私の暮らす町はもう駄目だと思う
もう駄目かもしれない。
私は日ごろから思う事がある。
「ねぇねぇ?」
「うん? 何かな? お嬢ちゃん?」
「おじさんはどうしてこんな暑い日にそんな厚着をしているの?」
「これはね、ベンチコートといってとても着心地が良いからだよ」
「でも暑そう」
「ははは! その変わり、中は何も身に付けてないんだ……ほら」
「キャーッ!」
この町はもう駄目だ、と。
私は暑苦しいおじさん。もとい変質者が居た公園から急いで逃げ出し、路地裏へと隠れた。息を顰め、変態なおじさんが居なくなるのを待った。そしてまるでヒーローが身に付けるマントのようにコートを靡かせながら走り去るおじさんの後姿を見て、私はようやくホッと息を吐いた。
ホント、どうなっているのだろうこの町は。
私がこの町に越してきたのは一週間前の事である。当時は道端にゴミもなく、道行く人が笑顔を浮かべる気持ちの良い町という印象を抱いていた。
だがそれも私の勘違いなのだと気付くのに、あまり時間はかからなかった。
なぜなら、パパが私に向かってこう言ったのだ。
『この町はね、殺人や強姦、泥棒といった犯罪以外なら何をしても許される町なんだ』
『え?』
言っている意味が少しだけ理解出来なかった。いや、したくなかった。何と言うか、何をしても良いというのが逆に怪しさを倍増させていたからだ。
『HAHAHA! 少し分かりづらかったかな? まあ、ミカもこの町で過ごしている内に理解して、受け入れられる時が来るよ』
『う、うん』
私はパパの言葉に戸惑いながらも、とりあえず首を縦に振る事が出来た。しかし、何をしても良いとは一体、どういう事なのだろうと、首を傾げる。その一方でバスの窓から見える長閑な田園に目を奪われたりもした。都会ほどうるさくなく、人通りも少ないこの町はどちらかと言うと村という言葉がしっくりするかもしれない。でもここは町の一部に過ぎず、私達がこれから暮らす事になる家はここから少し離れた所にあるらしい。
どうせなら、こういう所が良かったなと思いつつも、私はこの景色を眺める事で我慢する事にした。
そしてしばらく走り続ける事、数十分。
私が我が目を疑う光景に出会い、同時にパパの言っていた意味を理解するのは一瞬だった。
『ほら! ささっと進みな! この、豚野郎が!』
『ブヒィィィィィィィィッ!』
男の背中に跨り、鞭のような物を振るう女性。
私はその二人の姿を過ぎ去るバスの中でただ呆然と目を丸くする事しか出来なかった。
……なんだ、アレは。
『あはは、彼らは僕達がこれからお世話になるアパートの大家さん夫妻だよ』
『――っ!?』
私はパパの言葉に自分の耳がおかしくなったのかもしれないと疑わざる負えなかった。
それほどインパクトのある情報だった。
まだ幼い私でもあの光景のおかしさは理解出来ていた。
伊達にパパの秘蔵コレクションをママから見せられて育っていないのだ。
おそらくあれはSMプレイという大人の遊びなのだろう。パパが偶に『女王……ママの言う事がよく聞くんだよ?』と言っていたのも印象的だったので、よく覚えている。
でも同時に外で堂々と行う事ではないと理解しているので、戸惑わずにいられなかったのだ。パパとママももしかしたら、外であんな事をやっていたのかもしれないと思うと、私は少しだけ複雑な気分にならざる負えなかった。
私はこの町に越してきた時の記憶を思い出し、少しだけブルーになっていた。だって自分の性癖は内側に秘めるものだからこそ輝くものだと知っていたから。
それなのにこの町の人達はそれを外に。
内に秘める事無く、堂々とさらけ出している。
私にはそれが許せなかった。まだ子供の私には理解できない大人事情や嗜好があるのかもしれないけど、外であんな事をしちゃいけないと思うのだ。
それにもう、私はパパとママが怪しい恰好で町に出掛ける光景を見たくなかった。
でもどうすれば。
私に出来る事なんて何もないというのに。
いや、諦めちゃ駄目だ。
あの人だって言っていたじゃないか。
『諦めたら、そこで試合終了だよ』って。
「……なら、私がどうにかしなくちゃ。私がこの町を正常に戻さなきゃ!」
こうして私の果てなき挑戦が始まったのである。