第5話:埴安姫
雨はどんどん強さを増して、視界はほとんどゼロになってしまった。
(まずいな……)
鼠女のことを心配する前に、こちらのほうが心配になってきた。
冬の冷たい雨はどんどん体力を奪っていく。
繋いだままの朔夜の手も、冷え切っていた。
すると前方に、黒い大きな影が見えた。
「?」
よく見ると、それは洞窟だった。
「朔夜、洞窟がある。一旦あそこに入らないか?」
俺がそう提案すると
「……うん……」
とりあえず、元気のない返事が返ってきた。
ようやく雨のつぶてから解放される。
洞窟はかなり奥がありそうで、少し不気味な雰囲気をかもし出していたが、今は屋根があるだけありがたかった。
一方朔夜はまだ心配そうに空を眺めていた。
早く止むように願っているのだろう。
「……これだけひどい雨だ。多分オカマ男がなんとかしてくれてるって」
俺はなんとなしの自信を持って朔夜を励まそうとした。なんていうか、あの男、やるときはやるんじゃないだろうか。
「……うん。……そうだね」
朔夜もそう言って、少しばかり緊張を解いた。
それから、俺達は別々に座り込んで、しばらく雨が収まるのを待っていた。
洞窟はどこかに抜けているのか、風が吹き込んできて、決して温いとは言えなかった。
「……英輔、もうちょっと寄っていいよ。寒いし」
朔夜がそう言うので、俺は少しだけ彼女に近づいた。
「それじゃ意味ないよ。もうちょっと」
彼女が更にそう言うので、俺はしぶしぶ、彼女と背中合わせに座り込むことになった。
少しだけ触れる背中が、なんとなくむずかゆい。
「……雨、止まないね」
彼女はぽつりとそう呟く。
「……緋衣、大丈夫かなあ……」
「……そんなに心配か?」
俺がそう尋ねると、
「……ちょっとだけ。なんかね、あの2人、なんとなく怖いの」
朔夜はそんなことを言った。
「は?」
どういう意味かよく分からずに、俺が間抜けな声を出すと
「緋衣と火砕、最初に逢ったとき、どっちも死にそうな顔してたからさ」
なんて、彼女は言った。
「はあ?」
俺は信じられない、といった声を上げる。
「……信じてないな、英輔。まあ、いいけど」
朔夜は少しだけ拗ねたようだった。
「いや、別に……。ちょっと、想像できないっていうか……」
あの2人は常にギャンギャン喚いている印象しか俺にはない。
しかしそういえば。
(あのオカマ男、素じゃ確かにどこか寂しそうな顔してたかな……)
と思い直す。
「あいつらとはいつ逢ったんだ?」
俺が興味本位に尋ねると
「緋衣とは小学校のときかな。火砕は中学のとき。緋衣とは最初、友達ってだけだったんだけど、ちょっと色々あって刀の中に入ってもらったの。火砕は半分拉致的な感じだったかも」
と、なにやら物騒そうな事情を聞いてしまった。
「ふ、ふーん……」
「あ、でもね、いつかはあの2人には外に出てもらおうと思ってるんだよ。ずっと刀の中じゃ申し訳ないしね」
と、朔夜は弁明した。
「……あの、焔って子は?」
今ここでも姿を見せないあの少年は、彼女にとってどんな位置づけなのだろう。
「焔はもともと私の家の守護精霊だから、私からは離れないよ。多分」
それは、『多分』と付け加えた割りにかなり確信を込めた響きだった。
「へえ……」
なんていうか、少しだけ、羨ましいと俺は思ってしまった。
いつまでも、離れることなく一緒にいられる関係というのは、なんていうか、憧れる。
俺だって、ほんとは……
(……って何考えてんだ俺)
俺が1人赤くなって黙り込んでいると、朔夜がにわかに小さくくしゃみをした。
「……大丈夫か? 寒い……よな」
俺がそう尋ねると
「うん。英輔こそ人肌で暖めようとか変なこと言い出さないでね、見損なうから」
(な)
「んなこと言わねえよ!! 少女漫画の見すぎだお前は!!」
俺が叫ぶと朔夜はくすくすと笑った。
背中に程よい振動を感じる。
(あ、ちょっと温いかも)
なんて思っていると、なんだか揺れが激しくなってきた。
(?)
ぐらぐらと。
既に体全体が激しく揺れているような……
「って!! 地震か!?」
洞窟の中で地震はまずい。
そう思って俺が立ち上がるのと、朔夜が立ち上がるのはほぼ同時だった。
しかし
「英輔、後ろに下がれ」
急に口調を変えた彼女は上着のポケットからそつなくグローブを取り出して素早く手にはめ、持っていた刀を抜いた。
「は?」
わけもわからず問うと
「奥から何か来る」
彼女はそう言って洞窟の奥の、暗闇を睨んだ。
すると、闇の中で何かが蠢くのが見えた。
「……!!」
見えたのは、金色に光る双眸。
それは一気にこちらに迫ってきた。
俺は半分朔夜に突き飛ばされて、洞窟の外に転がり出た。
朔夜はというと、華麗に避けて着地していた。
その視線の先には、白い、大蛇がいた。
大蛇と言っても明らかに天然ものではない大きさだ。頭の大きさが象1頭の全長と同じくらいなのだから。
不気味に赤く、長い舌をしゅるりと出して、それは舌なめずりをするように俺達を見た。
「……霊山に住む妖か。どうやら腹が減ってるらしいな」
朔夜はひるまずにそう言った。
俺はどっちかって言うと蛇が苦手だ。出来ればあまり凝視したくないのだが、
「あ……」
大蛇の首の辺りに、何かが刺さっているのが目に入った。
剣だ。濃い緑色の剣。
「朔夜、あれ!!」
俺が指摘すると、朔夜もそれを認めたようだった。
「土の神の剣に間違いないな」
そうこうしていると大蛇は朔夜に向かってまたその首を伸ばした。
剣を抜くチャンスといえばチャンスだ。
思ったとおり、朔夜は火光で蛇の牙を受け止めつつ、首の辺りに刺さっているその剣に手を伸ばした。
が。
「!?」
一瞬静電気のような小さな光が走ったかと思うと、朔夜の手は剣から弾かれていた。
同時に牙を支えていた火光が外れて、蛇の顎が朔夜を飲み込む。
「朔夜っ!!」
俺が叫ぶのと、何かが爆発するような音がしたのは同時だった。
一瞬、何が起こったのか俺には分からなかった。
蛇は鼻と口から煙を上げている。その金の眼は既に生気を失っていた。
あんぐりと開いたその巨大な口から出てきたのは、朔夜と、白い衣服を纏った少年だった。
……なんというか、あの小さな少年が朔夜を難なく抱えている光景が、どこか不自然といえば不自然だった。
が、2人が不釣合いには見えないのが不思議といえば不思議だ。
「ありがとう、焔。助かったよ」
朔夜が彼にそう礼を言うと、彼はそっと彼女を地に下ろしつつ、
「これぐらいお安い御用だ」
と、柔和に笑みを浮かべた。
そんな輝かしい光景を眺めて
(……俺、形無し……)
と、妙に落ち込みつつ、俺はとぼとぼと2人の前に歩み寄る。
「これ、抜こうとしたら弾かれたんだけど」
と、朔夜が蛇の首に刺さったままの剣を睨みながら言う。
「……これは、相当な代物だな。特殊に封印されているらしい。もしかすると同じ属性を持つものにしか抜けないのかもしれない」
と、少年は言った。
「えー? 土の属性なんか持ってる人なんて……」
と朔夜が言いかけて、はたりと、俺のほうを見た。
「いるじゃん。英輔なら抜けるんじゃない?」
と、『棚ぼたラッキー』的なノリで顔を輝かせた。
「ふむ、確かに彼なら抜けるかもしれないな。剣の属性を読み取ればいい」
と、少年も言う。
なんだか妙なプレッシャーを感じてきた。
これで抜けなかったら、どうしようもなく落ち込みそうだ。
(……くそ、仕方ないなあ……)
俺は深呼吸してから、そっと、深緑の剣に手をかけた。
柄を握った途端、鼓動が速くなる。
それに合わせて剣から力が流れ込んでくる感じだ。
(……く)
正直、かなり苦しい。息が詰まりそうだ。
恐らく剣の力が半端ないのだろう。俺ごときの器じゃ受け止めきれないのかもしれない。
が、しかし。
(……ここで引き下がれるかよ)
せめてこれくらい役に立たないと、気がすまない。
さっきの2人の光景が脳裏をよぎる。
……我ながら馬鹿らしい理由だとも思う。
けど、俺だって。
俺だって、彼女の力になりたいんだ……!
「抜けろ!!」
精一杯力を込めて引っ張り上げると、それはすらりと刀身を表した。
碧に光る、平らな刀身。どれほど長い間眠っていたのかは知らないが、まるで鏡のような美しさだった。
「抜けた!!」
朔夜の歓喜する声が聞こえる。それで俺もほっと一息ついていると、次の瞬間、剣から光があふれ出した。
「な、なんだ!?」
あまりの眩しさに目を閉じる。
すると、俺の頬に、誰かの手が触れるような錯覚を覚えた。それは、とても軽くて、薄い感触だった。
そして次の瞬間には。
「――――?」
唇に、そよ風か何かが当たったかのような衝撃が走る。
そよ風のように軽いのに、なぜか衝撃を感じたのは、目の前に見知らぬ少女の顔があったからだろう。
「――な!?」
傍らから驚きや呆気が混ざったような朔夜の声が聞こえる。
そんな声を無視して、その少女は顔を離して俺に会釈した。
「封印を解いてくれて助かったぞ、若人。妾はその剣に宿る精霊、埴安姫と申す」
やけに古臭い言葉で喋るその少女は、長い黒髪をなびかせて、宙に浮いていた。身体もうっすらと透けている。実体を持つ妖とはまた別のものなのだろう。
……というより。
(え、ちょっと待て、俺、さっき、こいつに、キ……)
俺が動転していると
「ちょっと待て!! はに……なんとか、なんでいきなり英輔にキスしてんだよ!!」
と、口調まで荒げた朔夜が俺の気持ちを代弁してくれた。
「ん? 先ほどの接吻は封印を解いてくれたことへのお礼の気持ちじゃ。いつの世も女子に接吻されて喜ばぬ男子などおらぬじゃろ?」
と、そいつはすごいことをさらりと言ってのけた。
「んなーー!? え、英輔、何か言ってやれよ!!」
朔夜はぴりぴりと俺に振ってくる。
「え、いや、あの……」
俺はまだ動転していてそれどころじゃない。
すると
「お主、よく見ると可愛い顔をしておるの。英輔と言ったか。今夜は妾と共に寝てくれな? ずっと封印されっぱなしで随分と力が弱ってしまっての」
と、碧の瞳をあだっぽく潤ませて、そいつは俺に擦り寄ってきた。
「な、なな!?」
俺が更に動揺していると
「馬鹿英輔!! なにたじろいでんの!!」
朔夜が癇癪を起こしてそいつを引き剥がそうとした。
「これ、何をする娘!! 妾はこやつが気に入ったのじゃ、引き離そうとしても無駄じゃぞ!!」
「うるさい埴輪!! いいから離れろーー!!」
「埴輪じゃない!! 埴安姫じゃっ!!」
「どっちでもいいし!! とにかく! 今日は英輔は私と寝るの!!」
どさくさ紛れに朔夜はとんでもないことを口にした。
「ちょ、ちょと待て朔夜!! そんなこと聞いてな……」
「うるさーい!! 英輔も鼻の下伸ばしてんじゃないよ、このむっつりスケベ!!」
……だから。
「俺はむっつりじゃないって言ってるだろーーーー!!」
俺の叫びはこだまとなって、山に響いた。
気がつけば、雨はすっかりやんでいて、霧もさっぱり晴れていた。




