命知らずのジルマッハ
ダッシュはカナロア州の中心都市、ロードの外れにあるスラム出身である。
親も知らない、助けてくれる人もいない、お金もなければ、今日食べるものもない。
そんな掃き溜めの中で一人、たくましく生きてきたのだ。
幼き頃のダッシュの日課は、町に出かけて、財布を掏ることだった。
こうでもしないと生きてはいけなかった。
ある日の昼下がり、ダッシュは町で掏った財布を片手に、目立たない路地の中を進んでいた。
この日手に入れた財布の中には、運よく大量の現金が入っていたので、ズボンのポケットに詰め込めるだけタバコを買い、急いでスラムに向かって走った。
その時、ダッシュの進路をふさぐように、太った警官が立ちはだかった。
幼い子供にとって、その警官はまさしく壁のように見えた。
すぐに路地を引き返そうとしたが、後ろにも体格のいい警官が。
ダッシュは警官二人に警棒でタコ殴りにされ、地面にぼろ雑巾のように捨てられた。
財布も取られ、ポケットに入っていたタバコまで取られてしまった。
そして太った警官は立ち去り際に、
「ふっ」
とダッシュのことを嘲笑い、タバコをひと箱、ダッシュの前に叩きつけた。
ダッシュはあざだらけの身体を引きずって、途方もなく歩き続けた。
スラムに戻ると、自分の惨めさに嫌気がさすので、この日は何となく帰りたくなかったのだ。
――バーンッブーッ!
どこからともなく、爆発音のようなエンジン音が聞こえてきた。
ダッシュは音の聞こえてくる方向に走った。
しばらく走ると、白いアスファルトで覆われただだっ広い場所に出た。
そのアスファルトの上を駆ける、一台のマシン。
ダッシュはすぐに心を奪われた。
何より鉄の塊があんなにも速く走ることに驚いた。
ダッシュはこの日以来毎日、町でのスリも早々に切り上げて、マシンを見に行った。
触れられるわけでもない、もちろん乗れるはずもないマシンを眺めているだけで、ダッシュは何となく幸せだった。
そんなある日、いつも通り走っていたマシンに異変が起こった。
聞いたことのない音が、マシンから漏れ出していた。
そしてマシンは制御を失い、横転した。
マシンはアスファルトの地面にぶつかりながら何度も回転し、何十回か回ったころに、とうとうタイヤを空に向けて静止した。
ダッシュは心配になってマシンに駆け寄った。
ドライバーの心配ではなく、もうマシンが走る姿を見れないのではないか、という心配である。
ダッシュが何をするでもなく、ひっくり返ったマシンを眺めていると、ガラスの割れたフロント部分から人が這い出てきた。
「クッソ~やっちまった……」
這い出してきた男は、しばらく地面で大の字になり天を仰いだ後、ダッシュの存在に気付いた。
「ん!? なんだお前!?」
ダッシュは何と返せばいいのかわからず、辺りをきょろきょろ見回した。
「あっ! わかった! さてはお前、俺のファンだな!?」
「ふぁ、ふぁん?」
「そうかそうか、俺のファンの君には悪いけど、史上最速のマシン、バイソンはぶっ壊れちまった。ごめんな!」
ダッシュは悲しそうにうつむいた。
この男のファンではないが、このマシンのファンであったことには変わりないのだ。
「そんなに悲しむなって。バイソンの走りはもう見れないけど、バイソン二号の走りなら、そのうち見れるからよ」
ダッシュの顔がパッと明るくなる。
「わかりやすい奴だなぁ。にしても困った……また一から直すとなると時間がかかるな……そうだ! お前手伝ってくれないか!? 一人でやるには少々骨が折れる。どうだ?」
ダッシュは戸惑った。
しかし断る理由はなかった。
ダッシュは静かに首を縦に振った。
「決まりだ! 俺はジルマッハ。よろしくな」
「ダ……ダッシュ……」
「ダッシュ! 変な名前だな!」
そう言うとジルマッハは、ダッシュに腕を差し出した。
ダッシュは小さな手を震わせながら、ジルマッハの手を握った。
これが『命知らずのジルマッハ』と、ダッシュの出会いである。




