Bison8
『ダッシュ、そろそろ残り8kmだ。準備はいいかい?』
「ずっと前から出来てる。アイツが死んだときからな」
ダッシュがセカンドニトロを発動させるボタンに手をかけた。
「バンク、いくぞ!」
『ああ、今の君なら、ジルマッハを超えられるはずだ!』
――ジュババッ!!
ニトロ加速の爆発音が響き渡り、バイソン8号が空を切り裂く。
一瞬にしてメアリーオクトパス号を、後方はるか彼方へと置き去りにした。
「ううッ!」
あまりの速さにダッシュが声を上げる。
『ダッシュ大丈夫か!?』
「一回目よりもかなり速くなってないか!?」
『当たり前だよ。一回目のニトロで、燃焼率がかなり上がってるんだ。二回目ともなると、ものすごい速さで燃料を消費することになるよ。そういう意味で危険だって言ってたんだよ』
「なんか、原理を聞くと、急に怖くなってきた」
『使うって決めたのは君だからね?』
「分かってるよ!」
バイソン8号はどんどん加速し、ダッシュの身体が運転席のシートに沈んでいく。
そして、
――ガタンッ!
嫌な音が聞こえてきた。
ダッシュが何度も聞いたことがある音だ。
『ちょっと! 部品が飛んできたわよ! 避ける方の身にもなってよね!』
ハンドルをせわしなく動かしながら、メイが怒鳴った。
「走りながら軽量化してるんだよ! 賢いマシンだぜ!」
ダッシュはいつもの調子だが、バンクは気が気でない様子だった。
『ダッシュ! 走行中止だ!』
「今止まるわけにはいかねえ! バイソン超えられるのは、バイソンだけなんだよ!」
バイソンは加速をやめない。
そしてスピードに耐えられなくなったパーツが次々と脱落していく。
エミリーオクトパス号は前方から飛んでくるパーツを避けるのに必死だ。
悲鳴を上げるバイソン8号を尻目に、ダッシュはタバコを口に咥え、火をつけた。
「ふう~」
吐き出した煙がダッシュの視界を覆う。
カナロアストレートのゴール地点には、大勢の観客が集まっていた。
そしてバイソン8号がはるか彼方から姿を現すと、人々の歓声が荒野に響き渡る。
人々は新たな伝説の誕生を待ちわびた。
ゴールまで約4km。
限界ともいえる状態で、バイソン8号は走り続ける。
外装が剥がれたせいで、想定されない空気抵抗を受け、フロントフレームがミシミシと音を立てて曲がり始めた。
そしてフレームの曲がりに堪えられなくなったフロントガラスが粉々に割れて、ダッシュの身体に降りかかる。
ガラスの破片は、ダッシュの顔や、露出した腕を、容赦なく切りつけた。
ガラスの割れた音や、車内に吹き付ける風の音が、無線越しにエミリーオクトパス号にも伝わる。
『ダッシュ! 何があったんだ!』
「フロントガラスが割れただけだ!」
『今すぐにマシンを止めろ!』
「問題ない! あるとすれば、タバコがすぐに燃えちまうことくらいだ!」
『タバコ!? 車内は禁煙だって何度も――』
ダッシュはバンクの小言を聞き終える前に、無線機をマシンの外に放り投げた。
「だからそれは、耳にタコができるほど聞いたって言ったろ……」
ガラスで切った傷口はすぐに乾き、出血も止まった。
風を受けた眼球は真っ赤に充血し、涙があふれ出ている。
そんな状況でも、ダッシュはアクセルを緩めない。
口に咥えた消えかけのタバコを、強く噛んだ。
「ジルマッハ……俺は最後までアンタのことが理解できなかったけど、今は何となくわかる気がする。最速ってのは、やめられねえよな!」
ゴールまで1km。
部品は飛び続け、バイソン8号はいつ止まってもおかしくない。
眼球は乾ききり、ダッシュはほとんど前が見えていない。
ゴールまで数100m。
ゴール地点には多くの観客と、ストップウォッチを持った計測員が待機している。
バイソン8号も、ダッシュも、もう限界だ。
それでも、人類最速への夢を乗せて、走り続ける。
ゴールまであと数秒。
ここでついに、バイソン8号のエンジンから異常な音が聞こえてきた。
バイソン6号から聞こえてきた音にも似た音だ。
「たのむ! もってくれ! 俺たちのバイソン!」
計測員がストップウォッチを強く握り、身構える。
「うおぉおぉぉぉ!!」
ダッシュの雄たけびとともに、バイソン8号はゴールラインを割ろうとしている。
しかし、
その瞬間、
――バーンッ!
爆発音とともに、バイソン8号の後輪が宙に浮いた。
そしてその爆発の推進力を受けたまま、バイソン8号がゴールラインを割った。
バイソン8号は宙に舞い、回転しながら何度もアスファルトの地面に打ち付けられる。
ついには100m以上飛ばされた後、タイヤを地面につけて止まった。
辺りは騒然として、誰もが言葉を失った。
10秒ほど遅れてエミリーオクトパス号が到着した。
バンクとメイはマシンから飛び降り、すぐにダッシュのもとに駆け寄った。
「ダッシュ!」
バンクの呼びかけに返答はない。
皆の脳裏に、ジルマッハの悲劇がよぎったその瞬間、
バイソン8号のガラスの割れたフロント部分から手が伸びてきた。
その伸ばした手でマシンのフレームをつかみ、ダッシュが這い出てくる。
そしてボンネットの上で前転して、地面に背中を打ち付けた。
大の字になって地面に寝転がるダッシュは、胸ポケットからタバコの箱を取り出し、タバコを1本抜き取り、口に咥えた。
そこにメイが駆け寄り、ダッシュのタバコに火をつけた。
ダッシュは肺一杯に煙を吸い込むと、豪快に吐き出し、小さく笑った。
「どうだ。ビビったろ?」
人々はダッシュの無事と、掲示板に張り出されたタイムを確認すると、大歓声を上げた。
この瞬間Bison8は、人類最速となった。
――1997年10月15日 アメリカ合衆国ネバダ州
イギリスで設計・制作された速度記録専用自動車、スラストSSC(Super Sonic Car)が、時速1227.985kmの自動車の速度記録を打ち立てた。
この記録は2019年現在、いまだに破られていない記録であり、人類はこの時初めて、自動車で音速を超えた。
そしてこの記録を超えるための計画が、今現在進行中である。
人類の最速への夢は、終わらない。




