5話 激熱
「君島くん、まだ燃えてないテントから毛布を集めてきて!」
「そういうことか……!」
なんとなく文川さんの意図が分かってきた。
彼女のガチャ武器、湧水の杖は水道くらいの勢いで澄んだ水をジョロジョロと出せる武器、というより便利アイテムだ。
街から街へと数日かけて移動する際、大量の水を持ち運ぶのは大変なので野営地で空の樽に水をなみなみと注いでおいてくれてる彼女の姿を見かけた事はある。
俺と文川さんは集めてきた毛布を何枚か地面に積み重ねた。
そして彼女が湧水の杖を向けると、杖の先端からトロトロトロッ……とゆっくり水が流れ出し、毛布をパチャパチャ湿らせていく。
「一応、確認するけど……この濡れた毛布をかぶって炎を突っ切って向こう側に脱出するっていう作戦で合ってる?」
「うん。無謀かな?」
俺は改めて炎の勢いを見た。
木々が密集している場所はそれはそれはエラい燃え具合になっているが、比較的、木がまばらなポイントを選んで進めばなんとかなる……のか?
「君島くんが時間稼ぎで森に火をつけた、って風間くんがみんなに話してるのを聞いてなんとなく考えてはいたんだ。魔獣たちが火を避けて回りこんできたら、逆に火の向こう側はノーマークになるんじゃないかって」
風間の野郎……。
まるで俺自ら時間稼ぎ役を買って出たような言い方しやがって!
お前が無理やり脅したんだろうが!
「それにしても……クラスの男子って正直言ってヘタレばかりだと思ってたから、君島くんって勇気あるんだなーって私ちょっと感心しちゃったよ」
文川さんが俺の方を見て微笑んだ。
風間さん。
俺自ら時間稼ぎ役を買って出たような言い方をしてくれてどうもありがとうございました。
ま、それはそれとして。
彼女の作戦は筋道が通っているように思えた。
そりゃあ相手が戦国武将なら炎の向こう側で俺たちを待ち構えるくらいするかもだが、ウェアウルフの知能レベルはあくまでもケダモノ並だと冒険者ギルドで聞いた覚えがある。
ヤツら全員、俺たちというエサめがけてまっしぐらに爆走してもはや遥か遠くに移動しているだろう。
さらに火を嫌う獣が、この炎の近くで待機しているとも思えない。
と、なれば火さえ突っ切ってしまえば、そこはわりと安全地帯なのではなかろうか。
「うん、悪くない考えだと思うよ。俺も」
「でしょ? よかった」
自信ありげな文川さんだったが、実際に同意を得られてホッとした表情を見せた。
「ただ、あの……意外と時間かかるんだな~って」
「う、うん……私もちょっと思ってた」
厚手の毛布に水がグチョグチョに染み込むには結構、時間がかかりそうだ。
しかもあの業火の中を突っ切ろうというんだから、あとさらに何枚か水浸しにしたいとこだけど思ったより湧水の杖の勢いが弱い。
よし。
眺めてるだけなのも時間がもったいないので残ってる荷物からみんなの着替えもかき集めよう。
「残ってた旅人の服を何枚か重ね着しておくか」
国から支給された旅人の服は厚手の生地で織り込まれていて普通の服より分厚く頑丈だ。
高校の制服に比べるとゴワゴワして着心地が悪いのでほとんどの人間は着ずに持ち歩いていたのだが。
これを着こんで水をかぶればさらに防火効果は上がりそうだ。
文川さんが毛布に水を垂らしている間に俺は動きが鈍らない程度に重ね着して顔にも可能な限り布を巻き、肌の露出面積を減らしていく。
あとは手袋を装備すればフルアーマー君島の完成だが、それは作業が全部終わってから装備しよう。
「それじゃあ交代しようか。俺が水を出すから文川さんも着込んで、ってワケにはいかないな……」
ガチャ武器を扱えるのは実際にガチャ武器を引き当てた本人だけだ。
つまり俺に湧水の杖は使えないし、例えば風間くんから最強SSR武器を殺してでも奪い取ったところで誰にも扱えない。
「いったんストップして文川さんも厚着したら?」
「……でも火の勢い、ますます強くなるから急がないと……」
ようやく1枚の毛布がグショグショになってきたが、上半身に1枚、下半身に巻き付ける用にもう1枚、それを2人分だからあと3枚はグッチョグチョにしたい。
「だけどそのスカートだけじゃ濡れ毛布かぶっても脚、火傷しそうじゃない?」
そう言われて彼女も気になったのか脚を少し上げてみたりする。
文川さんも今は学校指定のスカートを履いているだけなので脚はわりとキレイで細目だ。
じゃなくて火に対してはほとんど無防備だ。
俺は自分で自分が少し恐ろしくなった。
「うーん、仕方ないか……。じゃあ君島くん。私に下、履かせてくれる?」
「ああ、分かった」
その瞬間、俺の理性はひそかに、静かに、しかし確実に爆裂した。
文川さんの気が変わらないうちに俺は冒険者用の厚手のボトムスを持って彼女の足元にスライディングして、素早く靴をつかんで脱がせようとする。
「ちょ、ちょっと待って!?」
ゴッ!!
と、彼女の膝蹴りが軽く俺の顔面に炸裂した。
目がチカチカする。
「お、俺、なにか間違ったことしたかな……?」
「い、いや、してないけど!! 私が頼んだんだけど!? なんで女子の下半身を着替えさせるのに一切のためらいがないのかな!? というか蹴っちゃってごめんね!?」
文川さんが顔を真っ赤にしながら理不尽な事を言った。
そして冷やしてくれようとしてるのか俺が蹴られた部位に水をチョロチョロかけてくる。
ヒンヤリして気持ちいいな。
「ごめん……本当は君島くんをからかって慌てさせようと思って私……」
「まぁ気にするなよ。俺には分からないが乙女心って色々と複雑なんだろ? ネットに全て書いてあったぞ」
「そ、そっかぁ。やっぱりインターネットってすごいなぁ」
「まぁな。さ、本当に時間がないから脚を上げて。いったん靴を脱がせるから」
「う、うん……」
人の顔面を蹴った罪悪感で冷静さを欠如した文川さんは俺に言われるがままに脚を上げた。
そして、俺は恥じらう彼女にボトムズを履かせることにまんまと成功した。
今日は人生最良の日かも知れない。
などと素敵なやりとりをしつつも、俺は彼女の身体に可能な限り、布をくくりつけていく。
杖を持ったままではうまく着替えさせられないので、とにかく身体を布で覆っていく作戦だ。
そして毛布も十分に水を吸ったので、1枚は腰に巻き付け、もう1枚は頭からかぶる。
「じゃあ最後に水を頭からかけて服に水を染み込ませよう。そうしたら……出発だ」
「……うん」
文川さんは杖を自分の頭の上にかざしながら揺らしてシャワーみたいに水をふりまく。
と言っても水の勢いの弱さは相変わらずなのでこれも時間がかかりそうだが。
たっぷり水を吸ったずぶ濡れの毛布を2枚、身に纏っただけでズッシリと重いし体も冷えてくる。
しかし、それでも。
ゴォオオオオォォォォッ……バチバチ……。
目の前に拡がる地獄のような炎の海を目の当たりにすると、本当にこんな準備で大丈夫なのかと不安になる。
やっぱり……無理にここを突破しないでも、俺たちもあの魔獣たちのように迂回して安全に向こう側に行く、ってワケにはいかないんだろうか。
「き、君島くん!」
炎に気をとられていた俺は、文川さんの緊迫した声にすぐ振り返る。
ザフッザフッザフッザフザフザフザフザフッ!!
茂みを蹴散らし、大地を蹴り砕き、森の奥から凄まじい勢いで駆け抜けてくる巨大なウェアウルフが見えた。
その紅く輝く眼は確実に俺たちを捉えている。
距離は100メートルほど、足場の悪さを考えればあと20秒ほどでここに辿り着くだろう。
文川さんの身体にくくりつけた布を見ると充分濡れているようだ。
「文川さん、行こう!」
ガシッと彼女の手首をつかんで炎の壁へ突入した。
「待って!! 君島くん、全然濡れてないよ!?」
突入した、と思ったら彼女にグイッと後ろに引き戻されて炎の前で踏みとどまる。
そのスキに魔獣はガンガン距離を詰めてくる。
ヤツの襲撃まであと15秒か。
「俺はいいから!!」
「良くないよ!! カッコつけないで!!」
うっ……。
彼女のこれまでにない真面目な表情に、俺は面食らい動きを止める。
彼女は俺の頭の上に杖をかざして水をかけてきた。
その杖を握る小さな手が震えて水が小刻みに散らばる。
あと10秒。
俺はせめて少しでも水がかかるように文川さんの身体を抱きよせて、ぴったり密着して二人で水を浴びまくる。
着込んだ旅人の服の一番下に着ている肌着まで、わずかだが水が浸透してきたのを感じた。
あと5秒。
「ハッハッハッハッ……」
あと4秒。
「ぐるるぉおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」
3秒!!
「行こう!!」
俺たちは踵を返し、一気に炎の中に飛び込んだ。
ゴォォオオオォオォォオオ……。
熱っ!?
一瞬、熱さを感じず意外といけるんじゃないかと思ったが、完全に覆いきれていない目の隙間や体の端々から灼熱の痛みが襲いかかる。
と言っても、一瞬たりとも止まるワケにはいかない、突っ走るしかない!!
「ギャウゥウウウォォオオオオオオオンッッ!!!?」
すぐ後ろで恐ろしい悲鳴が轟き、巨大な何かが暴れまわる音が鳴り響く。
チラリと振り返ると三メートル近くあるウェアウルフが火だるまになって転げ回っていた。
全身の毛が瞬時に燃え上がり、生きたまま肉が焼きただれる嫌な臭いが漂う。
鳴き叫びながらたまらず火の海から這いずり、野営地の方へ戻ろうとするがすぐに動きが止まり、魔獣はそのまま静かに炎に包まれていった。
その凄惨な光景に吐きそうになるがそんな場合ではない。
目の前は火、火、火、火。
見渡す限り火の海だ。
熱いのもキツいが、こうして大量の炎に囲まれているのを見ているだけでかなり精神的にクるものがある。
文川さんの方を見るとうつむき加減で、顔に巻いた布で表情は見えにくいがかなりツラそうだ。
早くこの炎から抜け出さないと、と思うが火の勢いの弱い場所を選んで歩くとそれはそれで遠回りになり気がはやる。
まだ炎に突っ込んで10秒ほどしか経っていないと頭では分かるが、服に染み込ませた水もすでに熱湯のように熱く感じ、冷静な判断力が失われていく。
目がかすれ、あとどれくらい進めば炎を突き抜けるのか分からなくなってきた。
と、文川さんが剥き出しの根につまずいてヨロめいた。
少し体勢を崩しただけに見えたが、そのまま地面に手と膝をベタリとつく。
体力が消耗しているのか意識が朦朧としているのか、そのままの姿勢で動こうとしない。
本日、何度目のやぶれかぶれだろう。
「ぅおおおぉおぉおおおぅぅおおおお!!」
俺は咆哮して文川さんの腕をつかみあげ、抱きかかえてお姫様だっこで炎の中を爆走した。
気が付いた文川さんは振り落とされないように弱々しくも俺にしがみつく。
と。
ふいに視界が真っ暗になる。
死んだ?
と、思ったが、見回すとそこは暗く涼やかな夜の森。
俺たちはついに炎の壁の向こう側へと突き抜けたのだった。