょう)を開始する。


 まだ数は多いが、それほど時間はかかるまい。


 ――だがその詠唱は、予想だにしていなかった存在によって中断された。


「セッちゃん……!ごめん!待ってッ!」


 ユウが叫んだ。セラもそれに気づいて、さすがに魔法を放つことを躊躇(ちゅうちょ)した。


 そこにいたのは、(あわ)い桃色のスライムだった。


 間違いない。ユウ達が街道で出会って、初めて餌付(えづ)けをしたスライムだった。


 ユウに懐いたような仕草(しぐさ)を見せ、言う事を理解しているようなそぶりすらして見せたあの個体。村の入り口で別れたその個体が湖までやってきたというのか。


 まだ魔力欠乏症で息も絶え絶えなユウが、制止するレイを振り切ってその薄桃色(うすももいろ)に駆け寄った。


「間違いない……あの子や……」


 近寄ったユウに、そのスライムが体当たりする様子はなかった。ユウの足元までゆっくり近づいて、その身体を()り寄せる。


 明らかに他のスライムとは挙動(きょどう)が違う。その魔物はユウのことを覚えていた。


「ごめんセッちゃん……」


 ユウはそのスライムをかばうように抱きしめる。


「セッちゃんの言うことはよぉ分かる。でも、でもこの子だけは……お願い……」


 勝手なことを言っているのは十分承知(しょうち)だった。だがこれだけはどうしても(ゆず)れなかった。


 一緒にいたのはほんの短い時間だったとしても、ユウとこのスライムには確かな(えん)があった。それが一方的な愛情であったとしても、それでも縁が出来た以上他の個体と同一視(どういつし)はできない。


 相容れないのだとしても、それでも……。



 ――ドクン



 その感覚がなんなのか、その場にいる誰も知りえなかった。


 ただユウを中心に何か()えない波のようなものが世界に広がっていったような、そんな気がした。


 その中心にいたユウは、波が鼓動(こどう)のように世界という身体の隅々(すみずみ)まで浸透(しんとう)するのを感じた。


「――あっ」


 あっけにとられていたユウの腕の間から薄桃色がぴょんと抜け出した。


「今、何か……」


 不思議な感覚に困惑(こんわく)するセラの目の前で、さらに奇妙なことが起きようとしていた。



 ぷるる――ぷるる――



 薄桃色のスライムが小刻(こきざ)みにそして一定のタイミングで身体を震わせる。すると、周囲のスライムも同じように身体を振動(しんどう)させ始めたのだ。


 振動の波がさざ波のように広がっていく。やがてこの湖一帯、目に見える全ての範囲のスライムが同じように身体を震わせる。


「お、おい……セラ、これはなんだ……?」


「知らないわよ……!」


 明らかな異常事態(いじょうじたい)。何が何やら分からないレイの問いにセラが苛立(いらだ)ったように答えた。少なくともセラはスライムのこのような集団での習性(しゅうせい)は聞いたことがない。


 そもそもこの共鳴(きょうめい)はいったい何を意味しているのか。情報の伝達(でんたつ)か、はたまた他の何かか。それすらも判別できない。


 共鳴はほんの(わず)かな時間しか発生しなかった。やがて振動がゆっくりと(おさ)まっていく。


「何が……うわっ!?」


 ユウが(つぶや)いたのきっかけに、全てのスライム達がぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。


 周囲一帯に(ひび)(わた)る奇妙な水音の大合唱(だいがっしょう)。そして湖を()(つく)くしていた大量の魔物達は三々五々(さんさんごご)に移動を開始した。


 脇を飛び跳ねて大移動する魔物達、呆然(ぼうぜん)として(かた)まる人間達には見向きもしない。


 やがて水音が遠く離れていき、湖は本来あるべき静謐(せいひつ)な空間を取り戻していた。用水路に流れ込む水の音が残された者達の耳をくすぐる。


「あ、あはは……なんやごっつすごいことなったなぁ……」


 あまりの出来事に身体の疲労を忘れてしまったらしいユウが(かわ)いた笑いを()らした。


 もう湖にスライムの姿はない。いや、厳密(げんみつ)には一匹だけは残っている。あの薄桃色のスライムだけは。


 スライムがユウを見つめていた。当然目などないのでただユウがそう感じているだけではあるのだが、なぜかそんな確信(かくしん)があった。


「……他の子達を説得(せっとく)してくれたんか?」


 スライムは答えない。答える(すべ)を持たない。ただゆっくりと近寄って黒髪の勇者にぴとりと寄り()うのみ。


 そんなスライムを優しく撫で、まだ不健康(ふけんこう)な色合いの(くちびる)でユウは笑った。


「これで、もう駆除する必要はあらへんな」


 まだ横になっていないと辛いだろうというのに、そんなことを言ってにししと笑う勇者に対して、魔法師はただ肩を(すく)めて見せる以上の返答を持たなかった。

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