落ちる恋
僕は校庭の真ん中に大の字になって空を見上げる。風が強く、砂が舞い上がる。ザラザラとした感覚が口の中に入ってきて少し咽た。校庭の砂とそこらへんの公園の砂を比べると、校庭の砂の方が少し荒っぽい感じがするのは何故なのだろうかとふと考える。公園の砂はサラリと流れるようなのに校庭の砂はどこかしら不快感をその中に秘めている。たかが砂で何を言ってんだというところではあるけれど、しかし、こうして砂の上に寝てみるとそんなことを考えるのだ。
校庭の砂は不快と先に言ったが、だからと言って僕はこの砂が嫌いではない。公園の砂は“不快さがなさすぎて不快に感じる”のだ。不快さがないのが不自然で落ち着かない。少しばかり不快な方が僕には合っている。
そして、その不快さに塗れながら僕は目を閉じている。砂の一粒一粒が風にさらわれて、どこか遠くに飛んでいく音が微かに耳朶を打つ。もしかしたら耳にも砂が少し入っているかもしれない。
「おーい、」
声がする。風に舞う砂の音を掻き消して、すべての音を突っ切って狙い澄ましたかのように響く。
「おーい、コータローくん!」
コータロー。僕の名前だ。
ゆっくり目を開けると、真っ青な空がひたすら視界いっぱいに広がっていた。不快感を秘めた砂とまっさらな空はまさに相反して向かい合っているのが、不思議だった。
ともあれ、名前を呼ばれた僕は制服に付着した砂を払いながら立ち上がった。声のした方、すぐそばの天井の低い体育倉庫の上に一人の女子学生が仁王立ちしている。黒襟のセーラー服に身を包んだ利発そうな女子。ハナという名前のクラスメート兼幼馴染だ。
「ハナ、おはよ」
「おはよ、じゃないよ、コータローくん。何呑気に寝腐っているのさ」
ハナのスカートが風に煽られる。下に履いた黒のスパッツが見え隠れして、僕はどうしようもなく胸を高鳴らせた。邪な思いは僕を苛んで、僕を飲みこんで、僕を支配して、僕を服従させようとする。スパッツに覆われた太ももに生唾を飲み、そこから目が離せなくなる。抗いがたい衝動が鼓動を打つ。
そう言えば、砂には不快感もあるけれど同時に不浄のものというイメージも付いて回るように思う。僕の制服にはまだ払いきれなかった砂がこびり付いていた。
「寝腐っているわけじゃない。ハナこそそんなところで何しているんだよ」
平静を装って僕は彼女に声をかけた。僕を見下すように青空を背にして彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「私は、寝ているコータローくんを発見したから起こしにきたのよ。つまり、嫌がらせ。分かるでしょ?」
「分からないよ、ちっとも」
彼女は日頃からこうして僕にちょっかいを出すのが好きな節があるし、今回もそのパターンだろうと予想はできていたけれど、そうとっさに嘯く。
ここで認めてしまえば、それは僕の中にある邪な何か……いや、ここまで来たら誤魔化すのも野暮というものだから満を持して言ってしまうが……僕の中にある彼女に対する欲情を認めてしまうことに他ならないようにも思えて、それはまだ避けたいと思った。
「あらあら、分からない男っていやね」
ハナは落胆したように腕を組んだ。その途端、タイミングを計ったかのように風が彼女の肩過ぎまで伸びた髪をサッとさらった。彼女が驚いたように風が吹いた方向を見る。白く透き通るような色をした首筋が僕の目に映った。鼓動がやたら激しくなる。
そして、周囲のあらゆる音が止んだように思えた。
かわりに激しくなった鼓動が耳の中でうるさく鳴る。しかし、逆に頭の中は冷静になった。
果たして、僕は他の女子が同じように体育館倉庫の上に立っていた時に同じような衝動に駆られただろうか。ここまで焦がれただろうか。ここまで焦がれている理由はなんだろうか。幼馴染だから?クラスメートだから?彼女が女子で、僕が男子だから?
今までは理由を探せど、それはどこかに落ちているわけでもなくただ、苦しいだけだった。探さなかったわけではなく、探し続けて見つからなかったのだ。しかし、今、この風にさらわれる砂と青い空に何かが見えそうな気がして僕はそれを渇望する。目の前の女子学生を、僕は渇望した。
「嫌がらせねえ……」
声を出すと、すべての音が元に戻った。風は相変わらず吹いていたし、砂もどこかにさらわれている。
ジンと頭が鈍く痛んだ。しかし、それは決して不快ではなかった。
「それより降りて来いよ。ちょっと話をしないか」
「え、コータローくんのくせにいきなり何言いだすっての?」
「良いから、」
僕は焦れて彼女の方に手を差し伸べた。
「降りて来いって。それとも怖いのか?」
「怖くないって!失礼しちゃう!今降りますよーだっ!」
そして、青空を背景に彼女が飛ぶ。
風を纏って、スカートを翻し、砂の上に彼女が落ちてくる。
探していた恋が、落ちてきた。
fin.