第二章 邂逅、そして(4/6)
普段あるものがないことは最初こそ新鮮かもしれない。だが時間が経つにつれそれのありがたみが身に染みてくるものだし、それが再び戻ってきた時の喜びは一入だろう。
今回はまさにそれだった。
ユウの寝起きはまさに最高であった。寝返りを打っても痛くなく、鼻先に虫がとまることもない。屋根とベッドがあることがこれほどまでに素晴らしいことだったとは今まで考えたこともなかった。二日野営しただけでこれなのだからもっと期間が空けば感動も増すのだろうか。
もっとも、地面が硬かろうが鼻先に虫がとまろうが熟睡していたユウである。野営が苦痛だったわけではないが。
諸々の朝の準備を済ませて三人は昨日村長に教えてもらった湖に向かった。
田畑の用水路を辿って北東へ。青々と茂った艶やかな絨毯を横目に上流へ向かう。
「うち詳しくはないけど、けっこう水路とかしっかりしとるね。王宮とか建物見たときも思てたけど、機械もないのによぉこんなん作ったなぁって。あ、馬鹿にしとるわけやないんよ?ほんまにすごいなぁって」
関心してユウはきらきらと陽光を反射する水の流れに目を細めた。機械、というものがなんなのかレイ、セラ共に知る由もないが、この黒髪の少女の暮していた世界がこことは大きく異なっているということは多少なりとも伝え聞いている。
レイとセラにとって見慣れた光景も彼女にとってはどれも新しく新鮮だ。
「こういう水路は魔法で作られているんだ」
「魔法で!?」
この世界のごくごく一般的な常識を騎士が話しただけで勇者はとても大仰に驚く。まだまだこの世界に馴染んだとは言い難い。
「魔法師にもいろいろいてな。こういう土木作業用の魔法を習得した土木魔法師、帆船を風で動かす航海魔法師、石材の切り出しや鉱石を掘りだす採掘魔法師……それぞれが分野ごとに専門的な知識と技術、魔法を身に着けている。魔法を使うのに才能がいる以上あまり数は多くないが、この国の民は魔法技術に支えられて生きていると言ってもいいだろうな」
真剣に話を聞いていた様子のユウがふと疑問に思って後ろをついてきている魔法師を振り返った。
「セッちゃんは何魔法師なん?」
薄々話がこちらに来ることが分かっていたセラはまだ眠気の抜けきらないような気だるげな様子で、無造作に一言。
「戦術魔法師」
「……ってどんなやつ?」
流れるように問いかけがレイへと回ってくる。
「ようは戦いに特化した魔法師だ。魔族との戦争の要になる魔法師だな。一人で武装した兵士十数人分の戦術的価値があると言われている」
「へぇ、よう分からんけどめっちゃすごいんや!」
そういったユウの頭を不意に魔法師がわしゃわしゃと撫でた。
「にょわあ、ちょっとセッちゃん!?」
突然頭を左右に振られたユウが目を白黒させる様子を無表情で眺めていた魔法師だが、その手をユウの頭に置いたまま酷くつまらなさそうに言葉を紡いだ。
「……別に、すごかないわよ。たまたま才能があっただけ。それに物を壊して命を奪うのが得意なんて、何の自慢にもならないわ」
その言葉は謙遜というにはあまりにも真理をついている。だからその言葉はセラの本心だとユウにはありありと分かった。
才に恵まれつつも、その才が決して褒められたようなものではないと思っている。
だがそれは一側面だけを否定的に捉えただけでもある。それはセラ自身も分かっているが、称賛を素直に受け止められないのは彼女の性格故か。
「それより、ほら、見なさい」
会話を打ち切るようにセラが促すと、道の先に見覚えのある半透明の楕円が転がっているのが見えた。
「おった!」
ユウが駆けよってくることに反応してスライムがぷるぷると震える。
「おっしゃばっちこいっ」
中腰に構えて万全の態勢のユウにスライムが例のごとく体当たりをかます。以前は吹き飛ばされたユウだが、分かって身構えていれば受け止めることは容易だ。しっかりと身体全体で衝撃を受け止めて抱きかかえることに成功する。
「おーよしよしよしよし!」
そのまま魔力を込めた手の平で撫でくり回す。
「ユウ……」
呆れた様子のレイが声をかけるが、今度はそれで集中が途切れたりはしない。魔力を手の平から放出するという動作だけならユウはそれなりに熟達していた。
魔力の扱いに関しての師匠たるセラにとって教え子の成長は喜ばしいが、その成長の原動力がこれでは手放しには喜べない。
喜んでいるのはその胸に抱かれているスライムぐらいである。
「ユウ、そんな節操もなく魔力を使っちゃダメよ。貴女の魔力量は決して多くない。魔力が少なくなれば、身体に影響が出るのよ」
セラに注意されたから、というよりも純粋に餌やりが一段落したのか、ユウはスライムを優しく地面に戻した。
スライムは腹……どこが腹なのは甚だ疑問だが……が、満たされて満足したのか、最初よりも小刻みに震えつつも体当たりしてくる様子はない。
「ドヤァ……うちのマジカルナデナデもなかなか様になってきたやろ」
そう言って、ない胸を張る黒髪の勇者。
「マジカルナデナデ……」
どうやら餌やりのことをそう命名したらしいと理解した騎士はなんとも形容しがたい表情を浮かべてその奇天烈な単語を反芻する。
魔法師の方も似たり寄ったりな表情だったが、少しだけ関心した様子で呟いた。
「……一連の動作に名前を付けるというのは悪くないわ。名前をつけて意識することで、魔力を動かす、放出するという動作を頭の中で一つの動作にまとめてしまうの。そうすることでいちいち手順を意識しなくてもスムーズにその動作を行えるようになる。言ってしまえば普通の魔法も同じ理屈を使ってるしね」
一つ一つ手順を意識して行えばおのずと時間がかかる。だが毎回決まって同じ動作を行うのならそれをまとめて一動作として認識しまうことで速度の向上を計る。誰しも歩く時には右脚を上げる、重心を前に動かす、右脚を降ろす、左脚をあげる、などと順番に意識はせずに歩くという一動作にそれらをまとめて考えているはずだ。つまりはそういうこと。意識的な問題ではあるが、武術などにも通じる話であるし、とりわけ精神が強い影響力を持つ魔法技術ではその効果は大きい。
「満足したかしら、それじゃあ……」
と、スライムに向けて伸ばされた繊手を慌ててユウが掴んだ。
「ちょ!ちょちょちょ!なにすんの!」
「何って、焼却するんだけど」
当然と言わんばかりの無表情で恐ろしいことを言う魔法師をユウが青ざめた表情で制止する。
「なんでや!もうこの子は人に体当たりせぇへんって!害がなくなったんやから焼却することはないやろ!」
「あのなぁ、ユウ……」
見かねたレイがユウを説得にかかる。
「確かに今は満足してるみたいだが、時間が経った後もそうとはかぎらんだろ」
スライムは今自分が焼却されようとしているなど露ほども思っていないのだろう、満腹になって心地よいのか弛緩して地面にでろんと広がっている。
まだ餌やりを行ったスライムは二匹目なので十分な実地が得られたわけではないが、どうやらスライムは魔力を十分に与えられると人間に体当たりしなくなるらしい。魔力を餌としていて人間の魔力に寄ってきているだけということなら、文字通り満腹になって人を狙う必要がなくなるのだろう。であるならば、逆に言えば満腹でなくなればまた人間に体当たりしてくるだろうとも容易に推測できようというものだ。
「それは……そうやけどまだ分からんやんか!時間経ってへんねんし!もしかしたらこれでずっと人間に体当たりはせんとこってなるかもしれんやろ!」
確かにユウの言うことも可能性がないわけではないが、どちらの方が可能性が高いかは明白だろう。
それでもユウはスライムを焼却することには絶対反対らしく、くつろぐスライムの前に立ちはだかり、両手を広げて断固として退かない構えだ。
「子供か……」
レイが呆れて頭を抱える。十四歳を子供と呼ぶかどうかはこの世界では微妙なところだ。
これからどうやって説得するかを考え始めたレイだったが、意外にもセラがあっけなくその手を降ろしたので驚いてその無表情を伺った。
「そう……ならどうするの?水路はこの村の生命線よ。このまま補修工事ができずに放置して決壊すれば村の農業は成り立たなくなるわ。もっとも、私がやらなくても、いずれは駆除のための魔法師が雇われるでしょうけど」
セラの正論にユウは必死に考えを巡らせた。
そして至った結論はあまりにも無謀なものだった。
「……やったら、それまでにうちがここら辺のスライム全部手懐けたる……そんでどっか別んとこに連れてけば問題ないやろ」
あまりにも無茶な発言に騎士は絶句して反論さえできなかった。
しかし魔法師はその答えが分かっていたかのように一つ頷いた。
「じゃあ、やれるだけやってみなさい。ただし今日一日だけよ。もともとこの村に長居するつもりはなかったんだもの」
「セッちゃん……!」
セラの思いのほか肯定的な意見にユウは喜び、そして決意を持って頷き返した。
「よし……ほんなら時間がない、早く湖まで行くで!」
頬を叩いて気合いを入れ、勇ましく歩を進めた勇者の後を魔法師が無表情で付いていく。
「おい、セラ!」
慌ててレイも追い縋り、その横顔に怪訝な視線を送った。
「お前……あんなこと言って。できるわけないだろう。二、三匹じゃないんだぞ」
セラは前を行くユウの背を見つめている。その瞳が少し眩しそうに細められた。
「この話を聞いたときから、こうなることは分かってたわ」
「だったら――」
物憂げな瞳が唐突に自分の方へ向けられたので、レイは言葉に詰まった。その深い水底にどんな真意が潜んでいるのか計りかねる。
「私は旅の目的をちゃんと為そうとしているだけよ。ユウに知ってもらうんでしょう?護るべきこの世界の人々について、そして……戦うべき相手について」
戦うべき相手。人間の敵は魔族だけではない。魔物もその中に含まれる。
「最初の出会いが平和過ぎたのよ。このままじゃユウは魔物を怖いものだと認識できなくなる。それはとても……危険なこと。だからなるべく早く知ってもらわないと。この世界には相容れない存在がいるってことをね……」
その言葉は風に流れて前を行くユウには届いていない。
歩くたびにさらさらと流れる黒髪を持つ少女は、かつてセラを優しいと評した。その言葉を思い出して、魔法師はかぶりを振る。
「私、けっこう意地悪よ。だって、これから貴女が辛い思いをすると分かっていて止めないんだもの」
その言葉もユウには届かない。
風に流れた呟きはそのまま脇に流れる用水路の水のせせらぎに飲まれて消えた。




