37話 全然前世とは関係ない話
急いで宿の2階に駆け上がり、商人が指し示してくれた部屋に文川さんと競うように入っていくと……
部屋の中でまず目に止まったのは血塗れでベッドに横たわるシュペットちゃんだった。
顔も髪も服も真っ赤で、枕やベッドシーツも血で染まっていた。
その周りにアトラスとサーヤさんが泣きながら床にヘタりこんでいる。
そして、その側に険しい表情で立っている小松くんがいた。
「うそ……シュ……ペッ……ちゃ……?」
名前を呼びかける途中で文川さんの眼から涙が溢れ、泣きながら彼女の側に寄ってすがりつくが反応が無い。
アトラスもサーヤさんも俺たちが来た事には気付いたようだが、喋ろうとすると嗚咽が漏れて喋れないようだ。
一体、シュペットちゃんの身に何があったのか。
彼女は無事なのか。
心臓がギュッと締め付けられるような苦しさを感じつつも比較的、落ち着いていそうな小松くんの方を見る。
「ああ……君島、文川さん。とりあえずシュペットさんの傷はポーションで塞がった。血塗れだが、まだ血を拭いていないだけでケガ自体は治っている」
「そ……」
そうか、よかった。……と言っていい状態なのか?
喋ろうとしたが、思わず言葉を飲み込んでしまった。
傷は塞がっても、大量に血を失っているならやはり安心ではないように思える。
異世界に来て多少の流血沙汰には慣れたつもりだったが、親しい仲間の大量出血姿を目の当たりにするとやはり動揺してしまうな……。
「それで……シュペットちゃん、今どういう状態なんだ? 医者に見せたりとかは……」
「いや、モンスターが来るとかって話で街は混乱状態、医者を探すどころじゃない。……アトラスくんたちもどうしていいか分からずケガをした彼女をおぶって宿に帰ってきたんだ。僕が治癒ポーションを買い込んだって話は前にしてたし、とりあえずは正しい判断だったと思う」
見るとベッド脇の机には液体の入った小瓶がいくつか置いてあった。
俺たちも安価で効果の薄いポーションなら常備しているが、これだけの出血をする規模のケガを治すような高級ポーションは金貨10枚くらいはしただろう。
「そうか……。助かったよ小松くん」
「当然のことだよ。ただ、ここには医療に詳しい人物がいないから、これで安心なのか分からない……。呼吸も脈もあるが弱々しいし意識も戻らないんだ」
むむ……。
なんとも不安だな。
どうにか医者に診せられないかと思って、窓の外を見ると街の民で通りはごった返している。
情報を集めようと奔走する者や、荷物を持って街から脱出しようとする者とか……みんな必死の形相だ。
これらをかき分けて医者を探して連れてくる、っていうのは難しい……というより医者自体が街を脱出しようと移動してるかも知れないし……というか俺たちも脱出しないとヤバいんだよな。
しかし、今の状態のシュペットちゃんをむやみに動かして移動させていいものかどうかの判断もつかない。
あああああん、頭ん中がゴチャゴチャしちゃうぜっ!
「……よし、俺はとりあえずお湯を汲んでくる。それで彼女の血を拭いてあげよう。そのままじゃ可哀想だしな。それをしながら今後のことを考えるってことで」
「あ……わ、私もいく……」
涙をごしごし拭いた文川さんが立ち上がった。
「文川さんはシュペットちゃんの替えの服を用意してあげてくれるかな? あと、宿の人に頼んで替えのシーツもほしいかも」
「わ、かった……」
考えるべき事がたくさんある場合は簡単なものから潰していくのが俺のスタイルだ。
それにお湯を沸かしつつ、ちょこっと一人で落ち着いて考えたいってとこもあるし。
というワケで俺は早速、宿の調理場に移動して火を起こしにかかった。
いつもは火打ち石で藁を燃やして薪を……という手順だが宿の人も見てないのでファイアバゼラードでボォッと豪快にヤカンを火炙りにする。
一番てっとり早いやり方だが、宿の中では攻撃魔法とそれに準ずる行為は禁止されているので本当はアウトな行動なんですけどね。
まぁ非常事態だし見逃してくれ!
「ほう、それは……火のアーティファクトかな」
「ひわっ!?」
ルール違反が早速、宿の人にバレた!?
と、思ったらさっきの商人の人だった。
「あ、す、すみません……。ちょっと焦ってたもんで、これ……」
とファイアバゼラードの火を消す。
「いやいや、構わないよ。続けたらいい。宿の主人も出てったっきり戻ってきてないし……あのコもいつまでも血塗れってワケにはいかないだろう」
商人さんはニッと笑ってその辺にあるタオルを何枚か集めてくれている。
体拭きの準備を手伝ってくれてるようだ。
「ありがとうございま……あ! でも早く逃げる準備をした方がいいかもです。2000体のモンスターがこの街に向かってきてるって言ってましたよ、ギルドで」
「2000体?」
商人さんはフム……と考えを巡らせる。
あれ? すっげー慌てると思ったけど、そこまでの反応じゃないな。
「それで、その2000の構成は? 何の魔物が何割とか分かるかい?」
「えーと……何割とかは言ってませんでしたけどゴブリン、コボルト、トロールだとは聞いてます」
「そうか……ふむふむ、ちょっと微妙だな」
「微妙? ……って何がです?」
「勝てるかどうかがさ」
「か、勝てそうなもんなんですか!? 俺、正直2000って聞いてビビりまくってるんですけど」
俺だけじゃなくギルドの周りにいた冒険者たちもかなり動揺してましたぜ?
「上級冒険者たちならゴブリンくらいいくらでも倒せるし、2000のうちのほとんどはゴブリンだろう。あれはネズミみたいに沢山、子を産むからすぐに増えるんだ」
ほとんどがゴブリン……か。
そういえばミルキーウェイでのゴブリンとの戦闘で俺たちみたいな初心者冒険者でも数十体と倒せたもんな。
場慣れしてる人には2000体ってのも現実的な数字なんだろうか。
「ああ、それとこの街にいる戦力は言ってなかったかい?」
「冒険者が200人くらいいるって言ってた、っす」
「ほほう。そんなにいるなら中級、上級の冒険者もある程度いるだろう。それならば、きっと勝てるな。よそからも応援が来るだろうし。と、なるとあとはいかに儲けるか、だ」
「儲ける……?」
この非常事態だというのに商人は楽しそうにニヤリと笑った。
「そうさ。大規模戦闘において何が足りなくなり求められるのか……それを読んで大きな利益を上げてこそ商売人というものらしい」
らしい、って他人事みたいに言うなぁ。
なんとなく、こんな状況を楽しんでいるように見えた。
不謹慎であると同時に、なんだか頼もしくも感じる。
「さて、忙しくなるな……! 有益な情報を感謝する!」
タオル類をポンっと机の上にまとめてくれて商人さんはパタパタと去っていった。
話している間にヤカンのお湯がクツクツと沸きはじめていたので、俺は準備をして部屋へと戻る。
「お湯の準備ができましたよ、っと」
部屋に行くとアトラスが立ち上がって俺の方を見てきた。
涙もおさまってるし、とりあえずは落ち着いたようだな。
「君島くん、着替えは用意したけど宿の人が見当たらなくてシーツは……」
文川さんが不安げな表情で報告してくる。
傷が塞がったとはいえシュペットちゃんのことが心配なんだろう。
俺も一緒になって深刻な顔をするパターンもあるが、さっきの商人の頼もしさが印象に残っていたので、ここはテキパキと指示を出す頼れる男として振る舞ってみよう。
「文川さん、ありがとね。じゃあ、まずは体を拭いちゃって、それから隣のベッドに移して寝かせてあげよう」
「うん、わかった!」
ここはアトラスとシュペットちゃんの二人部屋として借りているのでベッドがもう1つ空いているのだ。
……っと、体を拭くってシュペットちゃんの服を脱がさなきゃいけないのか。
非常事態なんだし俺が脱がせても性犯罪にはならないだろうが、こんな事を考えてる時点でアウトな気もするので、ここはあえてサーヤさんに役割を与えるのがベストな選択肢と言えよう。
「サーヤさん、サーヤさん。男子たちは部屋を出てるから体拭きと着替え、手伝ってあげてくれるかな」
「……」
サーヤさんは精気を失ったように力無い表情でうつむき、しゃがみこんだままだ。
「ねぇ、聞いてる? 沙耶香」
「っ……!? なにドサクサまぎれで下の名前呼び捨てにするし!?」
何か気にいらなかったらしくサーヤさんがガタッと立ち上がった。
「いや、なんかビックリして元気出るかなって」
「出たけど!! ムカつくんですけど!?」
バシッ!!
「痛ァいっ!?」
サーヤさんが俺の背中を叩いてきた。
まぁちょっと笑ってるし良しとするか。
「ふふっ、おかしいなぁ君島くん……私の下の名前呼んだことないのにね……」
文川さんも寂しそうな顔で静かに笑った。
「え、いや、文川さん……!?」
「し、師匠、まだ呼んでもらったとき無いの!?」
そういえば呼んだ事なかったな。
俺たち一応、結婚までしてるんだが……。
とにかく自分は呼んでもらったことないのにサーヤさんの下の名前を親しげに呼んだことでキゲンを損ねてしまったようだ。
なんとなくギャルゲーなどでヒロインの好感度が下がる不吉な音が頭の中で響いた気がした。
「文川さん。今のは違う、そういうアレじゃないんだ。場をなごませるためっていうか!! 分かるでしょ? 分かって!?」
「ちょ、バカミッシー、なにしてんの!? ホラ、早く師匠の下の名前呼んであげなよっ!!」
え……?
文川さんの下の名前……?
なんだっけ。
悲報。俺氏、嫁さんの本名を知らなかった。
いや、たぶんクラス名簿とかで見た事はあるハズだが、ノーチェックだった。
だって、その時はまさか異世界に召喚されてお付き合いすることになるなんて思わなかったんですものっ!!
のちに聞こうとした事はあったが、なんか照れくさかったし!!
「文川さん」
俺は動揺を隠しつつ、彼女の眼をまっすぐと見つめた。
「な、なんですか……?」
文川さんはちょっと怒ったような、かつ恥ずかしそうな顔で俺の言葉を待つ。
「君の名は?」
「えっ」
「全然話が進まないじゃないですか!!」
暗い表情で思い詰めた顔をしていたアトラスだが我慢できずに突っ込んでしまったようだ。
「ごめん文川さん、あとで話し合おうね。じゃ、俺たち部屋を出てるから」
「ぐぬぬ」
可愛い顔でうなり声をあげる可愛い可愛い文川さんをおいて、俺とアトラス、小松くんは廊下に出た。
「さて、アトラス。みんなに何があったのか聞かせてくれるか?」
「あ、はい……」
俺はおふざけモードを解除して真面目モードに切り替える。メリハリ大事!
「えっと、山の中で魔物討伐をしていたら突然、山の上方から大きな爆発音が聞こえてきて……」
爆発音……俺たちも聞いた、火属性上級魔法のことだろうな。
「それが何かは分からなかったけど、その衝撃で地滑り土砂崩れが起きる可能性もあると思って、ボクたちは山を下り始めたんです。そうしたら途中で魔物の群れの襲撃を受けました」
その時の状況を思い出したのかアトラスはギュッと拳を握る。
「ゴブリンやコボルトだけなら冷静に対処できていたんです。でも、突然トロールと出くわして、その体格の大きさに動揺してしまって、ボクの体勢が崩れたところに巨大な棍棒で殴りかかられて……それを……お姉ちゃんがかばって……」
「そうか……」
あんまり聞いたことなかったけど、アトラスってシュペットちゃんのこと、お姉ちゃんって呼んでるのか。
いや、まぁそんなことはいいんだが。
「それで……これからどうするかだが、君島はギルドで話を聞いてきたんだろ? 何か言っていたか?」
小松くんの問いに俺は持ってる情報を全部話した。
☆☆
「に、2000体……!?」
小松くんは期待通りビックリしてくれたがアトラスは燃え出した。
「上等ですよ! 借りを返してやる……!!」
待て! 無茶だ!
と、さっきまでなら止めただろうけどし商人の話を聞いたからなぁ。
勝てる見込みがあるなら、俺たちも手を貸すのもいいのかも知れない。
この街を守るために……なんてカッコいい事は言えないが、シュペットちゃんの容態を慮ってのことだ。
俺も最近、出血多量で死にかけたので血が足りないツラさは記憶に新しい。
車でスーッと移動できるならいいが、馬車でガタガタ移動するのはどうなんだろうなぁ。
「ちょっと考えがまとまらないな。小松くんの意見は?」
「最優先はシュペットさんを安静にしてやることだと思う。ただ、どの選択を選べばいいのかは分からないが」
「ソラさん、小松さん。みなさんはお姉ちゃんを安全なところに連れていってください。ボクは命に換えてもお姉ちゃんを殺そうとしたヤツの……息の根を止めてきます」
アトラス……口調は物静かだがどうも冷静ではない気がする。
なにか一人にしておくのは危なっかしいな……。
はぁ。この状況下で完璧な解答なんて出しようもないが、そろそろ何かしらの結論を出さなきゃいけないな。
「ではボク、行ってきます!」
「アトラス、待ってくれ。俺だってシュペットちゃんとは旅してきた仲だ。親しくなった。傷つけられて怒る気持ちは俺にもあるが、それでも少し待つんだ」
「待つって……何を待つんですか」
「ギルドの鐘さ。作戦が決まったら俺たちに知らせると言ってた。それまで少し体を休めておくんだ。山から戻ってきて疲労が溜まってるだろ。明らかに疲れた顔してるぞ」
「それは……」
「本気で借りを返したいなら少しでも良い環境で体力を回復させるんだ。ここにはベッドもあるしな」
「……分かりました。ボク、ちょっと横になってます」
疲れが溜まってるって自覚はあるんだろう。
アトラスの部屋は使用中なので、俺の部屋のベッドで横たわった。
「君島……戦いに参加するのか?」
「はぁぁ……本音を言えば逃げたいけど。アトラスをほうっておけないし、シュペットちゃんもできればここで安静に休ませてあげたい」
「そうだな。僕はどうする? こんな時だ。戦いから身をひくとは言ったが鎧はまだある。できることはするぞ」
「うーん。頼めるなら、みんなを守っててほしいけど……仮にここまで敵が来るようなら小松くん一人でどうにかなる状況じゃないだろうし、ヤバい状況になったら文川さんと話し合ってどこかへ避難することを考えてくれるかな」
「分かった。それなら今のうちに大八車……っていうんだろうか? シュペットさんを乗せて移動できるものを調達してくるよ」
「ああ、それはいいね。任せたよ」
「君島くん、着替え終わったよ」
ガチャっと扉が開いて文川さんが呼びに来た。
様子を見に行くとシュペットちゃんが静かに寝ている。
血を拭いたことでハッキリ確認できたが、やはり顔は青白く血色がいいとは言えない。
シュペットちゃんをゆっくり休ませるために看護のサーヤさんを残して俺と文川さんは廊下に出て、今後の方針を相談する。
カラァーン……!
カラァーン……!
と、しばらくすると街の中に鐘の音が鳴り響いた。
いよいよお呼びがかかったか。
「ソラさん」
アトラスが部屋から出てきた。
いつもは流れるままにしてある長い髪の毛を邪魔にならないようにか気合いを入れるためか縛り上げて、戦う準備が万端って感じだ。
「ああ、行くか。それじゃ、文川さん。気をつけて」
「もう、それはコッチの言葉だよ」
アトラスの見てる前だが、軽く抱擁して、そして俺のほっぺたにチュッと口づけしてくれた。
「ふみゅ、文川さん……」
俺は人前でも全然構わない派だが、恥ずかしがりの彼女が人前でこんな事をするなんて意外過ぎて動揺してしまったじゃないか。
と、文川さんはモゴモゴしてる俺の唇に指を当てて、言葉をふさいだ。
「詩緒梨だよ」
「えっ」
「ポエムの『詩』に情緒の『緒』、果物の『梨』で詩緒梨。それがあなたのお嫁さんのお名前です」
「……!!」
しおり。
文川詩緒梨……!!
「うん……綺麗な名前だね。詩緒梨って」
お世辞抜きで本当にそう思った。
「え、き、きれい!? いやいやいや!! 私の名前なんて『おしり』みたいなもんで……」
「そんな照れ隠しある!? 自分の名前、もっと大事にしてあげて!?」
「ふふっ、そうだね。君島くんのお嫁さんの名前でもあるもんね」
「そ、そうですよー。俺の可愛い奥さんをバカにしたら許しませんよ、めっ!!」
なんだかおかしくなって二人して笑った。
「……じゃあ、気を付けて……いってらっしゃい、明希人くん」
「え、あれ、俺の名前……知ってたの?」
「うん、私の脳内BL小説に出していいくらいはカッコよかったからね、見た目も名前も」
それは……喜んでいいんだろうか。
まぁ光栄だってことにしておこう、うんうん。
「絶っ……対!! 無事に帰ってきてね、明希人くん!」
「うん、必ず! いってくるよ、詩緒梨さん」
俺も文川さ……詩緒梨さんのほっぺたに軽くキスして、全身にエネルギーをみなぎらせて冒険者ギルドへと向かったのであった。
更新遅れたー。申し訳ないでした!
気に入られた方はブクマ、評価などよろしくです。。。
今週はがんばって毎日更新したい……そう、大雪で交通がマヒしなければー!!




