不幸を知ろうとした男
ある裕福な家庭に一人の男の子が産まれました。男の子はトムと名付けられ、不自由なく、すくすくと育っていきました。
トムが十二歳の誕生日をむかえる日、彼はプレゼントを買いに両親と街へ出かけました。すると、街の入口に一人のこじきが座っているのが見えました。
薄汚れた布切れをまとい、灰色の瞳を大きく開いて物乞いをしています。そんなこじきを周囲の人間は哀れみと軽蔑を含んだまなざしで見ていました。
「不幸な人だな」
こじきを見た父親がそう呟きました。トムは父親の言っている意味がわからず、ただ、こじきの灰色の瞳を見つめていました。
それからトムは父親の言った言葉が頭から離れなくなりました。プレゼントを選んでいるときも、ケーキを食べているときも、ベットに入っても答えが出ることはありません。
幼い頃から、欲しいものはなんでも簡単に手に入ったトムには、『不幸』というのがどんなことなのか、わからなかったのです。
日を重ねるにつれ、トムの悩みは大きくなっていきました。そしてある日の朝、トムはありったけのおこづかいをポケットに詰め、屋敷をこっそりと抜け出すと、不幸を知る旅へと出かけました。
トムは道を西に進んでいきました。すると、道端にみすぼらしい服を着た老人が、木の下に腰を下ろしているのが見えます。トムは老人に尋ねました。
「おじいさん、不幸とはどういうことか知っていますか?」
「ああ、知っているとも。不幸というのは、着る服もなく、木の影に隠れて寒さをしのぐしかないワシのような者をいうんじゃ」
老人はそう言いましたが、トムにはよくわかりませんでした。そして少し考えた後、トムはこう言いました。
「なら、あなたの服とわたしの服とを交換しましょう。あなたの不幸をもらいましょう」
老人は驚きましたが、すぐにボロ布のような服を脱ぐと、トムの温かそうな上着と交換しました。トムは満足そうな表情を見せると、新しい不幸を探しに先へ進んでいきました。
次にトムは、茨の蔦が地面いっぱいに広がっている道にでました。その前で若者が一人、茨を悲しそうに見つめています。若者は靴を履いていませんでした。
「そこのあなた、不幸とはどういうことか知っていますか?」
「ええ、もちろんです。不幸というのは、わたしのように裸足でこの茨の上を歩かなければいけない者のことです」
「それなら僕の靴をあげましょう。あなたの不幸をもらいましょう」
トムはそう言って、自分の靴を若者に履かせました。若者はお礼を言って、茨の道を駆けて行きました。
トムは足を傷だらけにしながらも、茨の道を歩いて行きます。辺りも暗くなってきた頃、目の前に小さな宿屋が見えてきました。
「今日はあそこに泊まろう」
宿屋では者盗りの男達が酒を飲んでいましたが、トムのポケットからお金の音がしているのを聞くと、数人の男がトムの周りを囲みました。トムは男達にも尋ねます。
「あなた達は、不幸とはどういうことか知っていますか?」
男達の中の一人が、トムの前に進み出ました。
「ああ、もちろん。不幸というのはおれ達のようにお金のない奴のことを言うんだ」
男はいやらしく笑って答えます。
「なら、僕のお金をあげましょう。あなた達の不幸をもらいましょう」
トムは持っていたお金をすべて男達に渡し、無一文になってしまいました。もちろん宿に泊まるお金もなく、その日は草陰で体を丸くして眠りました。
次の日も、その次の日もトムは不幸を探して歩き続けました。お腹がすけば木の実を食べ、喉が渇けば川の水を飲みました。それでもトムには満足のいく答えがでてきません。やがて一週間が経ちました。
「家に帰ろう」
とうとうトムは屋敷に戻る決心をしました。
トムが屋敷の玄関まで来ると、ちょうど母親が庭の花たちに水を与えているのがわかりました。
「お母さん、今帰ったよ」
そう言って駆け寄ろうとしたトムを母親は突き飛ばします。そして、持っていたジョウロを放り投げると叫び声をあげました。
「あなた来て! 庭にこじきが入り込んだわ!」
それを聞いた父親が、すぐに家の中から飛び出してきます。
「さあ! 早くここから出ていけ!」
「待ってよ! お父さん、僕だよ、トムだよ! 不幸を探す旅から帰ってきたんだ!」
「お前がトムだって? バカを言うな! 自分の姿を見てみろ、トムはお前のようにみすぼらしい身なりなどしておらん!」
トムは透き通った池の水を覗きこみました。ボサボサの髪に土気色の肌、頬は痩せこけ、着ているものもボロボロ、それはまるで、あのとき見たこじきそっくりではありませんか。
「本当に僕はトムなんだ! お願い、信じてよ!」
そんな叫びもむなしく、トムは屋敷を追い出されてしまいました。
行くあてのなくなったトムは、あのこじきが座っていた街の入口まで来ていました。そして、こじきと同じ場所に腰を下ろすと、ただ空を眺めていました。そんなトムを見る人達の目は、あの日のこじきに向けられた目と同じものです。
不意に、トムの視界に二人の幼い兄弟の姿が飛び込んできました。二人は仲良く手をつなぎ、笑顔を絶やすことがありません。
そんな兄弟を見ていたトムの灰色の瞳から、涙が一つ落ちました。そして、今まで味わったことのない大きななにかが、体の内側からトムを叩きます。
トムは気付いたのです。不幸とは、着る服がないことでも、履く靴がないことでも、お金がないことでもない。不幸とは『自分が誰からも愛されていないと気付くこと』なのだと。
トムの瞳から滝のように流れだした大粒の涙が、地面を濡らしました。
「どうしたの?」
頭の上のほうで声が聞こえます。顔を上げたトムの目の前に、さっきの兄弟が立っていました。
「どうして泣いているの?」
「僕にはお父さんも、お母さんも、友達もいない。それが悲しくて泣いていたんだ」
「だったら僕たちが友達になってあげるよ」
トムのぼやけた視界の向こうには、日だまりのような兄弟の笑顔があります。
「本当に友達になってくれるの?」
「もちろんだよ。さあ、あっちの広場に遊びに行こうよ。他にもたくさん友達がいるよ」
トムは差しだされた手を力強く握ります。急に心が解けていく感じがしました。
こうしてトムは、不幸を知るのと同時に、大きな幸福も得ることができたのです。
トムのくすんだ瞳には光が戻り、広場には子供たちの笑い声が絶えることはありませんでした……。
この話はマザー・テレサの言葉に感銘を受けて書いた物語です。




